第18話

 暗い森の中を一人ひた走る。

 見渡す限りの闇で視界はほとんどなく、かろうじて見える景色も見たこともない木々が通り過ぎていくばかりだ。

 周囲からは獣の鳴き声も聞こえず、僕の走る音だけが魔女の森に響き渡っていた。

 この暗闇の中では自分の位置すらあやうく、普通なら行くべき先などわかるはずなどないのだが、なぜだか向かう先に迷いはなかった。

 何かに導かれるように道なき道を一心不乱に走る。

『あそこだ!』

 少し先に開けた場所が見えたかと思うと、吸い込まれるようにそこへと駆け抜けていった。

 光を遮っていた木々の連なりを抜けた瞬間、雲の隙間から顔を出していた月の光に目がくらむ。一瞬のホワイトアウト、視界がなくなった隙に足元にあった木の根に足をとられ、ズサーっと情けない音を立てながら地面に転がった。

「……痛い」

 転んだ体勢から体を転がして仰向けになって空を見上げる。

 すぐにでも動き出したいところだが、ここまで休みなく全速力で走ってきたせいで、呼吸が荒く全身が重くて起き上がれない。

 こうやって横になっていると周りの音がよく聞こえる。風の流れる音、遠くで風に揺れる葉の音。女性がせせり泣いているような声。が、聞こえたような気がしたがこんなところで森の中に泣いているひとなんているはずないので気のせいだろう。幽霊や何かかもしれないが、そんなものがこんなところにいるはずないし、泣き声に聞き覚えがあるのも気のせいだ。

 呼吸が落ち着くころにはせせり泣きも聞こえなくなると思ったがずっと泣き続けている。静かな森の中とはいえ、ここまではっきり聞こえるということはそれほど遠いところというわけではないのだろう。疲れで体が重いが、泣いてるところに行くとなると気も重い。

 ゆっくり体を起こしながら体についた葉っぱや土をはらい落とす。一通りはらい終わったら、泣き声の主を探すために周囲を見回す。月も出ているし、不自然なほど木のない場所に出たおかげで視界は広く見渡しやすいが、それでも聞こえる方向にそれらしい人影は見つけられない。だが、怪しい建物はあった。

 元は城のような建物だったのだろうが、今は見る影もないほど崩れている。外壁のいたるところに穴が開き、残った壁にも植物のツタが巻き付き苔が生え茂っている。管理されている様子もないし、見るからに今は誰も住んでいなさそうだ。

 音を立てないように静かに建物の前まで来たが、近づけば近づくほど不気味な建物だ。暗い森の中、今にも崩れそうな廃墟、奥から聞こえるせせり泣き。近づくにつれ声はさらに鮮明に聞こえるようになってきた。ここから聞こえてきているのは間違いはない。のだが、

「……こわいなぁ」

 気持ちが口から洩れてしまっていた。

 意を決してそーっと音を立てないように、崩れた門をくぐって崩壊しかけた階段を上って入り口だったであろう場所から中を覗いてみる。

 中はところどころ月の光が差し込んでいるが、暗くて何があるかはほとんど見えない。それでもなんとか中を確認しようと崩れた入り口の陰から身を乗り出したとき、ぼわっという音とともに目の前が光に包まれた。

 とっさに目を閉じて手で顔を覆ったが光っただけで何も起きない。恐る恐るゆっくりと目を開いてみると、残った壁にあった松明に灯がともっていた。

 周囲に人の気配がないので、ひとりでに点いたのだろうか。人が近づいたら点灯する松明なんて聞いたことがない。ますますこの建物の謎が深まるばかりだ。

 だが、明るくなったおかげで中の様子がよく見える。よく見えてもそこらかしこに外壁や屋根の破片が転がっていて死角も多い。何が来てもいいように周りを警戒しながら忍び足で中に入ってみる。

