第141話 皇女

 教室を出てからしばらく廊下を歩いていると、目の前から水色の髪を後ろで一本に纏め、汚れのない氷のように透き通った薄水色の瞳をした女性が歩いてくるのが見えた。


「あ、イス。久しぶりだね」


「お久しぶりです。第二皇女殿下」


 俺に話しかけてきたのは、入学式の時に在校生代表として挨拶をしていた女性であり、この国の第二皇女でもあるシャルエナ・ルーゼリアである。


「はは。そんな堅苦しい呼び方じゃなくて、昔のようにシャル姉と呼んでくれてもいいんだよ?」


「ご冗談を。さすがに昔のようにはできませんよ。今とあの時とでは関係も年齢も違うのですから」


「そうだね。昔はお互い子供だったから、そこら辺が曖昧だったね」


 シャルエナとは子供の頃の幼馴染みたいなもので、彼女の得意魔法が氷魔法ということもあり、一時期は父上に魔法を教わっていた。


 その時に俺と彼女は知り合い、歳も一つ違いということで彼女が俺のことを弟のように可愛がっており、自身のことをシャル姉と呼ばせ、俺のことはイスと呼んでいた。


「ヴァレンタイン公爵と夫人は元気かな」


「えぇ。とても元気ですよ。入学試験の時は帝都に来ていましたが、さすがに入学式まで領地をあけることもできないので帰りました」


「そうだったんだね。夫人は帰る時に泣いたんじゃないかな?君のことをとても可愛がっていたから」


「泣きはしませんでしたが、泣きそうにはなっていましたね」


「あはは、やっぱりそうか。その光景が目に浮かぶようだね。ところで、後ろの2人はどなたかな?よければ紹介してもらえると嬉しいんだけど」


 シャルエナは俺と話している間、後ろで静かに話を聞いていたフィエラたちが気になったのか、彼女たちを見ながら尋ねてくる。


「あぁ、彼女たちは友人みたいなものです。右の獣人がフィエラ、左のエルフがシュヴィーナです」


「どうも」


「シュヴィーナです。よろしくお願いします」


「君の友人か。私はこの国の第二皇女であるシャルエナ・ルーゼリアだ。あ、皇女だからって畏まらなくていいからね。私はそういうのはあまり好きじゃなくて。それと、私はイスの幼馴染であり姉のようなものだから、私とも仲良くしてくれると嬉しいな」


「わかった」


「頑張ります」


 フィエラはあっさりとシャルエナの申し出を受け入れたが、シュヴィーナは彼女の距離の詰め方に少し困惑しているのか、ぎこちない笑顔でそう返した。


「あ、でもイスは確かペステローズ家のお嬢さんと婚約していなかったかな?ダメだぞ。いくら一夫多妻が認められてるからって、そのお嬢さんを放ったらかしにして他の女の子と一緒にいたら」


