俺をゾクゾクさせるのはいい加減やめてくれ!
つきのはい
01 放送事故とか夢壊れるよ
「――それじゃあ、今日もどんどん気持ちよくなろうねぇ~」
これはある種の人体実験だ。
傍目に見れば、そう思われたって仕方ないよな。
六月半ばの日曜日。
時刻は午後二時過ぎぐらい。いい日和だ。
俺は自室のベッドの上で仰向けになり、両目を大人しく閉じていた。
物静かな昼下がりで、家には両親もいない。
環境は万全でぬかりない。
通販の未着品もないし、世話を焼いて押し掛けてくるような漫画的妹もいない。
体調だって悪くない。
つまり、今の俺は誰にも邪魔されないってことだ。
「ふぅ~……ふぅ~……。えへへっ♡」
両耳につけた白色のカナル式イヤホンから、可愛らしい女の子の声が聞こえてくる。
いや、聞こえてくるなんてもんじゃない。
距離感が違う。これはもうゼロ距離にその子がいて、俺の耳元でしゃべってるレベル。
声質に成分表記を添えるなら、幼さと色気の割合は大体6:4くらい。
どちらかといえばロリ路線。
その子は、意図的に何度も息を吹きかけてくる。
柔らかく、なまめかしく俺の耳が刺激される。
「すぅぅ、っふぅ~~~……どうかなぁ、気持ちいい?」
――ああっ、耳やばいっ。吐息に反応する!
俺と添い寝してるのか?
そう勘違いしてしまうくらいに、その子の声は臨場感たっぷりだ。
甘い言葉と色っぽい息遣いに、俺の身体はびくっと震え、たまらず鼓動が早くなる。
「ふぅ~……。『耳ふー』た~っぷりだよっ♡ こういうの好きだよね? ふふんっ」
好きです。大好きですっ!
イヤホンから流れてくるその問いに、心の中でイエスイエスと強く念じる。
閉ざされた視界の中で、女の子の声だけが囁かれ続ける。
昼間からガッツリASⅯRとは、なんて贅沢なんだろう。
部屋の電気は消していて、カーテンも閉めていた。
そのカーテンから外の明るさがチラチラと漏れてはいたが、それでも部屋は薄暗い。
その部屋の中で俺は嗜んでいたわけだ。ASⅯR音声を。
「それじゃあねぇ~……今日もぉ、炭酸シャンプー使っちゃうね?」
お願いしますっ!
俺は病みつきになっていた。何度経験しても、炭酸シャンプーはやめられない。
早く早くっ!
焦らさないでっ!
そう心で願う現在の俺は、もうすっかりASⅯRの虜なのである。
あまり詳しくない人のためにあらかじめ説明しておこう。
ASⅯRというのは、映像や音声で目や耳を刺激し、人体を気持ちよくしたり、ドキドキさせたり、脳みそをぞわっとさせるものの事だ。
「――じゃあ、シャンプーいくねぇ~♡」
女の子は、甘い調子の声でシャンプー投入を告げた。
――コポコポコポポポッ。ジュジュウワジュワァァアアーー。
粒立った良い音だ。耳から入りやがて脳みそが洗浄される。
凝り固まった疲れを、自由な切り口から大胆に解きほぐしていくかのようだった。
ASⅯR音声は、主に音声などでこうして耳を攻めってっ……ああっ!
やばいっ。すでにやばい、説明の途中っ……な、のにっ! あぁ……だめ。
「ふふっ。……このまま~、ゆ~っくりシャンプーを馴染ませていくね?」
女の子の声が、またしても俺の耳元で響く。
これから少女の手によって、俺の髪は洗われていくのだと。
――わっしゃわしゃ。わっしゃくしゃわしゃ。じゅわわじゅわじゅわ――。
うう、すごいぃ良いぃ……。
イヤホンから流れてくるだけの音声に、俺は身じろぎした。
炭酸水の、しゅわしゅわとしたさわやかな音の連なり。
少女の手の動きを、ダイレクトに伝えてくるノイズ感。美容院で髪をわしゃわしゃと洗ってもらっているような錯覚を覚える。
たまらない音声の波状攻撃に、俺の聴覚は次々反応していく。
俺は現在、ライブ配信中のASⅯR動画を堪能していた。
「じゃあ、今度は右耳を攻めちゃおっかな~♪」
ライブ配信中の女の子が、いたずらっ子のようなテンションでそう囁く。
すると、それまで両耳で均等に聞こえていた音声が、右耳のみに集中した。
「お加減、いかがかなぁ~? ふふっ♡」
――じゅっわじゅわ。きゅるる、じゅわじゅわじゅわじゅわっ。
ああ~っ!
