三.吹き荒れるもの

 

 

 父・治右衛門の役目は、春先から夏にかけて俄かに忙しくなる。

 前年の渋柿から絞られた柿渋が酒樽に詰められ、春には領内の村々から上納されてくる。それを各所の申請によって配分し、また管理する役目だった。

 普請方へ回す分が大半を占めるが、それ以外にも代官屋敷や奉行所など城の内外からの申し出も多く、後者は割合に年間を通して細々と申請が届く。

 この夏も、父は気忙しい毎日を送っているようだった。

 柿渋は防腐、防水、防虫の効能を持ち、城屋敷や役所の普請や修繕にも用いられる。補強材として布や縄、紙にも使用されるため、その用途に応じて手配するのである。

 とりわけ秋口にやって来る大風の前には、建具や雨具の補強目的で柿渋を回すよう言ってくるところが増える傾向があった。

 大風は毎年のことで、被害はその年によってまちまちだったが、この被害が大きいと藩では大打撃を被る。

 河川の増水によって堤が崩壊すると、折角実った稲穂が流されて収穫が大幅に減る。

 すると上納される年貢も減らさざるを得なくなり、逆に農村を救う為に貯蔵米を出す羽目になり、藩財政は益々困窮する。

 父から聞く話では、普請組もまた、夏の終わるまでに堤や橋の補強を遅滞なく済ませるべく、日々人夫を動員して作業に当たっているらしかった。

「城での勤めは変わりないか」

「はい。殿もお優しく、いつも私の歌や書画を褒めて下さいます」

 夕餉のあとで、ふと父に訊ねられ、武次はそう答えた。

 宴の一件から、父は時折城内での勤めぶりを確かめる。

 それが親心からくる心配なのだろうということは、武次にもよくわかっていた。

 父もまた学問や詩歌を好み、静山という号を名乗ってもいる。

 よく似た親子であった。

 そのためかどうかは知らないが、幼少からの武次の内向的な性格について、父がとやかく言ったことは一度もない。

 武芸事に及び腰なことを揶揄われ、悄然と肩を落として帰った武次に、「人に得手不得手のあることは神慮である」と諭すような人である。

 心から好み、得意とするものは生涯の友であるから、他者の言に一喜一憂して見失うようなことがあってはならぬ。

 父のその鷹揚に構えた姿勢が、比較的線の細い武次の内面を大いに励ましてくれたものだ。

 すると不思議なもので、学館へ上がり弓を持ってみると、これが武次にもしっくりと来た感触があった。

 武芸事に熱心でなかった武次が、弓術でみるみる成績を伸ばすと、皆が驚き褒めそやした。

 それが嬉しくて更に励むと、弓の腕には愈々磨きが掛かり、教授方の師範にも認められるまでになった。

 するとやって来たのが、僻みである。

 同年の者たちからではない。

 少し年上の、同じ師範に師事する兄弟子たちからのものだった。

 この地の子供の間には、竹篦しっぺいと称される私的制裁がある。

 学館から帰る際に、年長者が年少者に対して強かに手の甲を打つものだ。

 ふつうは人差し指と中指を揃えて竹篦そのものに見立てて打つのが、何故か武次に対して行われるときのみ文鎮を用いられた。

 硬く重い文鎮で打たれた手の甲は、赤黒く腫れ上がり、何日も痛みが引かずに酷い思いをしたこともある。

 それがどうやら、成績を賞揚される武次への嫉みらしいと気付くまでに、そう時間はかからなかった。

 武次が人の耳目を集めぬよう、殊更に自分を内に押し込めるようになったのは、それからである。

「殿のお目に留まるというのは、まったく名誉なことだ。以後も存分に励めよ」

「はい」

 口先に同意しながら、嫌なことを思い出させられたという気がした。

 父には、それぞれ一芸に秀でた者の多い場でなら、武次も己の得意とするものに専心励むことが出来るだろう、と考えている節がある。

 家柄や出自の優れた者や、功臣の子弟、他にも特筆すべき技能を持つ者などは、得てして優遇される。

 小姓や小納戸役などは、それぞれ得意とする技能を実演してみせ、特性を考慮した役に配置されるのが通例であった。

