第十四話 トップアイドルに、なるですぅ

 炎は、燃焼している。罪科を薪として、かけがいのない命だったものを煤として、それでも彼女の内では無常が盛んに。

 地獄というのは、本来何より空想であるべき代物である。末期の先の罰なんて、諭しのための道具でしかない方が良かった。こんなの、信賞必罰、それを教えるための機構とされて当たり前。


「でも、百合はここに居るですぅ」


 しかし、地獄の天蓋、最上として町田百合は人界を生きている。神すら目を背けずにいられない程に燃え盛る熱をその内に秘めて、ただこれまで懸命に生きてきた。

 それは過ちである。衆生全てが死に向かう為に存在するのであれば、もっと地獄らしく害として疾く死ぬのが本筋だっただろう。惨たらしく括られ暴かれ、そしてやがて蓋が外れた地獄は何もかもを溢れる罪科に浸して殺すのだ。

 だが彼女は望んでしまった。愛を、光を、焚べてしまいたくないこの世の全てを。百合の原初が地獄だからこそ、綺麗事でしかない薄弱な何もかもが、恋しくてたまらない。


「私の好きは、間違いなんですかねぇ……」


 だから誠実であろうとするだけ、バカを見る。そもそも、彼女の両親こそが例外的。そして、かの田所釉子の反応に至っては奇跡でしかなかった。

 地獄を見て、不幸にならない存在などなく、それから目を背かないものなど殆どあり得ずに。ならば、地獄を含んだ自分が愛されるなんていうことをこれ以上は望めない。

 それが、親愛なる師匠の有様によってまざまざと。さしもの金剛石のように傷のつかなかった胸元だって、衝撃に罅が入った。

 ああそれが、悔しくってたまらないのはどうしてか。好きな相手にもっと自分を見てもらいたいというのが、ワガママどころかタブーなんて、たまらない。


「本当は存分に愛してぇですぅ。でも、それをするためには、百合は地獄という私の本質を隠さなければならないなんてぇ……」


 綺麗可愛い格好いい。優しいキモい死ね。全ての感想は、表ばかりをさらって評価して、去っていく。それが一般の当たり前なのだとしたら、なんと寂しい有り様なのだろうか。

 愛さなければ、恋しなければ、相手の全てを見ようとしないなんて、そんなの侘しい。そう、思えてならないくらいに、百合という少女はこの世の全てに恋していた。或いは、愛していたのかもしれない。

 だからこそ、何もかもに認められ得ないそんな自分は嫌いで本当は見たくもなかったのだけれども、それでも何時までたっても付き纏う存在だからこそ、頑張って磨きもした。

 ピカピカにしたそれは、どうやら見る人によっては至極輝く貴石に見えるようであり未来を願われすらしたけれども、そんなもの別に欲しくはなかった。


「私は、私は……どうしてこんなものを、付けていなければ、人に混じれないのぉ? 何時まで、この目を隠していれば、いいんですぅ?」


 それは、きっと死ぬまで続くいないいないばぁ。さあ、果たして本当の私はどこに?