「確かに婚約はしてますが、別に深い関係ではありません。それに、彼女たちともそんな関係じゃないですよ。まぁ、彼女たちは違うようですけど」


「ん?……あー、そういうことね」


 俺の説明を聞いたシャルエナは俺とフィエラたちを交互に見ると、納得したように頷いた。


「イスも隅に置けないね。なら、あとはイスが2人の気持ちに答えるだけなんだね」


「俺にその気はありませんけどね」


「そうなんだ。2人とも女の子らしくて可愛いのに勿体無いね。あ、私はそろそろいかないと。また今度お茶でもしよう」


「わかりました」


「それじゃあまたね。2人もまた今度話そう」


「楽しみにしてる」


「わかりました」


 シャルエナは最後にフィエラたちにも声をかけると、彼女は俺たちの横を通り過ぎてこの場を去って行った。


「エル。怒らなかった」


「ん?何がだ?」


「私たちとそんな関係って言われても怒らなかった。前にエルフの王子に言われた時は怒ってたのに」


「んー?……あぁ、あの時か」


 俺は最初何のことを言われているのか分からなかったが、思い返してみれば確かに恋敵だとか言われてキレたことがあった。


「あれはまぁ、他にも要因はあったんだが。あの人は別なんだ」


「どういうこと?」


「あの人は…可哀想な人なんだ。だから、あの人がこんな話で楽しいと思うのなら、少しくらいは譲ってやるさ」


「可哀想な人って、シャルエナ様が?とても楽しそうに見えたけれど」


「気になるならあとは本人に聞いてくれ。もしかしたら、同性のお前たちの方が話しやすいかもしれないしな。ほら、俺らもいくぞ」


 俺はそう言うと、シャルエナが向かった方向とは逆へと向かいそれぞれ与えられた寮の部屋へと入ると、俺は後のことをミリアに任せてベッドへと横になる。


(相変わらず生き辛そうだったな)


 1人になった部屋で考えるのは、先ほど廊下で出会ったシャルエナのことで、過去と変わらず生き辛そうな彼女を見ていると、感情が死んでいる俺でも少しだけ同情してしまう。


現在のルーゼリア帝国の皇族には、3人の皇子と2人の皇女がいる。


 皇后の息子であり、皇太子でもある第一皇子、第二妃の息子である第二皇子、第三妃の息子である第三皇子と娘である第一皇女、そして皇后の娘であり現在学園にも通っている第二皇女のシャルエナだ。


 皇太子は良くも悪くも普通で、武力に秀でているわけでも知識に秀でているわけでもないが、民思いで決断力のある人で、そんな彼の直向きさを皇族派たちは支持している。


 第二皇子は知識面で優秀ではあるが生まれつき体が弱く、精神が弱い第二妃に似て少し臆病なところがありすでに皇位継承権を自ら破棄している。


 第三皇子は武力面で優秀だが非常に頭が弱く、しかも無駄に権力欲が強くて女好きなため、貴族を至上主義としている貴族派たちに良いように扱われている人形だ。


 第一皇女はそんな第三皇子のことが嫌いだったのかすでに他国へと嫁いでおり、現在はこの帝国にはいない。


 そして第二皇女のシュルエナだが、彼女は女性ながらに武術、魔法、知識面で他の皇族たちよりも優れた能力を持っているが、残念ながら女だという理由で皇位継承権がないのだ。


 ルーゼリア帝国は約2000年ほどの歴史がある国で、そのためか歴史を重んじる風習があり、女性は家督および皇位を継ぐことができないとされている。


 そのため、いくら優秀でもシャルエナには皇位を継承する資格がなく、そんな彼女を周囲の人間は隠すことなく彼女に残念だと言い続けてきた。


 小さい頃から男だったなら、生まれる性別が違っていれば、生まれる時代を間違えたと聞かされてきた彼女を不憫に思った皇帝たちは、シャルエナを皇城から逃すため、魔法の訓練ということで二年ほどヴァレンタイン公爵領で過ごさせたのだ。


 しかし、彼女に実力がつけば周りの声はさらに大きくなるわけで、シャルエナが城に戻ると、周りはさらに容赦のない言葉を彼女に聞こえるように話し続けた。


 いつしか彼女は自分を捨て、周りが望むのならと男のような服を着るようになり、武術や魔法にも打ち込むようになった。


 それでも彼女に皇位継承権が与えられるはずもなく、シャルエナは自分を失ったまま今のようになってしまったのだ。


「彼女の環境には多少なりとも同情はするが、俺が何かをするなんてことはありえないな。それに、もう少し待てばもしかしたら主人公がなんとかしてくれるかもしれないし、彼女のことはあいつに任せる形でいいだろ」


 わざわざ自分から面倒な皇位争いに首を突っ込むわけもなく、そんなものは主人公に任せるのが相場と決まっているため、俺は早々にシャルエナのことを頭から追い出した。


「それよりも、明日はあいつに会いに行こう。自己紹介の時にいるのは確認したし、遠慮する必要もないだろう。ふふ。明日が楽しみだな」


俺はこの学園に来た目的の人物に会えるのが楽しみで、思わず笑みが溢れてしまった。


 その後、明日はあいつにどうやって話しかけようか、仲良くなったらどうしてやろうかと考えながら、夜の静かな時間を楽しむのであった。






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