 ここは見る限り入り口の広間だったのだろうが、中央にある二階へ上がるための階段は崩れているし、天井からは月が見え床には瓦礫が山となっている。

 ここまで荒れているということは人の手を離れてだいぶ時間が経っているのだろう。軽く周囲を見渡してみるがここには何もなさそうだ。

 すぐ正面に見える上へと上がる階段は崩れているが、その横の崩れた壁には見るからに怪しげな地下へと続く階段が口を開けている。せせり泣きはもう聞こえないがいるのはこの先という確信があった。

 松明があるので足元は見えているのだが、さっきの広間より地下の階段のほうが見るからに古いもののようでいつ崩れるか不安になってくる。だが、ここで立ち止まってもいられない。この先には彼女がいるはずなのだ。覚悟を決め慎重に足元を確かめるように階段を下へと降りていく。

 一歩一歩と降りるたびにカツンカツンという自分の足音だけが響く。地下へ足を進めるほどに、不安と自分の心臓の音が大きくなっていく。まるで自分から猛獣の腹の中に沈んでいくみたいだ。


 足元を確認しながら降りてきたせいでだいぶ時間がかかってしまったが、そのおかげか階段は崩れることもなく最下層近くまで降りてくることができた。恐怖の階段はもう終わりが見えている。

 ここからでは見えないが、階段を降りた先からは人の気配がする。やはりここにいたようだ。自然と呼吸も忘れそうなほど静かに様子を見ながら階段を降りる。

 階段の下は広い空間に大きな石の扉があるだけの空間だった。飾りも何もない空間には二つのシルエットがあった。扉の横に座る骸骨とその前で膝から崩れ落ちたようにぺたんと座る少女の背中だ。。

 少女は、まだこちらには気が付いていないようで骸骨のほうを向いてうつむいたまま表情は見えない。

 状況からみてうつむいている原因があの骸骨なのはわかるが、……一体あの骸骨はなんなんだ?

 どうにも少女は近づきにくい雰囲気で、声もかけられず階段の最後の一段を上がったり下がったりしてしまう。

 いまさらながらカジノの街での少女の気持ちがわかる。あの時の少女もこんな感じで扉の前で行ったり来たりしてたのだろう。このままここでうろうろしていれば、そのうちあの時の僕のように少女が気づくかもしれない。でも————それじゃいけない気がする。

 男はあの時、少女が助けを求めてると言った。それに応えさせるために僕をここまで送り出してくれた。ここで受け身になってしまえば、そんな男の心意気を無視することになってしまう。

 すぅっと息を吸い、心の中で『よし!』と気合を入れる。気合が抜けないように胸を張って一歩ずつ足を出す。たった数歩の距離なのだが、その数歩がものすごく長く感じる。踏み出す足が重くてうまく動かない。それでも足音を消さず堂々としっかりとした足取りで少女の後ろまで歩いていく。

「————どうしたんですか?……こんなところで」

 せっかく気合を入れてここまで来たのにろくに言うことを考えてなかったせいで、気の利いた言葉なんて出てこなかった。

「……えっ?」

 ふいに後ろから話しかけられたせいか、少女は一瞬遅れて驚きの声をあげた。ゆっくりと振り向くと後ろに立っていた僕と目が合う。

「……なんで?……なんで君が、ここにいるの?」

 泣きはらした顔で問いかけられた。その問いに咄嗟で返せる言葉は僕には一つしか思いつかなかった。

「大人の、男の勘?ってやつです」

 ……僕のではないが。

 少女は受け売りな僕の答えを聞くと一瞬ぽかんとした後、また下を向いて

「……ふふっ、なにそれ」

 くすくすと肩を震わせて笑い始めた。うつむいてしまったので顔はまた見えなくなってしまったが、それでもさっきまでの張りつめた感じは感じられなくなった。男のジョーク?さまさまだ。……あの男のことなのでジョークじゃなくて本気で言ってたかもしれないが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る