敗北女神と神罰代行【堕落した転生者が悪逆非道の限りを尽くすので健気な女神に代わって駆逐する。やつらは絶対許さない。命乞いしても容赦せず必ず皆殺しにしてやる】

内田ヨシキ

第1章

第1話 神罰の代行者①

 月のない闇夜。


 海に面した城郭都市ウェルミング。その少し北東。森の中に隠された別荘がある。


 周囲に魔物除けのまじないが設置された家だ。大きくはないシンプルな木造一階建。部屋数は必要最低限。内装には装飾が多く、家具は高級品。それらの手入れをする使用人も住み込んでいる。


 だが今夜、使用人はいない。人払いされている。


 いるのは、寝室に侵入し、潜み続けている少年――天城あまぎ志郎しろうだけだ。


 細身ながら筋肉質で、背丈は平均的。神学生の着る白いシャツに黒い上着、黒いズボン。腰には手製の棍棒をぶら下げている。短い黒髪に黒い瞳。十八歳の少年らしさを残した顔つきだったが、意志の強さを感じさせる眼差しは一人前以上の男であり、戦士だった。


 やがて別荘の外で馬車が停まる音がした。まもなくその馬車が走り去る。志郎の潜む寝室に、人の気配が近づいてくる。そいつは部屋の扉を開けた。小太りの男だ。左手にランプを持ち、右の肩に少女を抱えている。


 男は少女をベッドに寝かせ、興奮した息遣いでその少女の胸を揉み、首筋を舐め回す。少女は身じろぎひとつしない。薬で眠らされているのだ。


 男は少女をねぶり終えて一旦落ち着くと、ランプの火を燭台に移していく。それから、いそいそと高級そうな着衣を脱いでいく。


 その無防備な後頭部に向けて、志郎は棍棒を振り下ろす。


 殺意を剥き出しにしすぎた。命中の寸前、男は身をかがめた。棍棒は男の頭部を掠めるだけにとどまる。


 男は床を転がってから振り返り、素早く臨戦の構えを取る。戦い慣れた動きだ。


「なんだてめえは! 俺が誰だかわかってんのか!」


「ラバン・ストラス。本名、風原かざはら達也たつや。転生者だろう」


 正体を言い当てられたからか、男は驚きに目を丸くしている。


「なんで知ってる!? お前、何者だ!」


 志郎はラバンの問いを無視して、その背後のベッドに横たわる少女に瞳を向けた。幼い顔つき。十五にもなっていないと聞いている。


 志郎の関係者ではないが、事情はよく知っている。


 彼女には母がいない。父親が彼女とその姉のふたりを育てていた。だが病に倒れた。姉妹は薬を求めたが、高額で手が出なかった。そこで姉は、地元の名士で薬品製造と流通を担うラバンに助けを求めた。必死に泣いて頼んだと聞いている。


 ラバンは薬を与えた。その代わり、姉はラバンの下で働くことになった。父と妹のもとには定期的に薬と手紙が送られてきていたが、半年もしないうちに手紙はなくなり、やがて薬も届かなくなった。


 ほどなくして姉は貧民街で廃人として見つかった。薬物中毒により人語を解することはなく、貧民の薬物中毒者らの慰み者として、ただ虚ろな笑みを浮かべながら艶めかしい声を上げていたという。


 ラバンが散々慰み者にした上で捨てたのだと、当局はすぐに察した。しかし揉み消された。ラバンにはそれだけの権力がある。強力な特殊能力を与えられた転生者なら権力など容易く得られる。裏の顔を知った者は平伏して口を閉ざすか、口を封じられるかのふたつにひとつだ。そうやって名士としての表の顔を保つ。


 純粋で幼い妹は、姉は貧民の犯罪者に誘拐された挙げ句に中毒にさせられたのだという当局の説明を信じた。病床の父と狂った姉を救える薬を、ラバンなら用意できるとの言葉も信じた。


 そして彼女はここに連れてこられた。姉と同じ運命を辿ることも知らずに。


 珍しい話ではない。よくあることだ。


 ラバンは貧民街を中心に蔓延する麻薬の製造や流通の主犯であるし、反抗する者を見せしめとして家族友人もろとも惨殺してきた。今回の親子の件など、これまでの悪行からすれば、まだかわいい。遊びのつもりだろう。


 だが志郎がラバンの裏の顔を知るきっかけにはなった。


 今、志郎を突き動かすのは、青い炎のように静かで熱い怒りだ。


「お前には死んでもらう」


 冷たく言い放つと、志郎は再び棍棒を振り上げる。


「ク、ソがッ!」


 ラバンが志郎に向けて素早く手を伸ばす。手のひらが白く発光する。


 急に志郎の視界が霞んだ。呼吸が苦しくなり、足に力が入らなくなって床に膝をつく。


 これが転生者たちに与えられた強力な特殊能力――神性技能スキルだ。


 現代地球で若くして死んだ者のうち、女神ペルシュナに選ばれた者は、この世界『アンドニア』に転生して、神性技能をひとつだけ授けられる。


 ラバンの神性技能は『神秘の草花メディスンプッシャー』という名の、どんな薬物・毒物でも思うまま、いくらでも作り出せる能力だと聞いている。


 志郎の周囲に一瞬で霧状の麻痺毒を生成したのだろう。


 神性技能は、このように常識を遥かに超えた力を発揮する。しかも使用制限はない。ラバンが護衛もなく別荘にやってきた理由のひとつだろう。


「俺を殺すぅ~? バ~ッカじゃねぇの? 俺は天下のラバン・ストラス様だぜ? てめえ如きがまともに口を利ける相手じゃねえんだよ、クソバカ庶民が。顔面のパーツをひとつずつ抉ってやる。まずは目玉だ。痛みは残してるからよ、覚悟しろよ」


「覚悟なら、とっくにしてる。お前はどうだ?」


 志郎は足に力を込めながら念じる。


 ――『鋼鉄の胃袋グレイトイーター』、装着イクイップ


 志郎は力を取り戻し、再び立ち上がった。もはや周囲の麻痺毒など志郎には通用しない。

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