将軍レジーナ 〜金蘭の契り〜
ムーンストーン
第一話 大丈夫、俺は明日もがんばれる
ここは戦場のど真ん中。
俺は、蟻のように湧き出てくる敵兵を、次々と薙ぎ倒しているところだ。
目の前に現れた敵を、肩から斜めに斬り伏せれば、
その身体は、くにゃっと曲がって、地面に沈んだ。
視界が開けた先には、騎馬に乗って戦う、将軍の姿が見える。
将軍レジーナ。
女だてらに、その若さで、将軍の地位にまで上り詰めた。
軍略の才に抜きん出て、出陣する戦では負け知らず。
剣の腕前も一流だ。
俺も食らったことがあるが、その一撃は凄まじい。
結い上げていた髪が、激しい戦闘の最中に解けたのか、
激しい動きに合わせてたなびく赤い髪は、まるで血まみれの軍旗が翻っているようだ。
そんな将軍が自ら、俺らと一緒になって、敵陣のど真ん中で戦っているんだ。
そんな姿を見せられて、俺らが奮起しないわけにはいかないじゃないか。
横からまた敵兵が飛び出てきて、俺は、迷わず剣を振った。
畜生!
血生臭さが強烈になったと思ったら、顔中に返り血を浴びていた。
腕で顔を拭って目を凝らせば、将軍が馬から飛び降りるのが見えて、ぎょっとした。
おい、戦いの最中に、騎馬を乗り捨てるなんて、正気の沙汰じゃない!
将軍は、敵に殺られかけてた味方の兵を庇って、対峙する敵兵へ切り込んで行く。
激しく撃ち合って、将軍の剣が、敵の兜を跳ね飛ばした。
素顔を晒した敵兵は、意外と整った顔立ちで、鮮やかな金髪が汗で額に張り付いているのが見えた。
金髪の、整った顔立ち……。
途端に、将軍が、敵兵を前にして凍りついた。
レジーナ‼︎
その瞬間、俺は、脳天に雷が落ちたように、恐ろしさに全身が震えた。
俺が、将軍の前に飛び込むのと、敵兵が切りつけてきたのは、ほぼ同時だった。
重い剣戟の音が響き、その衝撃に吹っ飛ばされた。
軽く目の前に火花が散ったが、構わず、必死に敵兵の姿を探す。
だが俺が目にしたのは、その敵兵が、悔しげに後退して行く姿だった。
俺の両脇を、味方の兵達が駆け抜けて行く。
気づけば、将軍の周りを、援軍がぐるっと囲んでいた。
ふうっと息を吐いて、俺は、凝り固まった全身の力を緩める。
「ほら、クライド、立てるか?」
何事もなかったように、俺の方へ手を差し出す将軍を、俺は思い切り睨みつけた。
今、俺はものすごく腹が立っている。
「レジーナ‼︎ 戦いのど真ん中で、馬から降りるのは、無茶だろう‼︎」
俺は、立ち上がるなり、将軍を名前呼びして、怒鳴りつけた。
将軍だろうが、構うものか!
軍に入隊したガキの頃からの付き合いだ!
