第23話 ルイーズの力
九章 ちびっこ聖女と力の覚醒
凄まじい勢いで舞い上がった水柱に、グウェナエルとエヴラールはそれぞれ反対方向に飛んで直撃を避けた。
だが、避けたその場所を狙ったかのように、またも水柱が上がる。グウェナエルは一息に上昇しながら軌道を変え、追撃してくる他の水柱を剣で叩き斬った。
(っ……このような力を秘めた魔物がいるとはな!)
しかし形のない水相手では、たとえ一度流れを斬ったところで意味はなさない。水柱と水柱を渡るように飛ぶ魔物を前に、グウェナエルは対処法を思案する。
(いっそこの湖ごと葬るという手もなくはないが……そうなった場合、ルイーズたちも巻き込まれる可能性があるからな。それに、この毒素を浴びた周囲の森が壊滅するかもしれん)
だからといって、水中で姿を消す相手をピンポイントで狙うのもなかなか難しい。
わずかでも気配が追えればいいのだが、アレは水中と同化すると恐ろしいほど動きが追えなくなる。奴が持つ魔力でさえも探知できなくなるのだから厄介だった。
「エヴ、無事か!」
「はい、陛下! ここに!」
エヴラールも自身の剣と闇魔法で応戦しているが、やはり動きがやや鈍い。
水柱に巻き込まれないようにするのが精いっぱいなのだろう。頬や手の甲など、避けきれず飛沫のかかった部分が湖の毒にやられてしまっていた。
(よりにもよって、夜だからな)
ただでさえ暗い魔界は、夜を迎えるといっそうその深淵を増すのだ。
月明かりなどほぼ届かない。光のわずかな反射や気配のみで動きを読み定めているエヴラールにとっては、最悪な時間帯とも言える。
(せめて近くに──)
グウェナエルは水柱を縫いながらエヴラールのもとへ向かう。
だが突如、グウェナエルを囲むように幾多もの水柱が上がった。前方にも後方にも道を阻まれ、グウェナエルは苛立ちを募らせながら剣を一閃する。
同時に水壁の向こう側から剣戟を食らわせたエヴラールの力添えもあり、水柱が一本見事に瓦解した。道ができる。その向こうにエヴラールの姿が見えた。
だが、その姿を認めたことで、ほんの一瞬、動きが遅れたのが悪かったのか。
「陛下っ!!」
ハッと見えていない両眼を見開いたエヴラールは、珍しく焦りを浮かべながらグウェナエルに手を伸ばした。ガシッと腕を強く捕まれ、勢いよく引かれる。
「な……っ」
その拍子にぐるんと入れ替わったエヴラールとの位置。
グウェナエルが体勢を建て直しながら振り返った瞬間、最悪の事態が起こった。
「ぐっ──!」
「エヴッ!」
突如、横から現れた魔物がエヴラールの左半身に体当たりしたのである。
その衝撃にはさすがに耐えきれなかったのか、体勢を崩したエヴラールは一直線に降下し、湖へ落ちた。魔物はそのままべつの水柱へと移り、また姿を消す。
しかし、あの魔物が自らの懐である水中で狙うものなど考えるまでもない。
「っ……くそ!」
(あいつは水中だと方向がわからない──!)