 怒りとともに百合はゴテゴテに装飾された目隠しを、高みから投げ捨てる。ひゅるりと、それは眼下に消えた。

 そして、少女は暗黒にて地獄を開く。真っ赤に、グロく。百合の視界は何時だって明瞭である。


「もう、嫌ですぅ。希望を見るだけ、私はバカを見ますよぉ。それが、嫌で嫌でぇ……」


 世界輝きに目をくらませその一員になりたかった、でも地獄の蓋でしかない彼女はいやいやをした。

 しかし、一人ぼっちを慰めるものなどここにはない。それはそうだろう、ここは破壊の最中の旧い建物の屋上。暗がりの中で見向きもされない、解体工事途中の残骸の中。

 歪なまでに外壁捲られ、天板一つと壁面ばかりが残ったそこに、百合は一人で汚れるのも破れるのも気にせずに登っていた。

 そして、その頂点で、朱く、紅く、熱く、止まる。手を月へと伸ばそうとして下ろし、少女はぼそりと言った。


「せんせーが生きたかった世界を、少しでも見ておきたいと思いましたけどぉ、止めましたぁ」


 だらりと、落ちた細い両腕。そして、百合は地を見つめる。

 ああ、バラして暴いたばかりの全ては不揃いで棘々しい。瓦礫はどれもこれもが、百合という生き物を貫き殺してしまえるような形をしていた。

 それをすら嫌わず、むしろ惹かれるあたり、もう駄目である。死後より生じたこの少女は、あまりに生きることに向いていなかった。

 それだけで、だから悲しくて涙を流したくても無理で、啼くことすら疲れてしまい、それでも鬱ぎきれない心の熱さにやられる。


「私なんてぇ」


 百合が見つめた限り、愛も希望もこの世にはあった。でも、地獄にはそれはなく、またあってはいけないのだと、両親と先生の姿にて既に理解できている。

 私は愛されてはいけなくて、でもそれが辛いから、だから。

 皆が幸せになるためには自らを殺すことが正解だと誰より知っている少女は、あえて笑う。


「あは。……死んじゃぇ」


 そして、空に向けて一歩。それだけでただの蓋でしかない少女は飛ぶことすらなく、するりと落ちる。




 このまま、過たず落ちることさえ出来れば、自分は先に見つけたガス管かなにかの目印に地に突き刺しているらしい鉄パイプの先端にこの胸元を通すことが出来るだろう。

 上手く行けばそれこそ、熱く、熱くもっと生きたかったと叫ぶばかりのこの地獄から逃れられる。

 血や肉と、それだけの意思のない屍になり文字通り常に味わい続けていた地獄の苦しみから終われるのだ。

 それはきっととても、幸せなことで。


「なに、やってるんだ君はあぁ!」

「ぇ?」


 だからこそ、何より町田百合に似合わない、それはそれはハッピーエンドだからこそ力強く否定された。

 救いを求めていなかったはずの手は落ちる中に空へと伸びていて、そしてそれを掴んだ、なんとか捕まえられた誰かが一人。

 月光が照らして、正体を表したその顔は整いを力みで台無しにしていて。でも、何より真っ直ぐありのままの百合を怖じずに見つめていた。

 鳶色の中に、何より穢い黒が交じり、でもそれは想いによってどうでもいいとされる。


「あのさぁっ!」


 そして彼、中井裕太は飛ばずに落ちて死のうとした、見初めたばかりの我がアイドルの手を取り、盛大に怒って叫ぶのだった。

 心より、大人気なくもそんなことすら気にせず愛と言うには身勝手に、思いの丈ばかりをぶつける。


「ふざけるな! 幸せにも成らずに、泣き喚きもせずに、死ぬんじゃない!」

「あぅ」


 そして、思い切り、彼は少女の肩関節の悲鳴なんて必要経費だと思い切り百合をその両手で引きずりあげた。

 その際にびり、という音がして少女の纏ったひらひらの半分ぐらいが剥ぎ取れたが、気にもしない。

 ジムで未だに無駄に鍛えていて良かったと、殆どはじめて裕太は考えながら息を整える間もなく、最悪より低く絶望よりも深い目を受け容れずにただ認めて続けた。

 黒を纏ったままうずくまる百合に、罵声のようなそれらは容赦なく降り注ぐ。


「君が地獄を持ってるとか、聞いたし、見た! 落ちる理由もこっそり耳にしたよ! だがそれがどうした! それくらいで、愛されることを諦めるなっ!」

「そんな、そんなの……突然出てきたアンタが、百合のことを知ったふうにぃ!」

「知らないよ! でも、オレは百合ちゃんの地獄だって、知らないしどうだっていい! その程度で、キミを諦められるもんかぁ!」

「はぁっ?」