レジーナは、決まり悪げに、指先で頬を掻いている。
「えっと、申し訳ない。でも」
そう言いながら、ゆっくり顔を上げ、俺の目をまっすぐに見つめてきた。
「貴方が、私の背を守ってくれるんだろう?」
そう、無邪気に笑った。
で、俺はそれ以上、何も言えなくなった。
俺らの将軍は天才だ。
剣の腕前も一流だ。
だが、こいつも人の子で、残念な弱点が一つある。
それは、
そう眉目秀麗な男性のことだ。
こいつは、
表情が消え失せ、呼吸困難になったかと思えば、涙目になる。
挙げ句の果てには、何かの禁断症状のように手足が震え始める。
特に、金髪碧眼は致命的だ。
王宮で、近衛隊長に面会した時は、本当に大変だった。
おかげで、将軍直属の俺らは皆、素顔を隠すことになった。
顔の造作には関係なく、誰もが揃いも揃って、髭は剃らず、髪も伸ばし放題。
まあ、楽だしな。
気づけば、軍全体が、山賊集団のような有様だ。
もちろん、俺だって、立派な山賊の一味さ。
「あれ? クライド、血が出てるぞ」
レジーナの手が、俺のこめかみに触れた。
俺のぼさぼさの前髪を、そっと掻き上げて、傷口を確認している。
すぐ目の下に寄せられた、小さな顔。
お前は、俺の素顔を見ても、凍りついたりしないんだな。
少し、モヤっとした。
これでも、街に出れば、声をかけられたりするんだぜ。
「派手に血は出てるけど、傷は深くないようだ」
レジーナの手が離れていく。
「別に、こんな傷、唾で舐めときゃ治るんだよ」
俺は、そう言いながら、乱暴に前髪を下ろした。
俺らの将軍は天才だ
剣の腕も一流だ。
絶大な人気を誇る、我らが将軍。
だが、それは、こいつが強くて、美しいという理由だけじゃない。
戦場で、誰かが危うくなれば、自分が真っ先に敵の前に飛び出てゆく。
誰かが怪我をすれば、必死で救出に向かう。
誰かが亡くなれば、あたり構わず大泣きする。
誰一人死なせるものかと、こいつは必死に作戦を立てる。
その作戦は、被害を最小限に抑えながらも、必ず勝利するものだ。
だが、練る間も惜しんで、何度も作戦を練り直す姿を、俺らは知っている。
良い作戦ができたと、目の下にうっすらと隈を浮かび上がらせて、笑うんだ。
そして、作戦が成功すれば、それはもう、極上の笑顔だ。
そういえば、小隊長に出世した時、突然、軍専属の料理人を雇うと言い出した。
栄養状態が悪いと、病気や怪我につながるからって。
軍の上層部に掛け合っても聞き入れられず、結局、自腹で雇ってたな。
「俸給が上がっても、使う暇もないし、独身だし」
そう言って、笑ってた。
その後も、階級が上がるたびに、宿舎を整え、衛生環境を改善し、備品の質を上げた。
そんな将軍について行くために、俺らは、もっと強くならなければいけない。
そこは、副官の俺の役目だ。
皆を扱いて、扱いて、扱きまくる。
強くなれ!
将軍が、自ら敵陣に飛び込まなくてもいいように。
将軍が、戦いの後で、大泣きしなくても済むように。
絶対に生きて還れ!
俺達は、戦闘の後始末を終えて、ようやく本陣に戻ってきた。
レジーナと共に、軍議の場へ向かう。
「今日は、若い兵が目につくな」
歩きながら辺りを見回して、レジーナが呟く。
「クライドは、軍に入ったばかりの頃を覚えてる?」
「うん? そんな、十年上も前のことなんかなあ」
うろ覚えのような返事をしたけれど、はっきり覚えてるさ。
お前も俺も、まだ十代の若造で、戦いの朝は毎度、武者震いしっぱなしだったよな。
我むしゃらに戦って、訓練して、ぼろぼろになって。
そんな毎日を繰り返してるうちに、お前は眩しいくらい、綺麗になっていて。
でも、そんな事に気づいた時には、お前はさっさと上官と結婚してたっけ。
ああ、はっきり覚えてるさ。
お前の花嫁姿は、本当に綺麗だった。
相手は、俺たちの上官で、厳しかったけど、面倒見の良い隊長だった。
剣の腕も立って、顔も良くてさ。
将来は、近衛に引き抜かれるか、将軍になるかって、言われるほどの人だった。
そう、金髪碧眼の
それから、あの日のことも、今でもはっきり覚えてる。
あの日は、国境に押し寄せてきた敵を追い払うだけ、そう言われて出撃したんだ。
でも、上層部の作戦が失敗して、部隊の一部が敵の挟み撃ちにあっちまった。
味方を逃すため、
遺体は戻ってきたんだ。そりゃあひどい有様で。
身体中が滅多切りにされていて、首なんか
お前は、そんな首を大切そうに抱きしめて、声も出さずに、ずっと泣いてた。
暫くして、お前は狂ったように訓練するようになった。
夜も寝ずに、軍略の勉強もするようになった。
皆を守りたいんだって、真っ赤な目をして呟いて。
俺は、そんなお前を十年以上も見てきたんだ。
なあ、
今でも、あの、
まだ、その胸は痛むのか?
