第二十話 いいわね

 はじまりがあれば、終わりがあるのは自然。

 また、その間隙に全力が賭されていたならば、そう長い間続くものではない。

 町田百合の記念すべき初ライブは、駅前に熱狂をもたらしながら一時間足らずで彼女のばいばいと共に終わった。

 虜となった聴衆に背を向け、ツインテールを靡かせ去って行った百合。

 隙のないその様子にはある種の格好良さすらあったが、しかし彼女はただ努めているばかり。

 バックヤードに帰った百合は壁によりかかり、そのままへなへなと座り込むのだった。


 あの人々の盛り上がり、狂的なまでの好意的な視線が今や嘘みたい。心地よいこの冷たい床ばかりが真実のようで。

 それでも、体の熱は先の時に物理的なまでの盛り上がりが確かにあったことを教えてくれる。

 思わず、百合は溜息と共に呟く。


「ふぇ……疲れたですぅ」

「お疲れ様」

「ユータ。今日の百合のライブはどうでしたぁ?」

「勿論、最高だったよ」

「私としては、ちょこちょこミスして足りないところばっかでしたがぁ……そう取って貰えたのは素直に嬉しいですよぉ」


 マネージャーの真顔の賞賛に少々の照れに頬を染める百合。

 愛らしいその様子を見て、しかし変わらず裕太は尊敬の視線を向け続ける。

 誰かが唄った使い古しを二、三曲。それにアンコールまで沸き起こったのだから、此度のライブは上出来に過ぎた。

 歌は彼女が信奉する田所釉子のものを越えることさえないがそれに迫った上等。ダンスの腕前だって、与田瑠璃花直伝だから多少誤っていようとも間違いない代物。

 ただ、マイクパフォーマンスは緊張のためかなんだか悪役っぽかったが、時折笑いを起こすミスをするところも含めて百合らしくって悪くない。


「あのね、百合ちゃんは分かっていると思うけれどさ……完璧っていうのは」

「分かってるですよぉ。玉みたいな四方八方隙なく固めたこの上なしが、つまらないものなんてぇ……」

「流石だね。なら……大丈夫か」

「ですぅ」


 百合にとって、この新人らしからぬ結果を残してしまった、きっと神話の先駆けであるだろうこのライブは、それでも足りないようだった。

 だが、完全無欠でなくとも、アイドルは行える。そして、窮極こそ流動性のないつまらないものでしかないことは、反面教師としてカシマレイコを参考にしている百合こそ理解できるものであった。