先ほどまでの快感が、すべて右耳に偏っていく。
俺は声をこらえつつも、身もだえて気持ち良くなっていた。
この立体的な音声は、ダミーヘッド君の成せる技だ。
ダミーヘッド君とは、いわばリスナーの等身大モデル。
マネキンヘッドのような首から上だけのモデルだが、その両耳にはサラウンドタイプで音を拾うマイクが搭載されている。
そのおかげで、ダミーヘッド君の周囲で発生した音は、すべて立体的に聞こえてくる。
ASⅯR配信に、ダミーヘッド君は欠かせない存在といっていいだろう。
「はぁ~いっ♡ もっともーっと、気持ちよくなりましょ~ね~っ♪」
玉をころがすような猫なで声が、俺の意識に入り込んでくる。
――わっしゃわしゃ。わしゃわしゃ。わっしゃわっしゃ。
右耳のイヤホンから聞こえてきているだけなのに、まるで頭の右側を一気に揉み洗いされているような感覚だ。もう頭皮の右半球が、ぞわぞわと直に触られているかのよう。
ああ~、気持ちよすぎっ!
こうして、今日もつつがなく俺のASⅯRライフは過ぎていく、かに思われた。
右耳だけ音声が流れていたその時、唐突にまた別の音声が混ざり込んできた。
――ガチャッ。
音からして、これはおそらく部屋の扉の音だろうか?
そう思って聞き耳を立てていた次の瞬間。
「――こごえー? あんた、昼間から何やってんの? 部屋の電気なんか――プツッ。
急に大人の女性の声が割り込んできたかと思ったら、音声がすぐに切られてしまった。
「一体なんだ、今の?」
それまで横になっていた俺は、急な出来事に思わず体勢を起こしてしまった。
それから慌ててスマホの画面を確認する。薄暗い中、画面が発光していて眩しかったけれど、次第に目が慣れていく。
そのライブ配信には、配信者の部屋の映像も映し出されていた。
ぼんやりと画面全体にモザイクがかけてあるが、ASⅯRのライブ配信はこのスタンスがオーソドックスだ。もしくは手元だけライブカメラで映すパターンもある。
しかし、俺が慌てて覗いたその配信画面には、誰も映っていなかった。
どうやら先ほどまで音声を提供してくれていた配信者本人は、もう部屋を出ていってしまったらしい。
割り込んできたと思われる大人の女性も見当たらない。
誰もいなくなってしまった部屋だけが、配信画面に虚しく映っていた。
ふと目線を横に移す。
配信ページとセットで設けられてあったコメント欄が目に入る。
普段は大人しいASⅯRリスナー達も、なんだなんだとコメント欄で騒ぎまくっていた。
もはやコメント欄はお祭り状態。
突然の音声切断に、思い思いのコメントが打ち込まれていた。
――急にどうしたw
――いきなり途切れたんだけど?
――まさかの親フラじゃね?
――かーちゃん乱入かw
――寝てたから飛び起きたわ
以下、様々なコメントが飛び交う。
ASⅯR中に親フラ?
なかなか遭遇しない放送事故だ。
それにしても、たぶんあれは本名を呼ばれていたんだよな。うん。
かすかにしか聞き取れなかったけど、あれは名前だったと思う。
配信者の事情を察してしまい、俺はせっかくの現実逃避から目が覚めてしまった。
どこの誰とも知らない女性。
その秘匿性だからこそ、無限の妄想を抱いていたところがあったのに、それを打ち砕かれてしまったような気分だった。
「はぁ~」
深々とため息を吐いた俺は、カナル式イヤホンを両耳から外した。
スマホで見ていたその配信画面【耳責め♡こえちゃんねる】もスワイプして閉じることにした。
閉めていた厚手の遮光カーテンをサッと開ける。
それまで外の明るさを遮っていたので、一気に部屋にひだまりができる。
ベッドの上に舞うわずかな埃が、午後の日差しに見つかる。
卓上の目覚まし時計は午後三時前をさしている。
気持ちが醒めてしまったな。
けど、途中までは良かった。いつもみたいに興奮できたし、癒された。
ASⅯR音声はやっぱり最高だ。現実の恋愛よりもずっと良い。
手軽で、嫌な気持ちになる事もなくて、しがらみなんか一切ない。
バカにされたり品定めされたり、比較されたりする事だってない。言ってみれば最高級の疑似恋愛だ。そんな疑似恋愛を嗜む俺の夢はただ一つ。
俺の名前を呼んでくれる、特別なASⅯR音声を視聴する事。
この夢に尽きる。
俺の名前で、ずっとよしよしされたい。耳のくすぐったくなるようなセリフや口調で、ずっと甘やかしてほしい。それから時折いじめてほしい。
そんな夢が叶えば――。と、日頃から夢見ているわけだが、現実はそういうわけにいかない。だから今は、動画サイトに投稿されている不特定多数向けのASⅯR音声を視聴しているというわけだ。
俺がASⅯRを視聴するのは、いつも決まって夜だった。
夜、自分が寝付く前に視聴する事が多かった。
さっきみたいに、ベッドの上で楽な態勢を取り、音声を視聴しながら寝落ちする。という流れが日常化しつつあった。
今日は休日で、午後も特に予定が無かった。
特にASⅯR音声が聞きたいわけじゃなかったけど、おもむろにチャンネルを確認してみたらやっていた。ただそれだけの事だ。
そう、これは本当にただの偶然だった。
昼間に視聴する事なんて今までなかったからな。時間帯が被ってラッキ~♪とか思って楽しんでいたんだけど、まさかの部外者乱入で音声中断と。
そんな日もあるよね。
まぁそんな日があっても、ASⅯRは良き。なんだかんだでそこへ帰結する。
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