ぼんやりと昔のことを考えながら、建物の中へ入ると、
すぐに、何やら人だかりがしているのに気づいた。
揉め事かと、声をかけたが、どうやら違うらしい。
人の輪の中に、項垂れた様子で座り込む、若い兵士の姿が見える。
ああ、あいつは、さっきレジーナが無茶して助けた奴だ。
突然現れた将軍の姿に驚いて、若い兵は椅子から飛び上がった。
「レジーナ将軍!」
直立不動の姿勢をとる姿は、まだ身体もでき上がっていないような若者だ。
「ああ、貴方はさっきの。腕の怪我は大丈夫か?」
「俺、全く役に立たなくて……俺なんか……」
将軍に労わられて、情けなさが増したのか、若い兵は今にも泣き出しそうだ。
今日のことで自信を失くして、兵としてやっていけなくなったら、気の毒だな。
「そんなに落ち込むな。私だって、戦場ではいつも、情けない思いばかりだ」
「えっ、将軍がですか?」
「まあな。だから、落ち込んだ時は、いつも、この戦争が終わった後のことを想像するんだ。自分の未来を想像すれば、その姿に向かってまた頑張れるから。
貴方は、どう? 戦さが終わったら、何をしたい?」
若い兵は、将軍を前にしているという緊張もあってか、返答に詰まっている。
レジーナは軽く笑って、俺の方を振り返った。
「じゃあ、クライド副官、貴方はどう? 戦さが終わったら、何を望む?」
戦さが終わったら?
毎日戦うのが当たり前で、そんなこと考えたこともなかったな。
俺は腕を組んで、目を瞑る。
「そうだな、戦さが終わったら、多分、俺はもう、軍にはいないよな。
力仕事でもして、毎日普通に働いて、
仕事が終わって、日が暮れてきて、
帰り道に見えてくる俺の家には、柔らかい灯りがついていて。
ただいま、って扉を開けると、
ほわっと、俺の好物の肉入りシチューの匂いがしてくるんだ。
俺の嫁さんが、そのシチュー鍋をかき混ぜていて、
おかえりなさい、って笑いながら振り返って……」
「ええっ!」
突然の叫び声に驚いた。
それまで、冷やかしやら、口笛やらで賑やかだった部屋が、一瞬のうちに静まり返る。
叫び声がした方を向けば、なぜか、焦った様子のレジーナが、両手で口元を覆っている。
「どうしよう……私、料理できない!」
えっ?
俺を含めた全員が、目を丸くしてレジーナを見つめる。
どうした、レジーナ?
なんだか顔が真っ赤だぞ?
途端に、レジーナは、その場の視線を一身に集めていることに気づいたようで、
はっ、と息を吐くなり、ものすごい勢いで、その場から逃げ出した。
えっ、なんだ?
レジーナがいなくなると、今度は、全員の視線がゆっくりと俺に移って、
一斉に、ニヤッとしやがった。
途端に、俺は全てを理解した。
身体中の血が一気に沸騰したように、全身が熱くなった。
「お前ら、外に出ろ! これから特訓だ!」
「はあっ⁉︎」
あっという間に、部屋中に、不平不満の嵐が吹き荒れる。
「うるせえ‼︎」
俺だって、自分が何を言っているのか、わかんねえよ!
おい、そこ! 文句を言いながら、ニヤニヤするな!
「クライド副官」
「なんだ!」
「耳が赤いっす」
「‼︎」
俺が拳を振り上げると、若い兵が、ぺろっと下を出して駆けて行った。
動悸が止まらない。
俺は天井を仰いで、片手で目を覆った。
熱の引かない脳裏には、さっき思い描いた風景が蘇る。
おかえりなさい、と言って、振り返った笑顔は……
そう……それが、俺の希望。
END
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