第1章 第4話

(………………あ、そうだ、昨日から舞原家に来てたんだった)


翌朝、見慣れない部屋に一瞬戸惑った修也だが、すぐに状況を思い出した。

ベッドのすぐそばに置いてある時計を見るとまだ5時半ば。起きて動き出すにはまだ早い時間だ。

しかし修也は引っ越してくる前からずっとこれくらいの時間に目を覚ますことを習慣としている。

引っ越して環境が変わっても習慣として身に沁みついていることはそう変わりはしない。

ただ、修也がこんなに早起きなのには理由がある。


(さて、蒼芽ちゃんたちが何時に起きるかは知らないが……それまでに起き上がれるかな……?)


修也は目が覚めるのは早いが、そこから動き出せるようになるのにかなり時間がかかる。

で、結局普通に動き出すのは一般的な時間と大して変わらないということになってしまうのだ。




こんこん




「修也さん、起きてますか?」


修也が目を覚ましてから30分程して、修也の部屋のドアがノックされた。

声からして蒼芽だろう。


「あぁー…………」


修也は返事をする……が、とてもちゃんとした返事には聞こえない声しか出ない。


「……修也さん? ちょっと失礼しますね」


ドアの向こうからそんな声が聞こえ、ドアが開けられた。

隙間から顔をのぞかせたのはやはり蒼芽だ。


「あ、もう起きてたんですね。おはようございます」

「あー、うん……」

「? どうかされたんですか? 気分が優れないとかですか?」

「いや、大丈夫……」

「ああ、寝起きで調子が出ないとかそんな感じですか? 」

「そうそう……」

「分かりました。登校するまでまだ時間に余裕はありますから、ゆっくり準備してくださいね」

「ありがとう……」

「どういたしまして。では失礼しますね」


その言葉を最後にドアは再び閉められた。


(……よし、そろそろ動けそうだ)


そこからさらにしばらくしてからようやく起き上がれた修也は着替えを済ませ、部屋を出た。



「おはようございます修也さん。ゆうべはお楽しみでしたね?」

「おはようございます紅音さん。そのネタも分からない人が増えていくんでしょうね。あとお楽しみではありません」

「あら残念」


朝起きていきなりの紅音のネタ振りを軽く流して修也は昨日の夕飯の時と同じ席に座る。


「修也さん、朝はパンですか? それともお米ですか?」


紅音もさらりと流して次の話題に移る。


「あ、パンでお願いします」

「はい、ではちょっと待っててくださいね」


そう言って紅音は台所に行った。


「修也さん、アレの意味は何となく分かるんですけど、そう言えば元ネタって私知らないんですよ。何なんですか?」

「とある超有名なRPGでのネタだな。お姫様を救出してそのまま城に返さないで宿屋に泊まると翌朝宿屋の主人に言われるんだ。『ゆうべはお楽しみでしたね』って」

「うわぁ、露骨ですね」

「それゆえネタになったんだろうな」

「修也さん、パンには何を塗りますか?」


紅音がパンを焼いて台所から出てきた。

修也はそれを受け取る。


「あるならバターかマーガリンをお願いします」

「ジャムもありますよ? 蒼芽が好きなんですよ」

「そうなの?」

「はい。特におすすめはこのブルーベリージャムです」


そう言って蒼芽は食卓の上に置かれていたジャムの瓶を手に取った。


「ここでも青が好きなのか……」

「いえ別に青だからという訳では……普通においしいからですよ」

「じゃあせっかくだしちょっと貰ってもいいか?」

「はい、どうぞ」


そう言って蒼芽は修也のパンにジャムを塗った。


「修也さん、うちでは朝食に卵料理を一つ出すんですが、何か希望はありますか?」


台所に戻っていた紅音が顔だけ出して修也に尋ねる。


「じゃあ目玉焼きでお願いします」

「分かりました。じゃあもうちょっと待っててくださいね」

「目玉焼きといえば、修也さんは目玉焼きに何をかけますか?」

「んー、塩だな」

「あ、私と一緒ですっ」


修也と同じであることが嬉しいのか、顔を綻ばせる蒼芽。


「ソースや醤油・ケチャップやマヨネーズなんて人もたまにいますけど、やっぱりシンプルなのが一番だと思うんですよ」

「確かにな。特にマヨネーズは卵使ってんのに……って思ったこともある」

「あ、私もです」

「修也さん、食後の飲み物は何にしますか? コーヒーと紅茶が用意できますけど」

「あ、じゃあコーヒーでお願いします」

「あ……修也さんはコーヒーなんですね。私は紅茶です」


蒼芽は今度は残念そうに表情を陰らせる。


「まあどっちもいけるけど気分次第かな。でもどっちだろうとミルクと砂糖は入れる」

「あ、それなら私も飲めます」

「ふふふ、相性ピッタリですね」


そう言って紅音が修也の頼んだ目玉焼きをもって台所から出てきた。


「昨日の晩にも言いましたけど、修也さんがいるだけで食卓の雰囲気がかなり明るくなりましたよ」

「そうですか? あまり自覚無いですけど」

「ええ、修也さんさえ良ければずっとここで暮らしてほしいくらいですよ」

「ちょっ、お母さ……」

「そうですねー、それも良いかもしれませんね」

「えっ?」

「え?」


紅音の言葉に慌てて反論しようとした蒼芽だが、修也が普通に受け入れた事に驚く。

そしてそんな反応をした蒼芽に修也が首を傾げる。


「え? 蒼芽ちゃん、俺何かおかしなこと言った?」

「え? あっ、い、いえっ、何でもないです」


修也としては特に深い意味は無く、楽しい食卓を囲めること、そしてそれに自分が一役買っていることが嬉しいだけだ。

しかし蒼芽は修也とは違う解釈をしたようだ。


(気になるけど……深入りはしない方が良さそうだなぁ)


