2 女騎士は、転生者で元殺し屋である



 アレクサンドラが、第一王子の部屋のドアノブをぶち壊した日の朝に、時間は戻る。

 


「アレックス~おはよー」

 金色のさらさらマッシュルームヘアに、透き通るような碧眼の男の子が、この国の第二王子。アレクサンドラのあるじにして護衛対象だ。

「は。本日も宜しくお願いいたします」

「こちらこそ。今日も素敵だね」

「恐縮です」


 朝から甘い言葉を垂れ流すリュシアンは、七歳。

 ようやく王族教育が始まり、王宮お抱え教師の元で、毎日勉強中の身だ。

 

 王妃とともに王都郊外にある王太后おうたいごうの別邸を訪れた際に、馬車ごと暴漢に襲われ――裕福な貴族を狙った野盗で、まさか王族だとは思わなかったらしい――たまたま近くを通りかかったアレクサンドラと、その父にして元騎士団長であるタイスト・シルヴェン男爵の活躍によって無事守られた。

 

 もちろん、近衛騎士が四人も配備されていたにも関わらず苦戦したことは、タイストを「いくらなんでも、弱すぎる!」と激高させるに十分。もともと誘われていた剣術指南として、王宮へ戻る大きなきっかけとなった。

 そして、女性ながら強いアレクサンドラに「かっこいい! だいすき!」と言い寄る幼い第二王子に「つけこんで、側付きになった」と未だに妬みの嫌がらせが止まないのは、蛇足である。

 護衛候補者たち(もちろん貴族の子息)を軒並み蹴散らしたのだから、致し方がないことだとアレクサンドラは思っている。


「これから、兄さまのことでラウリのところへ行くんでしょう? 僕も一緒に行くよ」

「一緒に、ですか?」

「アレックスに変なことしたら、許さないの!」


 頬をぷくりと膨らませている。どうやら護衛のつもりらしい王子に、

「心強いです、殿下」

 と眉尻を下げるしかないアレクサンドラ。

 七歳男子にどんなに甘いことを囁かれても、微笑ましいだけだ。

 

「あのね……僕にとって兄さまは、自慢なの。すごーく賢くてかっこよくて強いのに、優しいんだよ」

「はい。存じ上げております」

「えへへ!」

 

 だが――


「ちびっこ護衛がまた来ましたか」

「ちびっこじゃないもん! 成長期がまだなだけだもん!」

「ほう? いつ来るので?」

「もうすぐ!」

「去年から一言一句たがわず、全く同じことをおっしゃっていらっしゃいますがねえ」

「うにゃぁああっ」

「せめて声変りしてからにしたらどうです?」

「! ラウリなんて、大嫌い!」

「おやおや。それこそ大人げないですね」

「むきー!」

「くふふっ。残念ですが機密事項です。ご退室をお願いしますよ、リュシアン殿下」

「僕でもだめ?」

「ほーう? まつりごとに王子の地位が、一体どう関わるのかお聞かせ願えますかねえ」

「……ダメなんだね、わかったよ。でも遅かったら迎えに来るからね! アレックスを困らせたら、許さない!」

「ちびっこ護衛、ご立派です」

「もおおおおお!」


 リュシアンにだけは、なぜか大人げなく接するラウリの言動が面白く、密かにそのやり取りを楽しんでいるのは否定できない、アレクサンドラなのであった。



 

 ◇ ◇ ◇




「王命だそうだ」


 リュシアンの退室後、丁重にソファを進められたが、アレクサンドラは即座に首を横に振る。


「王命?」

「ああ」


 この国の宰相であるラウリ・ヴァーナネン侯爵は、分厚い眼鏡奥の目が見えづらい分、得体の知れなさを醸し出している。


「力を貸してくれないか」

「私に断る権利はないだろう」

「これでも、強制する気はないのだが?」


 どうだか、と、アレックスと呼ばれた女騎士――アレクサンドラという名前を忘れられるぐらい、こちらの方が浸透している――は息を吐いた。


「なんでまた急に、引きこもったんだろうな」

 へらりと続ける宰相に、アレクサンドラは

「知らん。任務にあたっては、第二王子殿下へ通達願う」

 最低限の連絡事項を、冷たく伝える。

 自身は、第二王子の専属護衛。にも関わらず、突如として部屋から出てこなくなった第一王子に対処しろというのだから、当然と言えば当然だ。

 

「受けてくれるのか。助かる」


 ラウリが、わざとらしいぐらいに口角を上げ、机の上で両手を組みながら言う。


「機密事項が多いと予想される。わたしと二人で事に当たるから、そのつもりで」


 対するアレクサンドラは、片眉をピクリ。

 