 そして、地獄というマイナスを持つ自己こそ何より不完全と知っている百合は、故に努めることを止めずに諦めずに、あのどうしようもないだけの女とは違うのだとうそぶける。


「百合は地獄で、それでもいいのですぅ。それでも愛してもらえたならぁ……愛してくれた人のためにもっと頑張るだけなのですよぉ」


 そう、地獄にもし綺麗があるとするならば、それは燃え盛る炎のみ。愛のために己を燃やす少女は、だからこそ穢の中の唯一無二だった。

 ああ、水よりも炎こそ透き通った余計なものを容れない純粋な美。それをこの世に教える百合は、踏み消すために躙ってきたこの世の多くに対してすら。


「だって、私は地獄を嫌う、この世のすべてが大好きなんですぅ……」


 自分の頑張りに皆が喜んでくれたことが嬉しすぎたアイドルはそんな本音をこぼすのだった。


「……そっか」


 疲れに過ぎて今にも寝入ってしまいそうな、蝋燭の炎のような少女を見つめながら中井裕太は、思う。

 ああ、これは人としても、アイドルとしてだってあまりに純粋に過ぎると。

 この世全ての悪の壺と繋がりながらも、地獄を参考にこの世は綺麗と百合は唄う。そして、どんなに優れようとも私なんかと思って更に努めてしまうのだ。

 そんな、自己を忌避し過ぎる哀しいまでの他者愛の塊。そんな愛おしいほどの間違いが、こうして何より魅力的に結実したのは何の冗談だろう。


「百合は、地獄ですからぁ、皆を見上げて讃歌するのですよぉ……」


 アイドル、或いはイドラ。謬見とも翻訳出来るその文句は誰よりこの乙女に似合っているのかもしれない。

 きっと、今宵の百合を見上げた彼らは、この少女に天国を見ただろう。でも、そんなこの子こそ誰より地獄に面した苦痛を生きている。


「むにゃ……」

「寝ちゃったか……いいよ。今はただゆっくりして」


 でも、それでも真実、彼女だけは幸せになって欲しい。他の全てなんてどうだっていいのだと、マネージャーは心より思っている。

 ああ、地獄こそ報われるべきもの。天国なんて、どうだっていい。

 そんな、神に中指を突きつける男は、未だ熱を残して遠く湧き続ける観衆達のことを考えてから。


「オレだけは、ずっと君の味方だ」


 言い、冷えぬように少女の体に上着を掛けてから踵を返し、駅前の大混乱を収集するために、踵を返すのだった。



 エムワイトレーニングセンターからの帰路、駆ける電車の席に坐せ疲れた身体を預けられた幸運。

 そんなものよりももっと、震えんばかりの嬉しい他人の幸福を液晶で除いた遠野咲希は口元を綻ばせる。

 百合が衆中に囲まれ、以前よりも圧倒的に上達したアイドルっぷり発揮しているのを見て、彼女は呟いた。


「百合……成功、させたんだ」


 多少違えどもこの世界でもSNSのような個人で情報を発信する方法は存在する。そして、携帯電話などで録った動画を共有するサイトも無数にあった。

 その中でも、アイドル関連に特化した時代に沿った人気サイトにて、今百合の映像は人気でバズり中。

 何だこの可愛いの、や歌い方ちょっと古臭いけど上手い、等の褒め言葉が歌と一緒に流れていく。目隠しとかイロモノ、小さすぎて見えない、等の文句はごく少数だ。

 そんなこんなを、見原市駅での混乱という流れてきた情報を併せてみて、大柄な少女はその肩を震わせる。

 隣に座っていたでっぷり中年男性が驚いたようだが、そんなこと咲希にとってはどうでも良かった。


「良かった……」


 正直なところ、咲希という少女には百合に対する複雑な情炎が存在する。だが、それを含めてなおあの子が報われたという事実にほっとして肯定せざるを得なかったのだ。

 だって、彼女は知っている。百合という少女がどれだけ足りずに頑張っていて、そのために嫌われていたという哀しい事実を。

 でも、優しくするよりはつんつんしてあげた方が喜んで燃え上がる性質のようだったから、これまで咲希自信はそうしていたけれど。そんなことはもう、しなくったっていいのだ。