あれだけ好意的に接してくれてはいるものの、ずっと居候されるのは流石にちょっと……とか言われたら立ち直れそうにない。

そう考えてあまり詮索しない方がいいと判断した修也はブルーベリージャムがたっぷり塗られたトーストに噛り付くのであった。



「あ、そうそう蒼芽、修也さん」


朝食を終え、学校に行くために玄関で靴を履いていた二人に紅音が声をかける。


「今日は昼から雨が降るかもしれないから傘を持って行った方が良いわよ」

「あ、そうなの?」

「良かった昨日のうちに出しといて」

「ですね」

「あらそうなんですか? 残念だったわね蒼芽」

「え? 何が?」

「相合傘できるチャンスだったのに」

「お母さん!?」

「いや、そもそも今日は俺たち帰る時間別々ですよ?」

「え?」


また紅音の爆弾発言に驚いて反論しかけた蒼芽だが、修也の言葉に意外そうな表情で修也の方に振り返った。


「蒼芽ちゃんは普通に授業だろうけど、俺は転校の手続きだけだからな。遅くても昼前には終わる」

「そうなんですか……相合傘は置いといて、一緒に帰りはしたかったです。残念です……」


そう言って本当に残念そうな顔をする蒼芽。


「まぁそんな機会はこれから先いくらでもあるだろ」

「……そうですね。じゃあお母さん、行ってきます」

「行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」


気を取り直した蒼芽と共に修也は玄関の扉を開ける。

その二人の後姿を紅音は笑顔で見送るのだった。



 通学路を二人並んで歩く。

修也が車道側で蒼芽が歩道側だ。

一応ガードレールで車道と歩道は仕切られているが、何となくそうした方が良い気が修也はしたのだ。

こういう第六感的な直感があった時、修也はそれに従うことにしている。

それで危機回避できたことが今までで結構あったからだ。


「それにしても修也さん、朝弱いんですね」

「ああ、自覚してる。しかも相当なレベルで」

「良かったら毎朝私が今日みたいに起こしますよ?」

「え? うーん、そうだなぁ……」


蒼芽みたいな可愛い女の子に毎朝起こしてもらう。それはとても魅力的な提案だ。

それだけで一日気分よく送れそうではあるが……


「いや、流石に世話になりすぎだろ。このままだとおはようからおやすみまで世話されそうだ」

「あ、良いですねそれ。是非やらせてください」

「いやいや待て待て冗談だ。前世でどんな徳を積んだらこんな展開になる?」

「むしろおはようから次のおはようまでお世話するっていうのはどうでしょう?」

「……うん、蒼芽ちゃん、君は間違いなくあの紅音さんの娘だ」

「褒められてるんですかね、それ?」

「想像に任せる。まぁとにかくそこまで負担はかけられない。だから大丈夫だよ」

「だったら声かけ! 声かけだけでも良いですから!!」

「え、なんで蒼芽ちゃんが譲歩する側なの?」


やたらと食い下がってくる蒼芽。

本人がここまで強くやりたいと言ってることを断るのもなんだか気が引ける。


「……分かったよ。じゃあ声かけだけ頼むな」

「! はいっお任せください!!」

「……良いのかなぁ?ここまで身の回りの世話させちゃって」

「良いんですよ。何度も言いますけど私がやりたくてやってる事ですから。何ならプロフィールを書く機会があったら趣味の欄に『修也さんのお世話』って書きますよ!」

「書かんでよろしい」


そんな雑談をしながら歩いていると、後ろからトラックが走ってきた。

トラックはすぐに二人を追い越し、そのまま走り去っていく。

しかしその途中で道路に転がってた小石を踏みつけてしまい、弾かれた小石が二人に向かって飛んできた! 


「危ない蒼芽ちゃん!」

「え? きゃぁっ!?」


修也に言われて気づいた蒼芽は短い悲鳴を上げる。

修也は反射的に蒼芽を庇い、持っていた傘を前にかざした。




ガィンッ!!!




運よく小石は傘に当たり、修也達の前に転げ落ちた。


「び、ビックリした……蒼芽ちゃん、ケガはないか?」

「は、はい、おかげさまで……でも凄いですね修也さん」

「えっ?」

「弾け飛んできた小石に傘を当てるなんて」

「………………い、いやぁこれはマジモンの偶然だよ。まだ心臓がドキドキ言ってるし」

「私も変な汗かきました……」

「とりあえず無事だったんなら良かった。さっさと行こう」

「そうですね」


修也に促されて再び二人は学校への道を歩き出した。




……しかし突然のアクシデントによる衝撃で蒼芽は気づかなかった。

先程の傘に小石が当たった音はとてもそうだとは思えない、硬質な音だったこと。そして……


(や、やべぇ! とっさのことに思わず『力』使っちまった! どうやら蒼芽ちゃんは気づいてないみたいだけど……)


修也の動悸の理由が蒼芽のそれとは違うということに。

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