2皿目*アンパンマンカレー

菩提薩婆訶(ぼーじーそわーかー)


般若心経(はんにゃしんぎょう)



「はい、これでご法要が終わりとなります。

お線香をあげ南無大師遍照金剛と唱えれば、いつでも故人様にお会いできます。

どうかこうして掌を合わせお母様を偲んでいただけましたら、きっとお喜びになります」


ぼんやりと住職の話を聞いていた。

焚かれた線香の香りが母の葬儀の記憶を呼び戻す。


母の七回忌。

喪失の日々は、三回忌を過ぎた頃から思い出となり母がいないことが僕の日常となった。

長い思春期がそろそろ終わりに近づいていた頃、母は病いを発症しあっという間に逝ってしまった。


「法事って長いわー。お腹空いたねー。このあとどうする?これで終わりでしょう?早く喪服を脱ぎたいわ」


相変わらずドライだな、この人は。

彼女は僕の姉。3歳年上。


「何か食べて帰る?この辺りっていい店あるっけ?ちょっとリッチにお寿司とか食べたいね。七回忌も無事に終わってママも喜んでいるわよ」


はいはい、寿司ね。

俺も散々ドライな男子って母に揶揄されていたけど、あんたもドライだね。

俺はリッチな寿司よりも日本蕎麦ぐらいがちょうどいいな。こんな日ぐらい母親を偲んで静かに語らいたいと思うのだが姉はそうじゃないらしい。


昨夜は”ママがいない現実逃避”継続中って号泣してたよな。ちょっとリッチな寿司かよ。舌打ちしそうになった。


昔はイライラすると相手に即毒を吐いて瞬殺。俺も社会人になり少しずつ人間関係を学び、こうして今は心の中で毒を呟いているよ。七年の時は僕を少しは大人にしてくれたらしい。


昔を思い出し、またぼんやりしていた。


『こうすけ、いーい?一度口に出したらその言葉は取り消せないの。だから直ぐに怒り任せで発さないで、一呼吸してから言葉にするのよ。わかった?言葉はナイフ、毒吐かれた相手は痛いし血を流すのよ』


ハッとした。確かに母の声だった。

母が空から舞い降りて俺を見てるのか?思わず周りをキョロキョロしてしまった。天使じゃあるまいし舞い降りるとか、そんなファンタジーじみたことを俺が言うなんてな。

頑固で生真面目、超ドライでクールな男子だったんだぜ。


『こーすけー、こーすけー。ママここだよー。お帰りお疲れ様。今日お弁当足りた?こーすけが好きないつものカフェオレ3本買ってあるよー』

運転席から手を振る母、懐かしい夕の光景。


なんだよ今頃。

勝手に涙が溢れてくる。

無意識に姉がいる方向に背を向けた。


高二だったと思う。あの頃は甘いカフェオレは正直飲み飽きていて、母が買ってくるから仕方なく飲んでいた。


『あれ甘すぎなんだよ。飽きたしさ、もう中学生じゃないんだよ、ウザっ』


強く言い放ち母をガッカリさせたことも少なくなかった。決まってゴメンゴメンって悲しげに微笑む母に思春期無言の圧をわざとかけ俺は内心勝ち誇っていたっけ。ダサいな。


いろんなことで母を沢山泣かせた。

思春期だからなのか、特異な性格だからなのか物事がうまく進まずにいつも悶々としていた。更に言葉のチョイスが悪いからよく人を苛立たせ困惑もさせた。


冷蔵庫の死角で気持ちを押さえ切れず必死に落ち着こうとしていた母を知っている。あの時母は泣いていた。俺は無視を実践する尖った高校生をやっていたから、泣いてる母親そんなものは重荷でしかなかった。

酷い息子だ。


言ってしまったことは取り消せない。

過ぎた時間も戻らない。ナイフの如く尖りすぎていた自分を今さらながら恥じている。


「ねーねー、一人で何ぶつぶつ言ってるの?えっお経?凄ーい、もう唱えてるの?」


姉の言葉に正気が戻った。


俺は唐突に

「姉ちゃん。寿司じゃなくてさ、そうだカレーにしようよ。ほら、小さい頃よく食べたあのカレーだよ。箱のカレー覚えてない?買って家で食べようよ。この近くにスーパーあるっけ?」


「なんでカレーなのよ。レトルトカレーにするってこと?ママの七回忌なのに?カレーだったら珊瑚礁は?お店、車ならここからそんなに遠くないわ」


「七回忌だからあの思い出のカレーにしようよ。ほら我が家のお出かけ定番アンパンマンカレーだよ。いや家でもよく食ったな。おまけのシール、台所だけは貼っていいって言われて扉全部に貼りたい放題しなかったっけ?実家を売る前に確か台所の写真を撮った記憶があるよ」


「懐いわぁ。アンパンマンカレー。この台所も懐かしいね。シールベタベタじゃない。そうそうリビングはシールダメだけとキッチンは人に見られないからいいよって言われて、カレーの箱開けて直ぐに走って貼りにいったよね。」


俺のスマホ画像を見るため身を乗り出す姉に、一緒に遊んだ子供時代が甦った。くっついて遊んでは喧嘩して、母さんによく叱られたもんだ。


母はシールに厳しかった。あの頃の俺たちはシールマニアな6歳と3歳。とにかくベタベタ貼りたくて沢山シールを集めていた。


「俺は隠れて意外な場所にこっそり貼ったけどやっぱりバレてて、後から見に行ったら剥がされててそれでまた泣いたっけな」


姉と俺、顔見合わせて笑った。


「そうそう、こーすけはよく泣いてたね。懐かしい。そうね、今日はお寿司を食べたい気分だったけど、そこまで言うならスーパーに行ってみようか。無かったらお寿司だよ。わかった?」


俺はニッコリ笑って頷いた。


「こーすけー、こっちへ来てー。まだ売ってるー。パケも同じシールもよ!」


上ずった声の先に笑顔で箱を振る姉の姿が見えた。相変わらず無邪気な人だ。でもこの無邪気さが母の死後ずっと弟を励ましてくれていた気がする。悲しさに取り込まれないように。俺の気難しさを知っている姉だから。

俺は満面の笑みでゆっくり歩いてカレー売り場へ向かった。


〈甘口のアンパンマンカレー〉

料理上手だった母の手作りじゃない思い出の味。


母さん。

今日は久しぶりに姉ちゃんと一緒にアンパンマンカレーを食べたよ。


俺たちが楽しみにしていたシール、何が出たと思う?一人暮らしの部屋のキッチン扉に貼ろうと思う。この世に遊びに来て剥がさないでくれよ。


姉ちゃんと食べたアンパンマンカレーは甘くて美味しくて、たまにしょっぱかった。


母さん。

本当はカフェオレをありがとう。この言葉が言えるまで7年もかかってしまったけど、俺は元気に暮らしてます。


寂しくなったら姉ちゃんを誘ってアンパンマンカレーを食べるよ。

そう呟きながらネクタイを締め直し、玄関を開けた。今日も元気にいってきます。


* * *


《姉ちゃん、昨日はお疲れ。

“俺のわがまま“につきあってくれてサンキュ。早速シール貼ったよ。写メ見て。

懐かしいよな。ど真ん中に食パンマン貼ってやったよ》


《既読》


珍しい。すぐに既読になった。


〈了〉



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