逡巡したのは、ほんの刹那の間だけだった。
グウェナエルは空中を蹴り、急降下。そのまま勢いよく湖へと飛び込む。
竜巻のように舞い上がる水柱のせいで、激しい水流が身体を打つ。だが、どうにか堪えながら気配を辿り、水泡に阻まれる視界のなかにエヴラールを見つけ出した。
(いた)
魔力で全身を覆いながらエヴラールのもとへ向かい、すでに意識を失っている彼の腕を掴んで力任せに引き寄せる。
が、その時点でグウェナエルの視界はすでに霞んでいた。加えて全身がチリチリと焦げるように痛む。エヴラールも然りだが、肌が紫色に侵食され始めていた。
(……いかん、毒が回ったか)
あの魔物が吐き出し汚染した毒素のせいだろう。
焼かれるような痛みが麻痺してくると、今度は急速に全身が痺れ始めた。
はやく水上へ。そうは思っても、絶えず襲いくる激しい水流から身を守るのが精いっぱいで、痺れた身体は上手く動かず水上へ這い上がることができない。
(解せんな。〝王〟とつく肩書きを持ちながら、こんな相手に不覚を取るとは)
なけなしの効果しかもたらさなかった魔力壁も、いつまで保っていられるか怪しいところだ。グウェナエルの意識が途絶えれば、その瞬間、魔力制御も不可能になる。
そうなれば、この忌々しい水流に身体を揉まれた末に溺死か、あるいはそれより早く毒に蝕まれて息絶えるか。どちらにしろ、万事休すだ。
(こんな、ところで……ルイーズ……)
いよいよ音が遠くなってきた。
腕に抱えているはずのエヴラールの感覚もない。
霞がかった脳裏に浮かぶのは、パパ、と優しく微笑む愛しい娘の姿。
せっかく五年の月日を経て再会できたというのに、こんな最期だなんて。
(は……情けないにも、ほどがある)
本当はミラベルと共にルイーズの成長を見届けたかった。
彼女が成人するまで──いや、そのあとも。たとえ彼女が結婚して親元を離れていったとしても、幸せな生を歩んでいく娘の姿をそっと見守っていきたかった。
王ではなく、ただひとりの親として。
(……ミラベル、俺は……父親としてつくづく失格だな。おまえの願いを叶えてやれないまま、おまえの元に行くことを……どうか許してくれ)
グウェナエルは心のなかで謝罪しながら目を閉じた。
だが、その直後、思いもよらないことが起こる。
なにかが水面を割り、勢いよくグウェナエルの身体に巻きついたのだ。それに身体を掬いとられるがまま、グウェナエルはざばんと水中から引き上げられる。
いったいなにが起こったのか把握する間もなく、グウェナエルはジルダ湖の畔へ運ばれた。そのすぐ横へ、ぐったりとしたエヴラールもおろされる。
「グウェンさま! ああ、エヴラールさまも……っ!」
血相を変えて駆け寄ってきたのはディオンたちだ。
「父上……? 父、上……っ!」
ベアトリスに連れられてきたリュカは、父の姿を見て全身を震わせる。
ゆっくりと首を横に振り、信じられないと言わんばかりに呼吸を荒く乱した。
「ルゥ……どこ、だ」
視界が霞んではっきりと状況を確認できないが、少なくとも駆け寄ってきた者たちのなかにルイーズの気配はなかった。
朦朧とする意識のなか、グウェナエルは必死に娘の気配を探ろうとする。
「ここにいるよ、パパ」
ふいに、頭上から声が降ってきた。
同時に全身がなにやら温かいものに包まれて、急速に苦痛が楽になっていく。視界がさっぱりと晴れ、乱れていた呼吸が整い、痺れが嘘のように取れた。
己の身体の変化を呆然と感じ、グウェナエルは上体を起こす。
空間を伝うように視線を上げ──思わず、息を呑んだ。
「ル、イーズ」
そこにあったのは、探していた娘の姿。
だが、ルイーズの背にはグウェナエルのものによく似た漆黒の翼があった。長く美しい白銀の髪をなびかせ、ふわりふわりと宙に浮かんでいる。
加えて、心配そうにこちらを見る瞳は、母親とそっくりだった澄んだ青色から塗り替えられ、グウェナエル同様、燃える炎のような真紅に染まっていた。
「だいじょぶ?」
「……ああ、いや……なぜ、その瞳……」
「ルゥのことは、あとでね。それより」
地に降り立ったルイーズは、エヴラールへ目をやった。
エヴラールはグウェナエルの隣でぐったりとしたままだった。彼も聖女の力を受けたのか、毒にやられていた肌は元の色に戻っているが、目を覚ます気配はない。
「父上、は……まさか……そん、な……っ」
リュカが倒れ込むようにエヴラールのそばへ膝をついた。
「父上! 父上、目を覚ましてください……っ! ねえ、父上ってば……っ!」
エヴラールの身体を揺らすリュカを、ルイーズが「待って」と止めた。
「なんでっ! だって、だって、ルゥでも治せなかった……! それって、そういうことでしょう!?」
「ううん、ちがうよ。──ディー。もう触ってへーきだから、救命処置して。ベティもお手伝いお願い。ルゥの力は、身体のなかに入ったお水までは取れないの」
「はい!」
「お任せを!」
この混沌とした状況で、泣きもせず冷静に従者たちへ指示を出すルイーズ。
その姿に、グウェナエルはただただ見入ってしまった。
底知れぬ恐ろしさを感じる一方で、その気高い強さはまるで、かつて自身が愛したミラベルを映しているようだったから。
「ルイーズ……」
「だいじょぶだよ、パパ。あとはルゥに任せて。魔王さまとリュカをお願いね?」
「っ、待て、ルゥ──!」
グウェナエルが制止する声も聞かず、ルイーズは翼を羽ばたかせて舞い上がった。
そのまま迷いなく上昇すると、ジルダ湖に向かって両手を掲げる。
「ねえ、いたずら好きの魔物さん。そろそろ、おいたが過ぎるんじゃない?」
ルイーズが冷ややかにそう囁いた瞬間、彼女の手先に魔法陣が浮かんだ。
(なんだ、あの魔法陣)
グウェナエルも初めて目にする魔法陣だった。
いったいなにを、と思った刹那、湖の上空に同じ魔法陣がいくつも展開される。
そこから勢いよく飛び出したのは、真っ黒な闇を纏った〝茨〟の蔓。それらはある一点、最奥にあった水柱を丸ごと包むように次々と巻きついた。
目には見えないが、瞬く間に茨に包まれた繭のようなものが空中に浮かぶ。
かと思えば、ほかの水柱が大きく音を立てて消えた。
バッシャアアアアアン!
