八.思い憚るもの
降伏の後に所領へと帰還した藩公一族は、城下の寺院へ謹慎となった。
城の奥御殿とは比較にならぬ寺の間取りは、藩公一家に加えその侍従を容れると手狭なものである。
そこへ押し込まれるようにして、武次もまた左京太夫の側に変わらず付き従っていた。
寺の境内は落ち葉が掃き清められ、敷かれた飛び石が綺麗に輪郭を見せている。
焼け落ちた城郭は烏有に帰したが、その全貌を見て廻る暇は与えられなかった。
けれども、風に乗って運ばれてくる焼け跡の匂いは、立ち帰った者に敗戦の傷を否応なく窺わせる。
それでも季節は巡り、秋は深まり行く。
寺院を囲む山々の紅葉が美しく映えるほど、無情さを感じずにはいられなかった。
だが、その感傷に浸る間もなく、丹羽左京太夫長国は上京を命ぜられることとなる。
「従者がたったの五人とは、幾ら何でも少なすぎるではないか」
「五人で殿を御守り出来ると思うか」
「出来るものか。こんなふざけた命令を呑めるわけがなかろう」
「殿は御病身ゆえ、医師も随行させねばならんのだぞ」
上京の従者を五人に限る、との条件付きで、側近の者たちの間では慷慨紛糾し、参謀局へ情願するに至ったのだった。
しかし、それでも医師を含めて五人の増員を認められたのみで、充分とは言えない人数である。
元々の病に加え、米澤からの長旅による疲弊と、敗戦の心労が積み重なり、謹慎に入って以後の左京太夫床は前にも増して臥せることが多くなっていた。
この上さらに上京せよというだけでも、家中にとっては受け入れがたい命令である。
武次も半蔵も、この下命には当然、共に憤りを覚えていた。
「──とは言え、応じぬわけにも参りません」
ぐっと歯噛みして、武次は苦渋の声を絞る。
敗者の立場で命令を撥ね付けることは出来ず、逆らおうものなら厳罰が下されることだろう。
それが口惜しく、苦渋に呻く武次の耳に半蔵の呟く声が入った。
「……小者は、従者のうちには入らんな?」
「は?」
半蔵が思案顔で溢すのを、武次は眉を顰めて聞いた。
「今は小者の話をしているわけではありませんよ」
「分かっている。しかし、草履取りや駕籠
「そんなものは当然です。ただの下男ではありませんか」
何を言い出すかと訝しむ武次の顔を改めて、半蔵はすっと顔を寄せる。
その仕草に釣られ、武次も吸い寄せられるように顔を近付けた。
「我らが小者に扮して随行すれば、実質従者は増やせるぞ」
「なっ……!?」
武次は耳を疑った。
ほんの寸毫、何という名案かと思ったが、それも束の間であった。
果たして騙し通せるものか、という懸念が押し寄せたのである。
「ばれたらどうするおつもりです」
「ばれぬように演じる」
「なんという無茶を」
格好だけなら幾らも出来るだろう。
生まれてこの方、武士として生きてきた者が扮装したところで、沁み込んだ立ち居振る舞いは隠しきれるものでもない。
見る者が見ればすぐに違和感を覚えるはずだ。
襤褸を出さず、小者になりきることは至難の業である。
しかし、半蔵は尚も口説いた。
「主君の御命が掛かっていると思えば、やれぬ道理はなかろう」
斯くして、草履取りや物持小者、陸尺に至るまでを旧藩士族で固め、難症を抱えた左京太夫の身柄は東京へ移されたのであった。
***
東京での謹慎は、翌明治二年の九月まで、およそ一年にも亘った。
その間に左京太夫長国の官位は剥奪され、戦争責任を負う首謀者には、奥羽越列藩同盟に調印し主戦論を標榜した丹羽一学、及び丹羽新十郎の名を以て届け出、両名共に家名断絶となる。
更には、旧領で謹慎中の家老座上・丹羽丹波と郡代・羽木権蔵の二名が東京刑法官に自首。
病臥中の藩公が、その藩政百般を委任。為に、総裁を務めた自身こそが全権を掌握し、軍を動かす立場にあったと陳情した。
主君・長国に対し、寛大なる特恩を賜るべく奔ったものであった。
主君を敬愛する家臣の、なんと多いことか。
降伏後の処分を待つ緊張と、僅かに漂う諦観の中にも、主君を庇う家臣団の結束は一層強固なものだった。
謹慎が解かれ、帰郷が許された頃には、長国の病も幾らか癒えたらしかった。
細かった食も次第に増えて、未だ快癒とは言えぬものの、回復しつつある。
帰郷が叶ったとはいえ、今やかつての城屋敷はなく、城下寺院への居住である。
それでも郷里の風は心地よいと見えて、幾らか気分も優れたらしい。
長国に誘われ、武次はその身に傅きながら本堂の石段をゆっくりと降りた。
寺の本堂から外へ出ると、境内の端には傾斜の緩い石段が組まれ、その左右に小さな羅漢堂と観音堂が佇む。
季節は一巡し、蟄居ながらに目まぐるしく過ぎた一年を経て、山々は再び色付いていた。
「あの時、なぜ余を生かしたのだ」
ゆったりと運んだ足を留め、長国は空を仰いで問う。
思えば城を落ち延びたあの日から、いつか詰問されるだろうと考えていた問いである。
長国の声に怒りの色はなく、ただ穏やかに疑問を呈したというふうだった。
「余の命に背き、あまつさえ力業で主君を運び出す家臣など、聞いたことがないぞ」
「……生きて頂きたいと、そう思ったのです」
「余の意向がどうであれ、それを貫いたというわけだな」
「………」
その通りである。