「……後出しが過ぎないか?」

「はじめから『二人で』と言ったら、聞くまでもなく断るだろう?」

「そうだな」

「キッパリ言う貴女も、魅力的だな」


 ジロリと睨んだところで効果がないことは知っているが、そうせずにはいられないアレクサンドラを、ラウリはニコニコと眺めている。

 

「では、午後にでも殿下の部屋に行ってみよう。すまないが、これから会議でね」

「承知した」

 

 バッと振り返り、颯爽と去っていく銀髪女騎士の背中を見送りながら

「相変わらずの無愛想だなあ。だがそこがイイ」

 とラウリがうすら寒いことを呟いて――渡り廊下を歩くアレクサンドラに、原因不明の寒気をもたらす。


「おー、第二王子の愛人候補だ」

「我が物顔でうろつきやがって」

 

 そのため、わざと聞こえるように蔑んでくる近衛騎士たちとすれ違いざま、剣を鞘から抜き、振り抜いた。


「な!」

「なにをする!」


 さすがに驚いて、剣の握りに手をかける男に

 

「鼻毛。出てたぞ」

 

 クールに言い放つアレクサンドラは剣を収め、再び歩き始めた。――寒気は消えていた。


 


 ◇ ◇ ◇




「はあ……相変わらず、底知れない男だな」


 宰相執務室から無事戻ったと報告すると、第二王子であるリュシアンは安心した様子で、家庭教師と自室で勉強を始めた。

 その時間の扉前には、当然近衛騎士が配備される。過剰な護衛は不要ということで、アレクサンドラの自由時間になっていた。

 今日は父のいる訓練場ではなく(時々鍛錬に混じる)、まっすぐ自室に戻って休憩することにした――午後、ひと波乱ありそうだからだ。

 

 装備を解いてゆるい部屋着に着替え、だらだらとソファの上で軽食を嗜みながら、読みかけの本を開く。

 濃いめのダージリンと、サンドイッチ。

 メイドも慣れたもので、用意が終わるとそそくさと退室してくれる。


「本当はどんな男なのか、やはり見えなかったな……前世で会ったとしても相当の胡散臭さだが、この目でも見えないとは」


 アレクサンドラは、いわゆる異世界転生者だ。

 そうと気づいたのは、八歳の時。

 元騎士団長で男爵でもある父の鍛錬を見学していると、どうにも

 わがままを言って、剣術を教えてもらう毎日の中で、

 

「……見える? いや、える」


 と気づいた。

 同時に、ここは『剣と魔法のファンタジー世界』だと、突如として認識してしまったのだ。


 前世のアレクサンドラは――思い出したことが真実であるならば――殺し屋だった。組織に属し、敵地へ潜入し、命令のままに情報を奪い、人を殺すことが生業なりわい。なぜ殺し屋だったのかは、覚えていない。が、その体術や剣術は身体が覚えていて、この王国最強と言われた父ですら「背筋が凍る」と認める程の強さである。

 

「これは、魔力による動体視力のようなものか? いや、か」


 どうやら剣筋や体さばきだけではなく、魔力・気力の流れ、態度や容姿の偽りなど、視野に入る『全て』が視えるということらしい。


 そんなアレクサンドラが、周りから孤立していくのに時間はかからなかった。人の悪意や妬みを避けていくうちに、自然とそうなっていく。

 そして、それでよかった。『異世界からの転生者で元殺し屋』というまれな存在である自分を、悟られたくはなかったからだ。二十二歳(この世界の女性の結婚適齢期は二十歳までだ)の今も独身なのは、そのためである。


 パタン、と目が上滑りしていただけの本を閉じて、ぬるい紅茶を流し込む。


 国王の一存ですべてが決定する絶対王政。

 剣と魔法と、爵位などの貴族社会。外には人に被害をもたらす数々の魔物。

 

 いわずもがな、この世界では、人はすぐに死ぬ。

 

 ――殺すのには飽きている。家族や近しい人間ぐらいは、守ってみたい。


 授かった力と前世の知識を生かし、父が元騎士団長という環境を甘受かんじゅし、生きる目的を作っただけに過ぎないのかもしれない。が、アレクサンドラはこの目標を気に入っている。


 そんな彼女が、唯一視ることのできない存在が、あの宰相、ラウリ・ヴァーナネンだ。


「彼だけは、絶対敵にしてはならない――あれは、闇魔法だ」


 容姿を、強力かつ強大な力。


「人間のくせに、ものすごい魔力だ。なのに悪意はない。不思議な魅力の……」



 アレクサンドラは、やがて考えることを放棄してソファに寝そべり、そのまま眠った。



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 お読み頂き、ありがとうございました!


 本日の一殺:鼻毛(斬殺)

 理由:近衛騎士たるもの、身だしなみには気をつけましょう(寒気がしたから)。

 

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