ジルダ湖に逆戻りするかのように落下した水が大飛沫を上げる。──直前、グウェナエルはほぼ反射的に、その場の全員を囲んだ守の魔法陣を展開していた。
闇のベールの上に毒の雨が降り注ぐ。
一方ルイーズは、その飛沫さえも届かない場所まで上昇していた。そのまま茨が固まっている場所まで飛んでいくと、ふわふわと揺蕩いながら振り返る。
「パパ。この子、きれいにしちゃうね?」
「はっ?」
「きっとお魚さんも、はやく元の姿に戻りたいと思うから」
こともなげに告げると、ルイーズはふたたび手をかざした。
右手は茨の塊へ、左手はなぜか湖に向けられている。
ルイーズがいったいなにをしようとしているのかはわからないが、グウェナエルが感じたなんとも形容しがたい予感は外れてはくれなかったらしい。
「きれいにしなきゃ、みんな困っちゃうもんね」
どこか呑気にも聞こえるひとことが放たれたと同時。
ジルダ湖と闇の茨から、シュウウウウウゥゥゥと紫色の煙が立ちのぼり始める。
(おい待て。まさか、この水をすべて浄化するつもりか──!?)
ありえない。だが、たしかにルイーズは見事にやってみせている。
この立ちのぼる煙が毒素であることは明確なのだ。
やがて、その煙が完全に晴れた。
しゅるしゅると茨の塊が解かれていくのを見て身構えたが、そのなかから現れたのは手のひらほどの小さな魚。
それはピョンッと跳ねて、ジルダ湖へと落ちていった。
信じられない光景に唖然としていると、すぐ横から「ゴホッ……」と咳き込む音が聞こえて振り返る。こちらでは、エヴラールが意識を取り戻していた。
「父上! 父上っ、聞こえますか!?」
「う……わた、しは……」
「よかった……よかったです、父上っ……!」
重怠そうに横たえていた身体を起こし、自身にすがりついてくるリュカへ視線を下ろした瞬間、エヴラールはピシリと固まった。
「リュ、カ……なの、か?」
「え……もしや、ぼくのことがわかりませんか……っ?」
「いや、そうではなくて……わかる、から……見える、から、驚いているんだ」
狼狽えたエヴラールの返答に、リュカは困惑したような表情をする。
グウェナエルはハッとしたが、それを問い詰める前に答えが降ってきた。
「ごめんね、魔王さま。勝手に治しちゃった」
グウェナエルのすぐそばに、トンッと軽やかに降り立ったルイーズ。
瞳は元の澄んだ明るい蒼色に戻っていた。背に携えていた翼を消し、完全にいつも通りの姿で、ルイーズはどこか申し訳なさそうに首を竦めてみせる。
「治せるか、不安だったんだ。でも、見えるようになったみたいでよかった」
「っ……ルイーズさま、いつから気づいておられたのですか?」
「うーん」
ルイーズは曖昧に笑うばかりで、明確に答えようとはしなかった。
きっとそれはそばにリュカがいるからだろう、とグウェナエルは察する。
「ルゥ、どういうこと? 父上の、なにを治したの?」
「あのね、リュカ。リュカは前に、魔王さまが目を合わせてくれないって悩んでたけど、ちがったの。そもそも魔王さまは、見えてなかったんだよ」
ルイーズは「ね?」と穏やかな面差しでエヴラールを見つめる。
それを戸惑いを隠せないままに見つめ返すエヴラールの瞳は、はっきりとルイーズの視線と絡んでいた。心なしか色味が明るくなり、濁りが取れたような気もする。
「ルゥは、どうしてそうなったかは知らないし、わかんないけど……。でも、目が見えない原因が病気じゃなかったから治せたの。ルゥは、傷なら癒せるから」
「待て、ルゥ。だが、聖女の力が治せる範囲には限界があるはずだ。ほぼ失ったものを元に戻すなんて、そのような──」
「……そなの?」
ルイーズはきょとんとする。
(……はは。無自覚とは、我が娘ながらなんと末恐ろしい)
