第十四話 風見鶏亭

『帰りは、そこの洞を通って行けばよい。ワトルの碑へと通じておる。はぐれた仲間とも再会できるであろう』


 守護聖獣が片翼を広げて、一つの洞を示した。その先に、真っ暗な穴が口を開けている。


「仲間って……あっ、ユーくんとシン! 二人のことも知っているの?」


 アムルがすっかり忘れていた二人のことを思い出し、守護聖獣を見上げた。


 守護聖獣は、胸の毛を膨らませて答える。


『風樹で起きていることの全てを我は、ここから見て知っている。のことまでは、わからぬがな……』


 その時、アムルの背後でイサールが声にならない苦悶の声をあげた。


 アムルが振り返ると、左の肩を抑えたイサールが苦痛に耐えるような表情で歯を食いしばっている。脱臼した肩が痛むのだろう。


 マルメロの身体が放つ淡い光に照らされて、イサールの額に浮かんだ汗が光っている。顔色も悪い。


 アムルは焦った。


「守護聖獣さん、ぱぱっと魔法か何かでイサールの怪我を治してくれない?」


『我に治癒魔法は使えぬ。風樹の力が戻ってさえくれば、痛みを和らげてやることもできたろうが……まぁしかし、そやつはそれくらいでは死なぬよ。風樹の種がそうはさせぬ。貴様も、そのことに気付いたからこそ、この街へ戻って来たのだろう』


「どういうこと?」


 アムルが首をかしげてイサールを振り返る。


 イサールは、視線を落とし、自嘲するように口角を上げた。


「…………そうよ。二年経っても私は、自分の身体に変化がないことに気付いた」


 髭がね、生えないのよ……と、イサールが暗い表情で自分の顎に手をやる。


「最初は便利だと思ったわ。でも段々、自分で自分が恐くなっていった。何より、致命傷を負ってものよ。周囲の人間たちも、最初は奇跡だなんだともてはやしてくれたけど、それが度重なると不気味な目で見る人もでてくる。私のことを化け物だとかやっかむ連中も出てきて、私は、ここへ帰ってくるしかなかったのよ……」


『貴様の中にある風樹の種がそうさせたのだ。貴様がどこへ行っても、必ずここへ戻ってくる。それが種を取り込んだ者の、逃げられぬ運命よ』


 守護聖獣の声は、樹洞の中で不気味に響いた。


 アムルは、守護聖獣とイサールを見比べて、眉を寄せた。唇を尖らせる。


「でも、痛いのはいっしょでしょ。なら早く帰ろうっ」


 そう言ってアムルは、イサールの服の裾を掴み、洞のほうへ歩を進めようとした。


 しかし、視界にマルメロを捉えて、あっと何かを思い出したように立ち止まる。そして、くるりと再び守護聖獣を仰ぎ見た。


「そういえば……あなたがマルメロをここへ呼んだの?」


 尋ねられた守護聖獣は、その赤い目を細めて、宙で羽ばたいているマルメロへ向けた。どことなく、その眼差しは柔らかい。


『その、白き翼をもつ生き物のことか。ああそうだ。久方ぶりに懐かしい気配を感じたのでな……だが…………いや、我の気のせいであろう。気を付けていくがよい』


 それきり守護聖獣は、目を閉じて、喋らなくなった。


 しんとした暗闇に、マルメロの羽音だけがパタパタと聞こえる。


「マルメロ、行こう」


 アムルが声をかけると、マルメロが「きゅえ」と鳴き、アムルの頭に飛び乗った。くあっ、とあくびをする。どうやら疲れたらしい。身体から溢れる淡い光はそのままのようなので、アムルとイサールは、洞の中へ入っていった。


 洞の中を進む間、イサールは始終無言であった。


 アムルは心配になり、何度も後ろを振り返っては、イサールが後からついて来ていることを確かめた。


 暗がりでもイサールの顔色はどんどん悪くなっていく。それが怪我の所為なのか、先ほどの守護聖獣との対話の所為なのか……アムルにはわからない。ユースティスがここにいれば、イサールの気持ちを知ることができただろう。


 でも、アムルには一つだけ分かっていることがある。


(風を取り戻せれば、全部うまくいく!)