経緯はどうあれ、そう決意したのは紛れもない武次自身であった。
その言い訳は出来ず、押し黙る。
「よい、責めているわけではないのだ」
言葉通り、長国の声は長閑やかなままに告げた。
「あの日からの家中を見ていればわかる。一学も、丹波も。おまえや半蔵も、皆で寄って集って余を庇いおるのでな。お陰で死に時を失うた」
軽く自嘲するように、長国は笑った。
「そのようなことを仰らないでください。左京様は、皆の拠り所なのです」
「拠り所、か。死んだ者たちはもはや帰らぬに、余はどう報いてやればよい」
「皆、左京様のお幸せを願うているのです。恙無くおられるなら、それで──」
一学の詠んだ辞世が憂いたのは、長国の道行きであった。
新たな世に生き延び、そして願わくばその行く末が幸いであるようにと望んだのに違いない。
「余はもう、左京ではないぞ」
「! ……それは、そうですが」
官位を剥奪された時から、左京太夫ではない。
しかし、武次は依然として、昔に許されたその名で呼び続けていた。
「私にとって、左京様は左京様のままですから」
直々に許された呼び名は、それ自体が武次自身の誇りであり、主従の絆を確信させてくれるものだった。
自分が最も近くに仕え、また誰よりもその人を想っているという自負の、根底にあるもの。
まだ小姓であった頃に抱いたその自負は、今は脆くも崩れかけていた。
その心を慰め、寄り添い、主君もまたそれを必要としてくれる。
周囲も一様に、主君の気に入りの側近と言えば武次を指したし、そのことを誇らしく思い、次第にその位置に疑いを持つこともなくなっていった。
だが、そんなことはなかったのだ。
それを思い知ったのが、この戦であった。
各々の思想を掲げて戦を論じ藩を導いた重臣も、主君だけは守り抜かんとその命を懸けた。
青山半蔵も、そうだ。
主君を守るためならば、手段は問わない。
そういう覚悟の許に、主君の傍らに身を置き続けてきたのである。
一方、自分は果たして何を以て主君を守ってきたのだろうか。
主君の危機に命を投げ出して救うでもなく、半蔵のように策を練って窮地を救うわけでもない。
それでいて最も寵遇される側近だなどと、よくもそんな自負を抱いていたものだ。
思い上がりも甚だしい。
そう戒めることが増えていった。
露わになった自負の礎石が砕かれるのは苦しく、それ故に武次は今もその人を左京と呼ぶ。
武次にとって、その名がもう無いものと言い渡されるのは、同時に寵も無きものと宣言されたようなものだった。
長国の羽織が、風に煽られてはためく。
肌にひやりと冷たい、乾いた風だった。
「左京様、あまり風に当たり過ぎては、御身体に障ります」
戻りましょう、と言い掛けたその時。
長国がふと空を仰いだ。
「疾きものは、月日なりけり……」
思い付いたように言い、途中で淀む。
心境を歌に綴ろうとして、言葉を失くしたようだった。
武次は長国の横顔から目を逸らし、境内の砂を浚って吹き過ぎる風を見た。
「咲くと見し、花も夢野の……、秋の初風──」
長国の歌を継いでそう詠んだ時、冷えた風が肺に詰まったか、武次は不意に咳き込んだ。
***
藩は十万余石から五万石へ減封された。
その上で、米澤藩上杉斎憲の九男を養子に迎え、家督を譲ることで存続を許されたのである。
しかし、それも長くは続かなかった。
明治四年七月、明治政府は廃藩置県の政策を打ち出す。
これまで二百五十年以上も続いてきた体制をがらりと変え、全土を政府の統治下に置くものだ。
二本松藩政の頂点には、家督を継いだ養子・長裕が就いていたが、これもその職位を返上。
戊辰の戦からおよそ三年を経て、全く新たな世の中に変貌しようとしていた。
この政策が施行されたのを機に、旧藩公一家は東京の邸宅へ移り住むことを決めたのである。
今は隠居の身となった長国の側役の多くは、旧来通りの顔触れであった。
しかしこれも多くが役を解かれ、ごく一部の家令家僕を残して主家を離れることとなる。
残る者と、離れる者。
長国・長裕父子の意向との兼ね合いを見た判断によるものだったが、主家に留まることを厳命するものではなく、最終的には各人の意思に委ねられた。
「私も上京して、今まで通りに殿にお仕えする。勿論、おまえもそうだろう?」
半蔵は、さも当然といったふうに訊ねる。
如何に政の有り様が変わろうとも、今も主従の姿に大きな変化はない。
役名が変わったぐらいで、実態は旧藩時代と然して変わりのないものだ。
しかし、武次は暫時半蔵を見返して、やがてその目を伏せた。
「……私は、暇を頂こうと思います」
「何を言う、悪い冗談はよせ」
冗談と捉えた口調とは裏腹に、半蔵はぎょっとした顔で窘める。
これまで通り、長国の側に仕えるものと信じていたのだろう。
その信頼を裏切るようで心が咎めたが、武次は今一度口を開いた。
「冗談でこのようなことは申せません」
「一体なぜだ、これまで一時も離れることのなかった奴が、今更とは思わんのか」
「半蔵殿。私の分まで、左京様をお願い致します」
【終.へ続く】
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