[追記:『猫』による【猫】の語り、或いは同族嫌悪の噺]

さてこれで退屈凌ぎの昔話は終わりだ。とある遊郭の愛を孕んだ猫の話、なかなか面白かっただろう?暇潰しにはなったはずだ。・・・うん?悪趣味?

酷いことを言うなぁ、君も。愚かしくも一途な慕情の物語じゃないか。

まあ、否定はしないけれどね。

さてこれで話は終わりだが、一方的に聞いているだけでは分からないこともあっただろうから質問を受け付けよう。なんでも聞くといい。答えたい気分になるものだったら答えるから。

ん?結局なんでふたりは異界に迷い込むことになったんだって?

はあ?!え、もしかしてそこから?そこから理解出来ていないのかい?じゃあ最後の猫と少女の会話なんて、まるっきり理解してないじゃあないか!

いやはや、君の読解力の無さには恐れ入るよ。・・・ああ、悪かったよ。悪かった。

何もそんなに不貞腐れた顔をしなくてもいいだろう。どうして君は自ら自分の顔面偏差値を下げようとなんてするんだい?

おっと、君の機嫌が完全に損なわれてしまう前に、説明するとしよう。

ーーあの小指はね、【胎】にされた遊女の「たすけて」のサイン、いわばSOSだったのさ。

彼女は、たすけてほしかったんだ。

だってそうだろう?そりゃあそうさ。殺された挙げ句に死体は八つ裂きが生ぬるいほどに小刻みに切り裂かれ、散り散りになった魂ごとあの狂った異界に繋ぎ止められた。おまけに愛しい自分の赤子はもはや見る影もなく変質していく。あの状況で、正気を保っていられる方がおかしい。

苦痛と絶望と慟哭に苛まれ、悲鳴を叫び続けるより他に仕様がない。

だがほんの僅かな間、瞬きほどの短い時間だが、彼女は幾度か正気を取り戻した。そして、自分を助けてくれる”誰か”を探したんだ。そして“偶然”少女を見つけた。男だったら【精】として捕らわれてしまう可能性が大きかったからね、女の方が良かったんだろう。そうして、彼女は少女の元へと小指を送り届けた。それが一番想いが籠もっていたからだろうね。かつて、届けたかった人に届かなかった小指を赤の他人に届けてまで、彼女はたすけてほしかった。解放してほしかった。救ってほしかったんだ。

まあ、だけど、その願いを聞く義務なんて、少女には当然存在しない。

あそこまで歪みきって、幾人もの思惑と呪いで何十年も熟成された異界なんて、流石に荷が勝ちすぎる。

最後に小指の意味に気付いた少女は、そう判断したんだろう。

そしてその判断は恐らく正解だったよ。少女が優先すべきは少女自身の命と、巻き込んでしまった少年の命だったからね。

可哀想だと、憐れだと思っても。

たったそれだけを理由に手を差し出せるほど、少女は愚かでも優しくもなかった。

彼女はヒーローなんかじゃないんだ。そんなことを言われても”困る”だけだ。

それだけの話さ。

あぁ、そういえば語り損なった話もあったね。

ほら、【胎】になった遊女のお相手の男のことだよ。

彼女も【猫】も男が裏切ったと信じてやまなかったが、本当にそうかな?

ふふ。実は知ってるんだよ。彼のその後を、ね。

彼はね、約束を破るつもりなんて毛頭なかった。きちんと一万円とともに、迎えに行く予定だったんだ。でも残念なことに、本当に残念なことに、約束の二日前にね、

ーー死んでしまったそうだよ。

丁度身請け金を運びながら山越えしようとしていたときに、山賊に襲われてしまったらしい。

まあ無理もない。なんせ、一万円は大金だ。護衛もなしにそんな大金を持ち運んでいたら、そりゃあ狙われもするだろう。でも、なんてタイミングが悪いんだろう!よりにもよって、ねぇ?

ああ、でもこの話にもおかしなところが少しだけある。大正時代の一万円は、現在の金銭に照らし合わせれば約一千万円だ。彼はどうやって、そんな大金を集めたんだろう?

彼には充分な時間はなく、そんな大金を快く出してくれる知人もいなかったというのに。

ーー嗚呼そういえば。あの遊郭があった花街の通りで兎の面をつけた男が、別の男に話しかけていたのを見た、という人がいるらしいよ。なんでも、たった七日で大金を稼げる良い仕事があるとかいう、怪しい口上だったとか。

不思議だよねぇ。結局、【兎】は何だったんだろうね?

それにしても。

語っておいてなんだけれど、お世辞にも「昔噺」とは言えない話だね、これは。

逸話のように語るには、醜悪すぎるし滑稽すぎる。生々しすぎるとも言える。

何より子供の教育に悪い。

いやはや、ここまで業も深ければもはや何も言えまいというものだよ。

・・・うん?もしかして私が同情しているのかって?

まさか。

嗤いこそすれ同情なんてしない。無闇な期待をしないでくれ。私は猫が嫌いなんだよ。

猫みたいな癖に、だって?

ははっ。否定はしない。でもだからこそ嫌なのかもしれないよ?同族嫌悪というやつだ。

犬は忠心で死ぬが、猫は情に狂う。

愛だろうが呪いだろうが、私はまっぴらごめんだよ。

あそこまで”おかしく”はなりたくない。

狂ってしまうほどの感情なんて、いらないんだ。だから私は、愛なんて嫌いだよ。


おや?あれが愛だった、という言葉に、君は随分と怪訝そうな顔をするんだね?ははあ。さては君、少年と同じタイプの人間だろう?「愛」は誰も傷つけない、御伽噺の終わりのように優しく綺麗で尊いものであると、そう信じたがっているのかい?

幻想を追うのは構わないがね、「愛」なんて所詮、主観でしか語れない感情のひとつに過ぎないよ。傷つけもするし呪いもするし壊しも殺しもする。そういうものだ。たいせつにしたいと想う気持ちが「愛」だというのなら、「愛」とは最も共有不可能な概念だとも。自分にとっての”たいせつにする方法”が、相手にとっての、或いは他者にとっての正解だとは限らない。奇跡を起こすのは「真実の愛」なのかもしれないが、奇跡を起こさず絶望を喚ぶ愛だって世界には星の数ほどある。

この世に、傲慢じゃない「愛」なんて存在しないよ。

「愛」とは個でしか測れないものだ。故にそれは、単なるエゴの総称でしかない。



・・・・・・まあ、感じ方は人それぞれだ。君があの【猫】を否定したいならそれはそれで構わない。私も自分の考えを無理に人に押し付けようとは思わないからね。

でも、覚えておいたほうがいい。

この世には、吐き気を催すような醜悪な「愛」の話が、結構存在するものだよ?





そう、言って。

三日月型の髪飾りをつけた女は、にたりと『猫』のようにわらった。



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