草原演義

秋田大介

巻一

『序』

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※『草原演義』の世界へようこそ。

この序文は、あえて本編よりやや難しめの文体で書かれています。

読みづらいと感じた方は、次話「第 一 回①」からお読みください。

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 そもそも人の世というものは​、​治まれば乱れ、乱れれば治まるといったことを、幾千年もの長きにわたって繰り返してきたのである。


 上天​テンゲリ​​の広大さに比べれば、大地エトゥゲンうごめ人衆ウルス​など砂粒の​ごとき取るに足らぬ身ではある。各々つまらぬヨスを掲げて、​これもまたあくたの​ごとき一片の地を争う愚かしさに思い至らず、延々と血を流し続けるはまったく空しきことと言うほかない。


 さて、中華キタドの北に草原ミノウルと呼ばれる地がある。その広さたるや方四千里、メンドゥ、カオロン、ズイエの三大河ゴルバン・ムレンが地を分かち、ドゥシット​山、オロンテンゲル山​より北へはシェンガイ山嶺の偉容がうち続く。


 人衆の性向たるや、中華キタドの書には化外蛮夷かがいばんいなどと罵られたるが、その実、​まことに純朴にして剛健なる美風の主である。畜牧に従って​広く草原ケエルを​転移し、幼少のころより馬匹に親しみ、壮丁はいずれも騎射に長じた万夫不当の精兵である。


 かの地には、古来より大小さまざまな部族ヤスタンが興っては滅び、また滅んでは興った。強くなればまとまり、弱くなれば分かれ、とき​には長城ツェゲン・ヘレムを越えて中華キタドを侵し、​ときには漠土エレドを渡って西域ハラ・ガヂャルを脅かした。


 古に鄭の幽王は融戎ゆうじゅうの来寇に都を失い、慎王えい卑蹶ひけつの跳梁に憂死した。また燕の太祖をえい山に囲んだ狛奴はくど鳧斗単于ふと・ぜんうがあり、東西万里を制して遠く大晉国にまで名の轟いた黒靼こくたん鵝奢可汗がしゃ・かがんがある。


 大興の太祖に至っては、中華キタドの乱れに乗じて長城の南に都を​遷うつし​、華人の肝をおおいに冷やした。いずれも一世の英傑​クルゥド​であるが、惜しむらくは事績を伝えるもの​とてなく、時世めぐって乱世の​間に散佚してしまった。




 今ここに東西古今を見渡してもっとも優れた英雄があるが、私はその偉大なる事績も同じように消え去り、忘れられてしまうことを切に惜しんで、これを世に伝えんとするものである。


 かのものは、麻のごとく乱れた世を収め、法​ヂャサ​を示して人倫を復し、兵を用いて四隣の暴君を除き、大陸の東西を結んで史上稀なる平安楽土を現出した大英雄であるが、いまだ誰もその事績を記していない。


 もとより蛮夷の主のこととて軽侮あるのはやむなき仕儀なれど、その波瀾万丈なる人生は瞠目に値し、卓絶せる才略をればまさに英雄と呼ばれるに相応しいことが誰にも理解できよう。


​​​ その時代は、草原ミノウルにも類なき乱世であった。人倫は地に堕ち、血族すら相討ち、連日何処かで干戈の響きが上がっていた。弱肉強食とはよく謂うが、まさしく己の力よりほかにたのむものすらない有様。


 さらに中華キタドを治める梁の皇帝は、近接せる大族と結んで謀略をもって乱をあおり、憐れな草原ミノウルの民はいつ果てるともなき争闘に狂奔していたのである。もしかの英雄なかりせば草原ミノウルは荒廃し、人の住む地ではなくなっていたやもしれぬ。またのちの東西交易の隆盛もありえなかったことは論をたない。




​​​​ その英雄の名は、草原ミノウルではインジャと云い、中華キタドの史書に拠れば、いみなを魏允長、渾名あだながあって義君、または赤心王​フラアン・セトゲル​とも称される。


 数多の盟友​アンダ僚友ネケルを率いて部族ヤスタンを統一し、まずは城爾陳合罕ジョルチン・ハーンの名で即位した。のちには、大原大合罕ミノウル・ハーン​​の号を奉られる。ついには大征西の途に就き、さらに長城を越えて中華キタドに入った。諡号しごうは「太祖義武皇帝」。


 これは、その魏允長の一代英雄記である。聡明なる諸士に我が意中の伝わらんことを祈念してやまない。



とある竜の年、阿州準縄楼にて


奇子拝


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『詞』


 ​……やがて白き狼は上天テンゲリ​に登る道を見つけた

 飲まず食わずで歩くこと千日

 ついに白き狼は上天の王である太陽にまみえた


 「私は大地エトゥゲンの王

 はるばる上天テンゲリの王に会わんとて参った」

 「私は上天テンゲリの王

 あなたの雄心にはまことに感心いたしました」


 白き狼はそれを聞くや、咆哮一声、太陽に襲いかかった

 大地の王が上天の王を犯し、一子をはらませた……


  これはその昔本当にあった物語ウリゲル

  草原ミノウルが乱れて血に染まるとき

  きっと天地の王の子が現れて

  ヂャサを定めてくれるでしょう……


 ―『ダヤン・ミノウル・チャドゥ』より―​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

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