 風が戻れば、守護聖獣は力を取り戻し、黒い鷹もいなくなる。


 風が戻れば、イサールが樹官長になる必要もなくなる。


 風が戻れば、風車が動いて小麦がつくれる。そうすれば、アムルの大好きなパイがお腹いっぱい食べられる。


 風が戻れば、ラタトスクを使ってハルディアと連絡がとれる。アムルは、ハルディアへ行き、世界を救うことができるのだ。


 アムルは、自然と歩調が大きくなるのを止められなかった。


 洞のトンネルを出るのに、今度はそう長くかからなかった。来た時よりもずっと短い時間で、前方に明りが見え始める。


 アムルは、木の割れ目から外へとび出し、慣れない光に目を瞑った。


 徐々に目が明かりに慣れてくると、見覚えのある場所がアムルの視界に像を結んだ。そこは、ワトルが眠る樹洞だった。


(アムル!!!)


 ユースティスがアムルを呼ぶ声が聞こえた。声の出ないユースティスの声は、アムルの心に直接振動を伝えるように聞こえる。その慣れ親しんだ声に、アムルは、ほっと肩の力をぬいた。


 中央で、ユースティスとシンが腰を下ろしてアムルを見ている。


「ユーくん! シン!」


 立ち上がったユースティスは、アムルに駆け寄り、強く抱きしめた。あまりに強い力で抱きしめられたので、アムルはうっと息が詰まった。


「……心配かけてごめんね。あたしは、大丈夫だよ。イサールが守ってくれたの」


 ユースティスは、声を出すことなく泣いていた。ユースティスの白い髪がアムルの頬をくすぐる。アムルの心が、きゅっと喜びに震えた。


 シンは、肩を抑えているイサールを見て、状況を理解したようだった。無言でイサールに近寄り、肩を元に戻してやる。ごきっ、と関節の鳴き声が響いた。


「ひぎゃぁあ~~~~っ……!!! …………も、もうちょっと優しく……」


「うるさい。心配をかけた罰だ」


 心配してくれたの、と熱のこもった視線を向けるイサールに、シンは冷え冷えとした声で答える。


「ユウがな」


 がくり、と肩をおとすイサールを後目に、シンが今度は、アムルの方へ向き直る。アムルはようやくユースティスから解放されたところだった。


「あのね、穴の奥で守護聖獣に会ったの!」


 アムルは、守護聖獣から聞いた話を、ユースティスとシンに話して聞かせた。


 二人は、驚いて聞いていたが、事情をのみこむと、すぐに風樹を降りようと提案した。


「これ以上ここにいても、何もできないようだしな。一度戻って、作戦を練り直そう」


 樹洞の外へ一行が出てみれば、頭上の空はまだ藍色だったが、水平線付近の空は既に白じんできていた。丸一日かけて風樹を登っていたことになる。ここから麓へ降りる頃には、すっかり夜が明けているだろう。


 四人とも肉体的にも精神的にもくたくただった。


 だが、やるべき道が見えてきたことで、彼らの足取りは軽かった。ただ、イサール一人だけは、浮かない顔をしている。


 ユースティスには、イサールの気持ちが伝わってきたものの、その感情があまりにも混沌としていて言葉を成さなかったために、具体的なことまではわからなかった。それに、色々と自分の中で整理すべき事柄が多く、そちらの方へ注意を向けていた。


 シンは、イサールの様子がおかしいことに気付いていた。それでも、自分が口を出すべき問題ではないと思い、口を閉ざしたままだった。これは、イサール自身が乗り越えるべき問題なのだ、と。


 アムルも、さすがに体力的に限界だったのだろう。うつらうつらしながら歩いていたので、何度も転びそうになってはシンに助けられた。結局、最後の方はシンがアムルを背負って降りた。


 その間中、ユースティスは、不機嫌そうに押し黙っていた。


 こうして風樹を降りた四人は、風見鶏亭へ戻ると、泥のように眠った。



  §  §  §



 四人が目を覚ましたのは、その日の夜。


 一番最後に起きてきたアムルを加えて、これからどうするかという作戦会議が開かれた。


 アムルは、改めて一同に向かって、風樹で守護聖獣から聞いた話を伝えた。


 風が止まってしまった理由は、人々の心から自然への感謝の念が薄れ、風樹が力を失いつつあるからだ、と守護聖獣は話していた。そのせいで守護聖獣は本来の力を出すことができず、黒い鷹のような存在を追い払うことが出来ないでいる、と。


 風の力を取り戻すには、人々の祈りの力が鍵なのだ。そして、風樹から風を奪っているという黒い鷹をどうにか追い払う必要がある。


 アムルが全てを話し終えると、ベトゥラは合点がいったというように頷いた。


「祈りか……なるほど。確かに、聖樹には、人々の信仰心が必要だ。だからこそ通常は、樹官長が祭儀を管理し、秩序を守っているものなのだが……まぁ、あの神殿の様子では、祈りなどろくにしておらんだろうな」