 何せ、町田百合は偶像として認められた。愛されて当然の彼女となったのだ。もう、可哀想だと慮らなくっていい。


「むしろ、強敵……」


 冷静になり、未だアイドルに成れてもいない咲希は故にそう考える。

 先輩として、あの努力を続けて止まない町田百合が存在してしまうというのはなんという不運だろう。

 比較されたら敵うわけがない。そして、彼女に勝るなんて叶うわけがないのだ。しかし、そんなの認めたくない。


 私は彼女を愛している。でもだからこそ、離されたくはなくって。


「負けない……っ」


 ふんすと、鼻息荒く、姿勢を直す。大きな彼女がそうすると、周りが眉をへの字にするくらいに小さくなくぶつかってしまうが、そんな何時もは気にしない。

 そう、これからは追いかけて、もうあの子を一人にしてやらないのだ。再びそう、大きな少女は決意をし直す。

 可愛いというよりも、最早美しいに近くなった少女。そんな変遷を喜びもせず、まだまだだなと思っていた咲希は。


「ん? ……無視しよ」


 だからこそ、登録もしていない番号から来た電話をしらせるスヌーズを通話も出来ない車内だからと無視をする。

 後に、家でどこからかかってきたのか調べ、慌てて掛け直す咲希は、星に手の届く域の切符をその時既に得ていたことを知らなかった。




「おめでとう……そしてお疲れ様」

「ふわぁ、ありがとですけどぉ……そうですねぇ。ちょっと百合もライブ終わりに少し寝ちゃったですぅ」

「あくびも可愛らしいね、百合は。私は、流石に緊張しきってたから、直ぐには寝られなかったかな」

「ですかぁ。まあ、百合的には何時もみたいに全力を出し切るばかりだったのでぇ……終わればばたんきゅーですよぉ」

「そっか、君は変わらないね」

「そりゃそーですよぉ。百合は百合ですぅ」


 電話が掛かってきたら、出る。そんな彼女にとって当たり前のルーチンを行った百合は、最近聞かなかった声に喜んだ。

 そしてまた、相手吉野友美が祝福までしてくれたのだから、あくびしながらも笑顔をはっきりと作れもする。

 中井裕太が運転する送迎の車の中、足をぷらぷら遊ばせながら、百合は数少ない最初からずっと友好的だった彼女との会話を歓迎する。

 ちなみに、百合は一時だいぶ悩んだが、あれは彼女なりの親愛の挨拶だったのだろうと結論づけ、バレンタインちゅー事件は既に忘れていた。

 だからこそ、通常通りの会話であることを、当然浅い仲でもない友美は察している。苦笑いに成りながら揶揄する彼女に、しかし百合は不動。

 彼女はいつもの通り、思いついたことをそのまま口にするのだった。


「そーいえば、友美は一人称変えてるですねぇ。ボクっ娘は卒業ですかぁ?」

「あー……そうだね。イメージと違うからって、辞めさせられたよ」

「へぇ……まあ確かに、友美は綺麗系ですからねぇ。私としては、そんなに気にしなくてもらしくっていいなって思ってましたけどぉ」

「……ありがとう」


 言葉に心が籠もってしまうのは、自然。恋しい相手に裸の姿だって認められていることに、小さなガッツポーズすらしてしまう友美だった。

 ちなみに、確りシートベルトに包まれながらも、どこか頭ゆらゆらさせている百合は、先からずっと眠気に襲われてもいる。

 故に、ぽろぽろ本音ばかりを晒してもいたのだった。


 やけに今日は素直だなと考える友美は更に一つ続けてみることにした。少し悩んでから、彼女は言う。


「ねえ、なら……私のこと、百合は好き?」

「んー。好きですよぉ。決まってるですぅ」

「あはは、うとうとしながら言ってるなあ? でも……嘘じゃないね、これは」

「そりゃ、そうですぅ。百合は森羅万象全てを愛するですよぉ。その中でも地獄な私を愛してた友美は、ちょっとトクベツですからぁ」

「そ、そうかな?」

「ですぅ……」


 最早頭は、車の後ろで座席の上にてごろんごろん。

 夢の中まですら秒読みな、百合はもう目を瞑って地獄な何時もの夜へと飛び込む準備をしていた。

 今にも落っことしてしまいそうな携帯電話越しで紅くなる友美を知らず、百合は続けて。


「大切な、友達ですぅ……」

「っ!」


 そんな、結論を付けて寝てしまうのだった。


 安定した寝息、そればかりが届く沈黙。そして、弛緩に力を失くして取り落としたのか、ばたという音とともに電話からはもうなにも聞こえなくなる。

 大人しく、通話を終えた友美。マンションの奥、一人きりの現況を想いながら彼女は。


「そっか……ありがとう、百合」


 あまりの嬉しさに、はにかむのだった。




 これまで数多の綺羅星が瞬いてきたが、しかしアイドル界の神様と呼ばれた女性は。この世に一人。


「へぇ」


 そんな彼女は、最高のマネージャーから上奏された言葉に驚きを覚えながらも歪まず、ただひたすらに輝きながら。


「いいわね」


 否定することなく、肯定だけを返すのだった。

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