番外話① バレンタインデーそのいち

「ふあぁ……もう甘ったりぃ匂いがする気がしますねぇ……」


 二月十四日はバレンタインデーであるという情報くらい、百合だって知っている。

 コマーシャルに、誰かの話題、創作の一部。そこら辺が二月のはじめ頃から甘い茶褐色に切り替わっていくのだから、それはそれは毎年明瞭だ。

 だが、勿論それを楽しみに出来るほど百合の存在真っ当ではなく、またひん曲がった精神もしていた。友達ゼロが当然だった少女は、イベントごとに知らんぷり。

 父には毎年手作りのものをあげて、トレーニングセンターの知り合いから友チョコを貰ってそれっきりな百合は、だから大凡を他人事としてどうでもいいやと今年も眺めるつもりだった。

 朝学舎に来てまずあくびを一つすることが癖な百合は、いつもの大口を披露してから自分の下駄箱の隣を戯れに見つめてみた。

 すると、佐々木と印されたテープの上になにやらひらひらしたものが、思わず隠れた目をかっぴらいて、少女はこぼす。


「うわ、あいつの靴箱からラッピングが見えてるですぅ……ガッコーに食べ物を持って来ちゃダメとか校則にあったような気がしますけどねぇ……ま、みんな恋愛ごとに必死ですぅ」


 ぼとり、と上履きを二つ足元に落としてから履き、よくやるものだと感心一つだけしてから百合はそれからそっぽを向いた。

 恋だの愛だの、そんな上等なものに燃える健全が隣にある不思議を思いながら、そして彼女はすいすい教室へと向かう。

 足取りは、産まれてしばらく這うことにすら必死だった過去を思うと考えられないくらいに軽い。だが、一歩の感慨を遠くに忘れた百合は、空いた廊下をばかり良しとするばかりだった。


「最近は、めんでぇ奴らに絡まれることも無くなったし、平和ですぅ」


 からかいに足をかけようとするものも、好きに手を振ってくるものも今はない。だから、なんとも面倒のない現状だろうと満足。

 一人ぼっちにそんな丸の付け方をしている百合は、やはりひねくれた少女である。


「ふんふーん♪」


 とはいえ、努力に遅れて煌めき始めた彼女が無視されることなんてあり得ないこと。絹の照りと、藍の深みを自然に身にまとう、リトル・ダンサーは目を閉じていたって世界を舞台にしかねない。

 遅れに遅れている自己評価と違い、現実とびきりの美少女にまで到達している町田百合が気まぐれで発した音符は可憐を辺りに響かせた。

 この学校ではとびきりの二人のうちの孤高な一人が通るのを怖じながら認める彼女らをそれこそ無知と二つ尻尾で振り払い、少女は我がクラスへの扉を開ける。


「おはよう、ですぅ」


 そして、挨拶。小さなそれは、緩慢ばかりを連ねていた小勢を強かに動かす。

 それはそれは、待ち焦がれた相手の到着に喜んだ彼彼女らは、挨拶に何倍もの音色を返すのだった。


「おはよう、百合ちゃん!」

「よ、町田!」

「おはよー」

「ったく、お前らったら何時も飽きずにでっけぇ声ですぅ……」


 眩い不揃い、醜くすらあるかもしれない未熟達がそれぞれ懸命に言葉を大にして自分を歓迎する。

 最近そのことを、まるで嫌っているかのように恐縮するのが百合の毎日。肩をすくめて、実は隠した瞳を悲しそうにしもしていて、そうして大切過ぎる皆に愛されている間違いに、彼女は人知れず心苦しんでいるのだった。

 だが、そんなことクラスメートのお友達程度が理解など出来ている筈もない。むしろ、何時もの返しを楽しんで、殊更一人、杉山ゆずは笑った。綺麗に過ぎない少女に、まだ彼女は近寄れる。


