10.殿下の婚約者
王太子殿下のいる会場を離れるなんて、立場的にはあってはならないが、緊急事態だ。仕方がない。他にも僕と同じ立場の側近貴族子息は数名いる。
特に宰相の子息がそうだ。彼を目で探すと、自分の婚約者をエスコートしながらも、王太子の傍を付かず離れず、邪魔にならない程度の距離を保って彼を見守っているのを確認した。
そのうえで、彼女を連れて外に出たのだ。
人目を避けるように庭園までやってくると、ベンチにクラウディアを座らせた。
「ごめんね、クラウディア嬢。いきなりこんなところに連れてきて」
「いいえ、構いませんわ。でも、急にどうしたんですの?」
不思議そうに首を傾げる彼女の隣に、僕はそっと腰を降ろした。
「クラウディア嬢。さっき、リーリエ嬢を殿下の婚約者と言ったね?」
「はい。だって、そうでしょう?」
クラウディアはますます訳が分からないと言った顔をして僕を見る。
僕は軽く溜息を付いた。
「クラウディア嬢。殿下の婚約者はまだ決まっていない・・・」
「え? 嘘?」
「今日のパーティーは殿下の婚約者候補を探すことが名目だよ」
「え? え?」
「だが、本当は三人に絞られている。でもこれは極秘だ」
「・・・ご、極秘?」
「リーリエ嬢・・・、リーリエ・ルグラン侯爵令嬢は候補者三人の中の一人だ」
「まあ・・・、そうだったのですね。てっきり、幼い頃から決められた婚約者とばかり思っておりましたわ」
クラウディアは驚いたように両手で口元を覆った。
「本当に君の知っている物語の中ではリーリエ嬢が婚約者なの?」
僕は彼女に詰め寄った。
「え、ええ・・・」
自分でも気が付かなかったが、そうとう動揺していたのかもしれない。
想像以上にグイっと詰め寄ってしまったようだ。クラウディアは驚いたように少し身を引いた。僕はハッとして、彼女から少し離れた。
「ごめん。クラウディア嬢。驚かせたね」
「いいえ!」
クラウディアはブンブンと首を横に振った。
いつものように力一杯全力で否定してくれる彼女には感謝だ。
「僕もちょっと驚いた。極秘なはずの彼女の名前が出てきたから」
僕は脅かしたことを詫びる意味も込めて、彼女の膝の上にある両手にそっと自分の手を重ねた。
★
バイオレット・クラウン公爵令嬢、ルイーゼ・ミラー侯爵令嬢、そしてリーリエ・ルグラン侯爵令嬢。この三人がビンセント王太子殿下の婚約者候補だ。
この三家はジェイド王家に忠誠を誓っており、過去を遡っても、分家の素性を調べても危険分子は見当たらない。
家柄も身分も何の問題も無く、令嬢は三人とも美しい。誰が婚約者になっても文句なく、ビンセントに相応しい女性たちだ。
よってリーリエ嬢が婚約者になってもおかしくはない。
しかし、現時点で最有力候補はバイオレット嬢なのだ。
三人の中で一番身分が高く、容姿は可憐で美しい。その上、穏やかで優しい性格の持ち主だ。
それに比べて、リーリエ嬢は際立った美しさを持っているが、どこか冷た気だ。
先ほどのように夜会の席でも、あまり群れることを好まず、一人でいることが多い。
自ら一人を望んでいるせいか、寂しいような孤独感は感じさせず、それどころか、人を寄せ付けないオーラを醸し出している。くだらない下世話をする人間はバッサリ切って捨てる冷徹さが滲み出ているのだ。
ルイーゼ嬢はバイオレット嬢と同じく可憐だ。少々バイオレット嬢より元気があり、その分社交力も上だと思う。未来の王太子妃にとって社交力は大切な武器だ。
物腰の柔らかく優しいビンセントには、同じように優しく可憐な女性がお似合いだと、周りの誰もが思うだろう。僕もそう思う。
そうなると、つまりリーリエ嬢は三人の中で一番婚約者から一番遠いところにいるのだ。
その彼女が婚約者とは・・・。
何よりもビンセント自身がバイオレット嬢に気があるのは明白なのだが。僕の感では・・・。
それとも僕の目が節穴なのか?
「他のお二方がどなたか存じませんけれど、リーリエ嬢は王太子殿下に相応しいお方ですわ」
クラウディアは重ねた僕の手をキュッと握ってくれた。
自分のその行動に照れたようにちょっと頬を染め、恥ずかしそうに微笑んだ。
「それに、リーリエ嬢はクールでご自分自身をしっかりお持ちです。あの殿下にきちんと進言できる―――あのキッラキラな超絶スマイルに悩殺されない強さをお持ちの方ですのよ!」
彼女はにっこりと笑うと力強く言い切った。
「それでも、今はまだ婚約者が決まっていないだなんて・・・。うっかり口にしないようにしないといけませんわね!」
「うん、そうだね」
僕もにっこり笑って頷いた。
「いい? クラウディア嬢。これも二人だけの秘密だ」
「はいっ!! 二人だけのっ!!」
話が終わると、クラウディアの腕を取って大広間に戻った。
心の中で、ビンセントがバイオレット嬢を選ぶことを願いながら。
もしリーリエ嬢を選んだら・・・。彼女の予言は本当ということになる。
いくらセシリアが存在していても、それだけではただの偶然である可能性を否定できない。
正直なところ半信半疑・・・いや、半分も信じていただろうか。
しかし、リーリエ嬢が王太子殿下の婚約者だったら・・・。
二つも偶然が重なるだろうか?
しかも誰も知り得ない極秘なはずの令嬢の名前を言い当てるなんて。
本当にここは彼女の言う物語の世界なのか?
そうだとしたら、本当に僕はヒロインと恋に落ちてしまうのでないか?
一抹の不安が心を過る。
果たして、僕の願いはむなしく散った。
ビンセントは自分の婚約者にリーリエ嬢を選んだのだ。
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