第2話
エレベーターに乗って下の階へ降り、朝食バイキングの空気を楽しむブッコロー。ビジネスホテルとはいえ食事に力が入っていて、匂いから気合の入り具合を感じている。
その日は有隣堂府中駅前店で「有隣堂しか知らない世界マルシェin府中」という新刊や新作グッズの販売イベントが行われ、ブッコローは新刊を買ってくれた人向けのサイン会に出ることになっていた。
「府中といえば東京競馬場! 武蔵野ビール工場! 楽しみだなー。アレと、コレと、それからソレも取って……」
大ケヤキに思いを馳せ、鼻歌を歌いながら料理を取っていく。野菜少なめ肉多め、パン少々。皿いっぱいに乗せて上機嫌のブッコローだったが、自分の席に戻ってくると奇妙な光景が広がっていた。
「エッ?」
テーブルの上に、バッグに押し込めたはずのトリぬいぐるみが置いてあった。それもブッコローの方を向いている。バイキング会場に人はあまりおらず、有隣堂スタッフの姿も見えない。ここに自分が座ることを知っている人がいるわけがなかった。思わず皿を落としそうになる。
「なんだよ、そんな顔したってキミの分は無いからな」
物言わぬ視線に朝から楽しい時間を邪魔されたことが気にいらず、ブッコローは早々に食事を終えトリぬいぐるみを持って部屋に戻った。誰かが入ってきたような形跡はないがバッグは開けられていて、違和感はうっすらとした恐怖へ変わる。
「もしかして、このぬいぐるみ動いてる?」
気が動転しているので、ブッコローは現状思っていることを声に出してみた。ぬいぐるみを裏返して揺さぶったり叩いてみたりするが、ただのフェルトと綿の塊だ。つぶらな瞳が憎らしい。
「って、そんなわけないか」
ぬいぐるみが勝手に動き出すなんて我ながら非現実的すぎると笑って、今度こそは出てこられないようにしっかりバッグを閉じ、取手にタオルを通して椅子に縛って取り出しづらくした上で椅子も奥の方に押して、意図的に動かさなければバッグに届かないようにした。
「これでよしっと」
顔を洗って気合を入れ直したブッコローは、駅でスタッフと合流して京王線に乗り、有隣堂府中駅前店へ向かった。時間に急かされ猛ダッシュで会場に駆け込むと、少し整えればすぐに出番がやって来た。
「それではここで、Youtubeチャンネル有隣堂しか知らない世界でMCを務める、ブッコローに来ていただきました! 皆さん拍手でお迎えください」
「ブッコローです。よろしくお願いします」
「こんりんちー! あっ、ブッコロー今日はお友達と一緒なんですね」
「お友達?」
司会進行の女性が指差す仕事用バッグの中に、トリぬいぐるみが我が物顔をして入っていた。新刊と愛用の文房具、ブッコローグッズをいくつか入れてきただけのはずなのに。頭から足の先まで冷たいものがさあっと流れていく。
「あー、そ、そうなんすよ! 今カクヨムっていう小説投稿サイトで、僕を題材にした二次創作のコンテストをやってまして。この子はカクヨムのマスコットキャラクターのトリです。鳥類同士仲良くやってます!」
MCとして長くやってきた経験から機転を効かせ、ブッコローはぬいぐるみを両翼で抱えてそのまま二次創作小説コンテストの宣伝につなげた。心臓は嫌なくらい速く脈打ち全身から冷や汗をかいているが、誰も気づいていない。
生きた心地がしないままサイン会に移行し、ブッコローはひたすら無心でサインを書きまくった。ファンの人が時折話しかけてくれたが、心ここにあらずでほとんどうわ言のような返事をしてしまうのだった。
「ブッコローさん、大丈夫ですか? 今日ずっと調子悪いみたいですけど」
「あー、ハイ。全然平気です」
どうも様子がおかしいと察したスタッフに声をかけられ、ブッコローはハッと我に返った。気づけばイベントは終わり、撤収作業を手伝った後飲みに誘われたが、どうしても行く気になれなくて楽しみにしていた競馬場にも寄らずホテルに戻った。
部屋に入るとブッコローはすぐにバッグの位置を確認した。タオルは外され椅子も動かされている。鍵は自分でしっかり持っているので、スタッフが勝手に入ってくることはまず考えられない。念のためフロントに電話をして部屋を変えてもらうように頼むとすぐに空いている部屋に通されて、ひとまずホッとした。
しかし誰が、一体何の目的でトリぬいぐるみを動かしているのだろうか。単なるイタズラか、大きな犯罪への第一歩か。ブッコローの心には不安の種が根を張っていく。
「これ貰ったのって確か、企画動画取った時だったから……もう一回見てみるか」
ブッコローは震える翼でノートパソコンを立ち上げ、Youtubeにアップされた告知動画を見返すことにした。
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