ミラベルも〝大聖女〟と謳われるほどの力は有していたが、ややもするとルイーズの力はそれすらも凌駕するかもしれない。
なにしろあの規格外な魔物に加え、このジルダ湖すべての水を浄化してみせた。
そのうえ、グウェナエルたちの治療まで難なくこなしている。それほど多重に力を使っておいて、とくにつらそうな様子もない。
「ルゥには、難しいことわかんないけど。でもね、魔王さまにはちゃんとリュカのこと見ててあげてほしいから治したの」
「ルイーズ、さま……」
「だって、こんなにリュカは魔王さまのこと大好きで、尊敬してて、ずっとずっと追いかけてるんだよ。なのに、魔王さまがそれに気がつかないでどんどん先に行っちゃったらさみしいもん。……せっかく、一緒にいられるのに」
ルイーズがおもむろにグウェナエルの方を振り向いた。
そのまま駆けてきたルイーズに、グウェナエルはぎゅっと抱きつかれる。
「ルゥも、そうだから。ホントはもっとずっとパパと一緒にいたいけど、パパは忙しいから我慢してた。それは、リュカも同じだよね」
「っ……ぼく、は」
「ねえ、リュカ。ルゥはね、もっとリュカの気持ち、ぶつけてもいいと思うよ」
おずおずと立ち上がったリュカは、一歩二歩とエヴラールから離れる。いつものように俯き、胸の前で震えた両手を握りしめた。
「……なにか私に、言いたいことがあるのか?」
「あ、う」
エヴラールから尋ねてもなお、リュカは言葉を詰まらせる。
その様子にやはり難しいかと思われたが、息子の表情の変化をしっかり見つめているエヴラールはいつものように急かしたりはしなかった。
「っ──ぼく、ずっと言えなかったことが、あって」
それが功を奏したのか、やがて彼は意を決したように言葉を紡ぎだした。
震えながら顔を上げたリュカと、色を映したエヴラールの瞳が絡み合う。
「ぼくは……父上みたいに、なりたいんです」
「私のように……?」
「はい。父上のような、民を笑顔にできる〝王〟になりたいんです……っ!」
声は、消え入りそうなほど小さなものだった。
それでも真っ直ぐエヴラールを見据えながらぶつけられた想いに、エヴラールはハッと息を呑んだ。吃驚と当惑に満ちた双眸が、息子を見つめ返す。
「だ、だから、あの、ぼくはもっと父上とお話してみたいし、いろいろ勉強もしたいんです。父上はいつもまだはやいって言うけど……でもっ」
「リュカ」
拳を握り、必死に訴えるリュカの声を静かに遮ったエヴラール。
ほぼ反射のようにビクッと肩を跳ねさせて黙り込んでしまうリュカを見て、エヴラールはどこか悲しそうに目を伏せた。
「……そうか。私がこうして話を遮るたびに、そんな顔をさせていたんだな」
「父、上?」
「──ルイーズさまの言う通りだ。リュカには言ってなかったが、私は数年前に戦いで両目の視力を失っていた。わかるのは、右目で感じられるわずかな光の加減のみで……リュカのことも本当はずっと見えていなかった」
エヴラールがふらつきながらも立ち上がり、リュカに歩み寄った。
リュカがおろおろと後ずさる分、エヴラールは距離を詰める。そして逃がすまいと彼の手を取り、自身の腕のなかへと閉じこめた。
抱きしめられたことに驚いたのだろう。リュカは硬直して棒立ちになる。
感動的なシーンであるはずなのに、両目を見開いて口をぱくぱくしている様子がおかしくて、グウェナエルはつい吹き出しそうになってしまった。
「……リュカがこんなに成長していたことも知らなかった。本当に、いつの間にこんなに大きくなったんだ。私のなかではまだ歩き始めたばかりだったのに」
「父、上……ぼく、もう、六歳なので……」
