15日

青海老ハルヤ

15日

 目を覚ますと、父のはげ頭が目に入った。しかし、私の部屋は自慢じゃないが汚い。どう考えても床には寝ることの出来るスペースはない。

 鼻まで被っていた桃色の掛け布団をずらすと、そのはげ頭が胴体と繋がっていなくて、その先には原稿の詰まった青いゴミ箱があった。父の頭に見えたものはただの薄汚れたスリッパである。私のスリッパは茶色の毛がふかふかなもので、かなり大きい。もちろん頭ほど大きい訳では無いが、寝起きの頭が勘違いするには十分だった。それで今日見た夢のことを思い出したのである。

 深い深い竹林の中、私は東屋のような古い建物の椅子に座り、何かを待っていた。音がしないより静か、という表現は伝わるだろうか。竹のさざめきがなんとも綺麗な、静かな空間を生み出している。そこで、ただただ何かを待っていた。何を待っていたのかは思い出せないが、芥川龍之介の言葉を借りれば、竹の葉の音が私のSentimentalismeに影響した、というのだろうか。

 そうして待っていると、銀閣寺の白砂──後で調べたら銀沙羅というのだが──の向こうから小さな坊主の男の子が、同じくよく似た子供、おそらく兄だろうから今後兄と表記する子供を支えながらゆっくりと歩いてきた。古ぼけた藍色の着物は穴が開き、ところどころ黄色く変色している。砂埃も酷かったのか、右足を引きずる度に頭の毛から砂埃が舞った。

 ゆっくりと歩いてくる様に、まるで歴史のようだ、とぼんやりと考えてみる。そういうところが気に食わない。むしろ自分は哲学者だ。哲学的にいえばSentimentalisme、しかし、その子供はそのまま私の目の前を歩いていった。どうやら存外速かったらしい。

 その子供は寺の境内に兄を置いて東屋のすぐ隣の井戸に走ってきた。その寺はとても小さい。だが何故か意志を感じた。しかし子供はむしろ明るい印象を覚えさせつつ、カランと井戸の蓋を開けた。

 ふと子供が上を見たので、屋根から少し顔を出して見てみる。と、一羽の雀が竹の肩に止まって泣いていた。誤字ではないことを断っておく。

「急がなきゃ」と子供が高い声を静かに呟き、井戸の滑車の鎖を引き始めようとする。だが滑車が空回りしてキィ、キィと鳴き声だけを虚しく響かせている。そのうち、いつの間にか私は眠ってしまった。

 再び深い深い竹林に私は飲み込まれそうになりながら何かを待っている。すると、坊主頭が兄を抱えてやってくる。その時点で私は既視感とこれが夢であることに気づいた。もちろんのこと、これは夢の夢である。私は明晰夢を見た事などない。

 寺は兄を連れてどこかへ行ってしまうようだ。雀を見て、坊主頭は井戸の滑車を必死に回す。だが、空回りしてやはり動かない。

私は眠くなる。これは明晰夢だ。

 三度、私は青青と茂った竹の肩に雀を見つけた。これでは先程と変わらない。ならば私も動いてみようと一大決心をして、井戸の鎖を引っ張ってみる。だが、やはり空回りして動かない。井戸の底には僅かばかりの水が溜まっている。

 子供が来たようだ。私は隠れなければいけないと何故か感じた。東屋に戻り、先程と同じように座る。

 すると少年は先程と同じように雀をみつけ、鎖を引き始めた。「急がなきゃ」というセリフはそのままに、しかし、鎖も動かなかった。

 私は少しうんざりしていた。コレで少年が失敗すればまたこの場面を見ることになるだろう。

 そこで、少年を無視して鎖を思いっきり引っ張ってみた。少年はキョトンとした顔で見ている。すると、僅かに鎖が引けた感触がした。1度動けばあとは簡単だ。

 水が上がってきた。濁っている様にアフリカの水を思い出した。もちろん広告でしか見たことがないのだが。

「ありがとう!」と少年は呟いた。あまりに年相応な笑顔にいつの間にか私の頬も上がっていた。

 そうして、その子供は竹林の中に消えていってしまった。

 私の足元に、線香が2本立っている。しかし、もう小さくなっていて、消えかけていた。私の手元に線香があったので、その中から2本だけ取り出して火をつけた。

 父が後ろから歩いてきた。

「もう時間だ。行くぞ」

 まだ線香を指していなかった。なかなか上手い具合に刺さらず、何回かチャレンジする。

 何度も何度も。時間など気にしていられないほどに。

 父が再び声をかけてくる。

「早くしなさい。もう炊けているぞ。早くしなければ全部なくなってしまう」

 やっと刺さった。1回だけ名の知れぬ小さな鐘を鳴らす。そうして、私はその場所を去った。

 余談だが、父は今も元気に生きています。

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15日 青海老ハルヤ @ebichiri99

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