「あははー。百合ちゃんむずがってる。かーいーねー」

「くっ、百合は可愛くないというか……むずがるなんて、そんな赤ちゃんみたいじゃないですぅ! 失礼ですよ、ゆずぅ」

「うんうんー。失礼千万針千本。満員御礼五里霧中、えーっと、次は何をつなげてみようかなー」

「とーとつに言葉尻をとらえ損ねて意味不明をするのは止めるですぅ! 人をバカにするもんじゃないですよぉ!」

「えー。百合ちゃん頭いいから、バカにはしてないよー。ただ……おもちゃにはしてるかも?」

「百合は起き上がりこぼしのお仲間じゃねぇですぅ! ……全く、朝から血圧を上げさせるやつですねぇ……」


 近寄ってきた無遠慮への怖じをまるっと綺麗に飲み込みながら、百合はアホな会話に対峙していた。

 こんなの、気構えするのが下らなく思えてしまうくらいに、どうでも良い。記す価値もない、だからこそキラキラゴミのように輝いている日常。

 おふざけなんていうものはそんなものであり、故にこそ少女の緊張も解け、眼帯の下の何より軟そうな唇も弧を描けた。


「ったくぅ」


 本意ではないと笑い声は発さない。でも、それはとても上等な笑顔だった。だから、それに見とれて思わず声をかけてしまう男子だって居た。

 友達にはトシとしか呼ばれない、スポーツ刈りで髪型を固定して長い男子は頬を掻きながら、わざとらしく百合の前で言った。


「町田ー、今日はいい日だなあ……なんかこう、甘いの持ってきてたりしないか?」

「はぁ? あんた何言ってんですぅ?」

「バカねストレート過ぎるわよ、百合ちゃんが強請ったものをそのままくれるわけがないじゃない!」

「そうだよー。百合ちゃん相手だったら、ナックルボールかもっと速度あげなくちゃ気付いてももらえないよー」

「いや、私だってこいつがチョコ欲しがってるってのは分かったですがぁ……」


 抜け駆けをした男子の周囲で喧々囂々。無駄に百合に対する理解のあり過ぎるクラスメートは、チョコくれボーイの浅はかさに文句をつける。

 だが、下手だったとは言え、流石に百合だって手を差し出されたら何か欲しがっているのだということくらいは理解できた。そして、それに文句の甘いだの本日の日付だのを参照すれば、自ずと答えは出る。