「頭のなかでは理解していたはずなんだがな……。いや、やはり、わかっていなかったんだろう。初めておまえの想いを聞いて、ようやく〝現実〟が見えた。私が知らぬ間に、ずいぶんと成長していたんだな。リュカ」
全身を強ばらせて緊張していたリュカが、少しずつ力を抜いていく。
代わりに、彼の目から涙が溢れ出した。
そうして、我慢ならなくなったようにエヴラールに抱きつき返し、「うぁぁぁぁあ」と子どもらしい嗚咽を漏らし始める。
その様子を見て涙ぐむ、ディオンとベアトリス。ルイーズはじっとその様子を見つめていたが、なにかを堪えるようにきゅっと唇を引き結んでいた。
つい、と衣服の裾を引っ張られる。
「パパ。……ルゥも、だっこ」
「……ああ」
自らせがんだことに一瞬だけ虚を衝かれながらも、グウェナエルはすぐに応えた。
小さな身体を抱きあげてやれば、ぐりぐりと肩口に顔を押しつけてくる。
もらい泣きしそうになったのか、あるいは自身も感じるものがあったのか。
その背中を宥めるように撫でながら、ふとルイーズの身体から熱が消えていることに気づく。
「そういえばルゥ、体調はどうだ? 熱はないように思えるが」
「ん……すこぶる元気。なんかね、さっき力を使ったらすっきりしたよ」
「そうか。よかったな」
「でも、ねむい。ルゥ、つかれた。かえる」
「なんだ、ご機嫌ななめなのはそのせいか。寝てていいぞ」
おそらく身体のなかで荒ぶっていた悪魔の力が、上手いことルイーズに馴染んだのだろう。そしてさきほどの茨の蔓──闇魔法として放出したことで、燻ぶっていたものがより落ち着いた、と考えるのが妥当か。
だからといって、あれほどすぐに使いこなしてしまうとは。
(俺とミラベルの子だからか、それとももっとなにかべつの宿命を背負って生まれてきたのかはわからんが……。いっそう目を離せなくなったな)
ミラベルの危惧していたことが、いよいよ現実味を帯びてきてしまった。
聖女の力といい、悪魔の力といい、あまりにも膨大すぎる力は得てして己を蝕むことになりかねない。
そうならないように正しく導いてやらねば、とグウェナエルはひそかに誓う。
「おや……姫さま、もう眠ってしまわれましたか。自分が変わりましょうか?」
ディオンの声にルイーズを見ると、たしかにもう穏やかな寝息を立てていた。
(おやすみ三秒だな。まったく、当人は吞気なものだ)
苦笑しながらも、いや、とグウェナエルは首を横に振った。
一方のリュカの方も、泣き疲れてしまったのか、そのまま眠ってしまったらしい。
エヴラールは抱きついて離れないリュカを抱え、静かに立ち上がった。
「どうだ、エヴ。子どもというのは、驚くほど温かいだろう?」
「ですから、余計なお世話ですよ。そんなことはずっと前から知っています。……ええ本当に、知っていたはずなのですけどね」
ひとつ深々とため息を吐いて、エヴラールは鉄仮面をわずかに和らげた。
「帰りましょうか。いろいろと問題は残っていますが、まずは子どもたちをゆっくり休ませる方が優先ですから」
「ああ」
グウェナエルはもう一度、浄化されたジルダ湖を振り返って目に焼き付けた。
(……ミラベル。俺たちの娘の未来には、なにが待ち受けているのだろうな)
懸念はある。
いつかルイーズに訪れるかもしれない岐路を考えると、どうしようもない胸騒ぎもした。得体の知れないものは、大魔王でさえも恐ろしいのだ。
(まあ、たとえどのような未来が待ち受けているとしても、俺はルイーズが幸せな道を歩むための手助けをするまでだが)
転移魔法陣を展開しながら、グウェナエルは未来へ思いを馳せる。
(ルイーズ。おまえはひとりじゃない。どうかそれを忘れてくれるなよ)
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