「この者のいうことを信じるのですか。守護聖獣は、めったに人前へ姿を現さないというのに……」


 ソルブスが、アムルからベトゥラへ顔を向ける。その声は、どこか不満そうだ。


「信じるしかなかろう。他に手立てはないし……何より殿が一緒にいたのだ。そもそも樹官長は、守護聖獣が唯一接することのできる存在だからな」


 ベトゥラの説明に、イサールは目線を泳がせている。散々、その守護聖獣から嫌味を言われたことは口にできそうにない。


「イサール殿が神殿へ戻り、樹官長になられれば、万事解決するのでは」


 ソルブスが、イサールに向けて冷たい声を投げ付ける。


 それを受けたイサールは、ぎくりと身を引く。その顔には、今すぐこの場から逃げ出したいと書かれている。


「種が発現していないのだ。それは無理だろう。樹官長になるには、風樹に認められることが絶対だ。木化していないイサール殿が何かを言ったところで、それは何の効力ももたない。もし、イサール殿がどうしても樹官長になる気がないのならば、ハルディアから新たな樹官長を選出することもできるが……それにはまず、ラタトスクが必要だ」


 ベトゥラの反論を受けて、ソルブスが口を閉ざす。ラタトスクは、風樹に吹く風に乗ってハルディアとを行き来する。つまり、風を取り戻すことが何より先決なのだ。


「だが、まさかそれだけでここまでの大きな被害が出るとは……やはり世界の破滅が近づいているということなのか……」


 ベトゥラの深刻そうな声に、しんと場が静まる。


 どことなく皆の注意がアムルへ向くのを感じる中、当の本人だけがきょとんとした表情で大きな蜂蜜色の瞳をまたたかせていた。


 その静寂を破ったのは、ユヒだった。


「〝風を打ち消す者〟……そう、守護聖獣が話していたのじゃな」


「うん。風の力を奪うんだって言っていたよ」


 大きく頷くアムルを見て、ユヒが顎へ手をあてる。


「では、その黒い鷹の方は、わしが調べよう。古い文献にそのような生き物について書かれているやもしれぬ。神殿の書庫には、これまでの風樹に関する資料が記されているはずじゃ」


「どちらにせよ、神殿に行かねばならないようですね」


 ソルブルが肩を落とした。ウィンガムの街を訪れた時、最初に会った樹官吏のことを思い出しているようだ。


「では、決まったな。明日の朝、朝食をとったらすぐに神殿へ向かおう」


 ベトゥラの決定に皆が頷き、場は解散となった。


 皆が各自の部屋へ戻ろうとする中、ユースティスがアムルの袖を引っ張る。


「どうしたの、ユーくん?」


 シンがそれに気付き、足を止めた。どうかしたのか、と優しく声をかける。


(あの……ぼくは、みんなと別行動をとってもいいかな)


 ユースティスには、皆とは別の考えがあった。そのユースティスの声を、アムルがシンに伝える。


(風がなくても、小麦は作れるんじゃないかなって……)


 正直なところユースティスは、ウィンガムに風が戻ってほしくないと思っている。


 風が戻れば、ラタトスクを使ってハルディアと連絡をとることができる。それは、アムルをハルディアへ奪われてしまうということに繋がるからだ。


 でも、町の人たちが困っている姿を見て放っておけるほど冷酷にもなれない。何より、アムルに大好きなパイを食べさせてあげたいと思っていた。


 もし、風を使う以外の方法を使ってこれを解決することさえ出来れば、ユースティスには都合がいいのだ。そして、その方法を探るための手掛かりを、ユースティスはこの街ので目にしている。


「別に構わないが……アムルは、俺たちと来てもらうことになる。ひとりで大丈夫か?」


 シンの問いかけに、ユースティスは頷く。いつまでも自分が足を引っ張りたくはない。


「わかった。では、何かあれば神殿へ来るように。……おそらく一筋縄ではいかないだろうからな」


 シンが肩で溜め息をつく。シンも、神殿で会った樹官吏の態度を思い出し、気が重いようだ。


(僕は大丈夫だよ、アムル)


 ユースティスが、アムルに向かって口角をあげる。白く長い前髪が目を覆っているため、ユースティスの表情は、顔の下半分でしか読み取れない。


 心配そうにユースティスを見つめるアムルだったが、ユースティスのその表情を見て、いつもの笑みを見せた。

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