 いやいや、最近妙に人気が出てきた気がするが、こんな告白まがいをされるとは、と思う。そして、辱めを食らわせやがって、とトシを眼帯の奥で睨むのだった。


「おお、ならあげちゃうあげちゃうー? ホワイトかな、ブラックかな、それと間を取って、シマウマ?」

「シマウマだなんて、白黒きっちり分かれて、別に間を取れてないですよぉ、ゆず。マイナス五十点ですぅ」

「ががーん。百合ちゃん厳しい! で、どうするの? 百合ちゃんはトシ君にあげるチョコは……」

「はぁ……」


 どうしてか、テンションを上げまくるゆずに、百合は塩対応。

 しかし、問いには返答すべきが当然。彼女は美としては、努めきったところであるその全体をむしろ誇らすように真っ直ぐに、どこにでも居るようなトシくんへと向ける。

 当然、なんかヤバいと、自分のあまりのつり合いの取れなさに慄く彼に、百合は真っ直ぐ述べ出す。


「あんた、トシとか言ったですかぁ」

「あ、ああ」


 名前を不確かにしか覚えられていない。これでもう脈がないのは明白である。

 既に落ち込みが始まったトシとやら。だが、そんな弱い心に中指を突き立てるように、べーをした百合は言うのだった。


「んな甘いもの食べたいなら、かてーか室にでも行って、砂糖でも舐めてくるが良いですぅ」


 その方がロカボですぅ、とまでは言わなくても、しかし強い否定の意は届く。瞬く間に絶望を表情に出した彼は、無駄にデカい身体を使って空を切り叫びながら去っていく。


「うぁああああ!」

「あー、トシくんの何度目かの恋がバランバランにー! 百合ちゃんったら、酷すぎぃ!」

「……そんなに酷かったですかねぇ?」

「あー……ダメだよ百合ちゃん、既製品でも用意しとけばよかったとか、後悔したりしちゃ。どうせ男子なんて、次の日には違う女体を見つめてるもんだから」

「みっちゃんそうなのー? どうなんだろー? その答えは果たして……玲央くん! いかがでしょー」

「……俺か?」


 そして、なんとなくもっと良くしてやれば良かったかと反省しようとする、無闇に優しいところのある百合にまた理解のあるクラスメートはストップをかける。

 更に、このままノンシリアスでゴーゴーと、ゆずは更にアクセルを踏むのだった。

 問われた玲央こと百合のファン1号、唐突に投げかけられた問いに、真っ直ぐ直線毎度壁にぶつかっても進もうとするようなポンコツは、あっけらかんと当たり前のように本音を語る。


「ん……まあ、俺だったらどっちかというとずっと町田を見てたいがな」

「ぅんぁ!」

「おあー! 玲央くんの100マイルストレート! 百合ちゃんはふっとばされたー!」

「吹っ飛んでねぇですぅ! てきとーなことばっか言うんじゃねえですよぉ!」

「きゃー! げんろんのだんあつだー!」


 びっくりして頬をぼっと紅くした百合は続く向けられたからかいの言葉を逃げ道とする。

 ぽかすかとゆずを攻撃しだして、逃げる彼女ときゃっきゃうふふ。至極の香りをすら振りまき、少女は追いかけっこ。



「逃げられたですぅ……」


 そんなこんな愉快すら殆どはじめてな百合は、しかし人の間をするする逃げるゆずを捕まえきれずに時間オーバー。

 背中を椅子に預けて、天井を彼女は睨む。

 ああ、聖ヴァレンティヌスよ、貴方は素晴らしい愛の使徒だったのかもしれないが、今や貴方が守ったそれは溢れにあふれて朝からこれだ。

 私のこのくたびれもうけ、どうしてくれようと少女は八つ当たり。汗を煌めきに変えて貼り付け、美人は得だと周囲に存分に思わせていることなど知らず、彼女は続けた。


「はぁ……朝から酷ぇ目にあったですぅ……」

「ん。お疲れ」


 そして、また先の自分のひと暴れを起こさせた男子、玲央の再登場に身を固くするのである。

 素直に、眉をひそめて百合は告げる。


「またおめーですか……なんか嫌な予感がするですねぇ」

「これ」

「は? ……まさかあんたぁ」


 向けられるは険。しかしそれくらいで去るのでは、百合のファンなんてやっていられない。

 また記念すべきこの日に、何もしないほど、彼は残念なファンでもなかった。実際のところ、好きな相手が居るなら金に糸目をつけずに買えと妹にせっつかれた結果の高級チョコを袋ごと遊ばせ、玲央は言った。


「これって逆チョコって言うのか? まあ、ファン代表として、頑張ってほしくてな」

「……倍返しはしねーですよぉ?」

「いいさ。もう充分貰ってる」


 ファンとして。そう言われてしまえば、先にアイドルを応諾してからさほど経っていない百合に、無視は出来ない。

 返すものなんてないのに、とおずおず受け取った百合に優しく玲央はそんなの良いのだと言って。


 そして更に、怖いものばかりだった妹の世界を明るく照らすのが好きだったシスコンは、ついでのようにこう語ったのだった。


「……それに、見返りなんて求めない心だって、あるもんだぞ?」


 その言葉の確かさを示すかのように、ふいと向いた背中はもう振り返ることはない。だが彼は多くには授受を気づかれることなく、大切なものを渡せたようだった。


 推しは、それを理解し、微笑んで。


「ありがと、ですぅ」


 それだけは、もうどこか違うところを見ているファンの鑑に言えたのだった。




「どーしたの、百合ちゃん、ぼーっとしちゃって……あ、その手の中の包はもしかして……」

「てい、ですぅ」

「あん! 百合ちゃんの脇腹つんつんが、わたしにすべてを忘れさせるー!」



 だいたい愉快で、ちょっとビター。これはそんなこんな、二月十四日の一部分。


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