 夜な夜な街なかの残骸の上で絶叫をぶつけ合う、汚れだらけの男女二人。周囲の人間たちの中には、大声に何かと思い窓をあけて彼らを探そうとするものも居た。

 だが、月夜は曇りで塞がれて光薄く、一体全てが真っ黒でどうでも良くなるくらいに一色。続く怒声ばかりを、彼らは聞くのだった。


「オレは、地獄はよく見ていないけれど、孤独は知っている! だから分かる! キミはきっと望まれるべきだ!」

「そんな……意味分かんないことぉ……嘘ですぅ!」

「嘘じゃない……嘘じゃないんだっ!」


 闇に、地獄が輝き、その向かいに涙が溢れる。彼は、誰かのために泣いているわけではない。けれども、百合にとって、その落涙は大きな慰めになる。

 だって、この人は地獄を孕んだ自分を嫌っていない。むしろ、好きでしかなかった。そんな理由は、どういうことか。

 それは、彼の生きてきた歴史に殆ど書いてあるのだが、端から愛の欠損したそれは非常に自分勝手で、しかし途中から誰かの為へと変貌し歪みきっていた。

 故に、誰にも惚れることさえなかった彼は、しかし百合にこそ愛を覚えた。だって。


「だって、死ぬまで一人ぼっちは、寂しいじゃないかっ!」

「っ!」


 がん、と重複した言葉が百合の胸元に響く。そればかりは、きっと少女にとってだって真理で。

 彼が濃い、濃い孤独の影の真っ黒に浮かんだ白の鮮烈さに、希望を覚えたのは、単純。それこそ自分がなりたい、魅せたいものだったから。

 極まった不幸が望み叶えて幸せになるなんて、そんな素晴らしいもの、一つはこの世界にあって欲しい。そんな希望は自らを題材にしては叶わなかったけれど、でも彼女となら。


 夢を見た。不幸と比較してしか笑えない少女が、ひたすらおかしさに笑む真っ白な未来を。

 そのためには、最早自分はアイドルのマネージャーというだけの存在で構わないのだ。むしろ、そのために自分はこれまで不幸せだったのだと勘違いすらして、裕太という男は。


「だから、オレには君の地獄なんて、どうでもいい! ただ、オレのために、幸せに、なってくれ……アイドルに、なってくれ……」


 最早悲鳴のようになった声は無常にも夜の空隙に消えていく。騒々しくなった周囲に、ただ陽炎のように百合の瞳から浮かび上がる地獄の炎ばかりが、幽幻を超えて悪でしかない。

 人は、だからこそ遠目に恐れて鬆だらけの足場に近づかなかった。でもそのおかげで二人の時間は貴く守られ、そして。


「ふふぅ……」


 泣けない少女は、だから笑うのだった。感情表現が削られていようとも、それで全部を諦めるのは確かに馬鹿だ。

 そして、自分に地獄があるからといって、天国を掴むことを諦めるのだって、きっと間違ったことで。


 これまで、百合は怒りだって恋だって燃して、前進してきた。

 その全ては、しかし決して停まるため、死んでしまうためではないのだ。そして。


「あは。よろしく、してやるですよぉ」


 どうしてだって彼女は瞋恚とは違い、憧れだけは焚べることが出来なかったのだ。


 ああ、自分は絶対に、心よりクズでゴミでそれ以下で、どうしようもなく死んだほうが良いのだけれど。

 でも。


「百合は、絶対に皆を幸せにしてぇですから」


 そればかりの夢にもならない妄想は、大切だったのだ。



「よろしく、お願いするですよぉ」

「ああ」


 時計の針はちょうど天頂を廻った頃。二人の手も同じく重なり、傷だらけの手のひら同士が熱を伝え合う。

 立ち上がった彼女のために彼は、レースの欠片を用いて地獄を隠す。新しくもきたなく歪な目隠しの下で、桃色の綻びが月光に浮かんだ。

 裕太は、ふと口元を曲げながら、百合に問った。


「それで、百合ちゃんは、これからどうしたい?」

「百合はぁ……」


 どうするもこうしたもなく、燃えた心は再び真っ直ぐ道を進んでいくだろう。それは決まったことで、どうしたいという気持ちなんて最早関係ない。

 だが、そうなりたいという気持ちも、勿論あった。

 そして、もう一つ。町田百合という地獄の蓋には義務もある。それを含めれば尚更。


「トップアイドルに、なるですぅ!」


 天上という位置は、この世の全てに地獄を教える最大の好機でもあるのだった。


「うふふ」


 ああ、地獄は残酷で、削がれた生と悪の至極でしかないのかもしれないけれど。



 それでも何時か、皆のために。

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