肉を喰う

ナツメ

肉を喰う

 肉の焼けるにおいがする。

 憂子ゆうこには、そのにおいがどうも美味しそうだとは思えなかった。たとえば、七輪で秋刀魚さんまを焼く匂いや豆腐だけを入れた味噌汁の匂い、米の炊ける匂いとは違う。それらは憂子にとって親しみのある匂いだ。嗅げば自然と唾液が出て、腹が鳴る。

「月ちゃん、このお肉どうしたの」

 だが、肉というものには未だに慣れない。どうしても生臭い、と感じてしまう。血の臭い。そう、包丁で手を切ってしまったときのような、が来たときのような、祖父に杖で打ち据えられたときのような、臭いだ。

「あら、お隣さんからいただいたの」

 とはいえ、なんてのは憂子のような庶民の口にはなかなか入らないものである。単に食べつけないだけ。きっとそうだ。

「明日、お礼を持っていかないといけないわね」

 焼けた肉を皿に盛る。憂子の分と、妹の月子つきこの分。そこに付け合せの粉吹き芋。いつもの茶碗に盛った飯。

「いただきます」

 パセリーがあれば彩りになったのだろうが、生憎あいにくとそんな洒落しゃれたものはない。肉の一切れを口に運ぶ時、やっぱり血の臭いだ、と憂子は思う。

「……固い。筋っぽいわね、このお肉」

 きちんと料理本を見て作ったのだけど。憂子の営む本屋に最近仕入れたものだった。店の書架から一寸ちょいと拝借した。ページに油が跳ねていないといいけれど。

 ぐにぐにと、奥歯の間にいつまでも居残っている。噛み始めは塩と胡椒の味で美味しかった。血だと思うのはにおいだけで、口に含んでしまえば鉄臭くもない。だけど、ぐにぐにと、奥歯の間に居座るそれから塩と胡椒の味が抜けてしまうと、憂子は何を噛んでいるのかよくわからなくなる。

「ねえ、月ちゃん」

 口を動かしたまま憂子は妹の名を呼ぶ。ぐにぐにと、肉の筋が、繊維が、奥歯の間で形を変える。

「昨日の、本当にぬいぐるみだった?」

 肉は、いつまでもいつまでも噛み切れないまま、口の中に残っている。

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