 武次も学館での学問の成績と弓の技量を見出されて小姓となったが、いざ城に上がってしまえば、そんな技能を発揮するような場面に出くわすことはない。

 小姓同士の輪の中で、巧みに亘り歩く人間的性質が物を言う場所である。

「おまえの才を発揮するに、殿の御側というのは最適な場所だろうな」

 左京太夫とのやり取りを嬉しげに語ったためか、父もどこか安堵の滲む笑みを浮かべていた。

 自分のこの性質ゆえに、父には心配を掛け続けてきた自覚がある。

 その手前、小姓組も学館と変わらぬ様相であるとは言い出せなかった。

 年少ゆえに不寝番などを免ぜられている武次は、今はまだ日が暮れると家に帰される。

 しかし番入りの年齢になれば夜間も城に留まり、不寝番などの持ち回りに加えられることになるだろう。

 左京太夫との時間は何よりも愉しかったが、城の詰所で他の小姓たちと長い時間を過ごし、寝食を共にすることは苦痛であった。

 まだ先のことだが、いずれ必ず番入りの時は来る。

 それを思うと、ひどく気分が塞ぎ、胃の腑が重くなるようだった。

 

   ***

 

 この年の夏も、終わりかけた頃に大風が吹いた。

 例年、秋口になると風雨が強まるものだが、この年は予想を超えて大きなものとなったのである。

 七月の二十五日にやってきた大風による被害は、堅固な地盤の城下には然したる被害も齎さなかったが、封内の被害は割合に大きく、随所で字崩れや堤の決壊が見られた。

 しかしその被害の改めが未だ追い付かぬ八月十三日。

 封内は再び、烈風暴雨に見舞われることになったのである。

 八月十二日の四ツ頃から、叩き付けるような風が封内に吹き始め、翌十三日には木を薙ぎ倒す烈風となり、そのうちに大粒の雨が降り始めた。

 家々はすべて板戸を閉め切り、往来を行き来する者はただの一人もない。

 夜半になると風雨は益々勢いを増し、隙間なく閉めた雨戸を叩き壊さんばかりの大きな音を立てていた。

 この日の朝にも武次は強風の中を登城したが、刻々と悪しくなる天候のために城内は普段よりも騒めき立っていた。

 城代の指示のもと、普請方の役人が襷掛けできりきりと城内を見廻る姿を眺めていると、それだけで落ち着かない気分にさせられる。

「おい、武次」

 激しい雨音を割って掛けられた声に、武次は顔を上げた。

 含み嗤うような、耳に障る声だった。

「聞いたか? 殿の御愛鳥の墓が流されたそうではないか」

 にやにやと胸が悪くなるような笑顔でそう言ったのは、落合仙之助である。

 傍らにはいつもの子弟が二人、それを取り巻いて立ち塞がっていた。

 正しくは御側室の愛鳥だ、と言い掛けたが、喉元で堪えた。

 不用意に突っ掛かれば、またいきり立って何をされるか分からない。

「殿が悲しまれるぞ? 捨て置いてよいのか?」

「殿について墓参までする割に気の利かぬやつだな。おまえが補強を怠るから流されたのではないか?」

「なあ仙之助。この折、殿の御体調の優れぬは、もしやこやつが射殺した鳥の怨念かもしれんぞ」

「そうだ。こんな大風が年に二度も来るのもおかしい。やはり鳥の怨念だ」

 連れ立った一人が言うと、三人は一斉に下卑た笑いを上げた。

「……すぐに、見て参ります」

 言って、三人の間を縫うように部屋を出ようとした矢先、武次は脚を縺れさせ強かに畳に倒れ込んだ。

 また、だ。

「おいおい、そそっかしい奴だな」

「墓を修繕するなら、父御から柿渋を貰って行くのを忘れるなよ」

「いや、既に持っておるのではないか? 先からこいつ、なにやら臭うてかなわん」

「ああ、臭うぞ。ひどい臭いだ」

 三人は執拗に囃し立てていたが、武次は無言で身を起こすと一礼だけ残し、足早にその場を去った。

 背後に哄笑が張り付いてくるような錯覚がして、一瞬でも早くそこを去りたかったのだ。

 組内では、家格や身分に拘らず、先からそこにいた者が目上である。

 嫌がらせの一環に違いないとわかっていても、特に主君に関わることとなれば無視は許されない。

 そして、武次自身も鳥を葬った場所は、事実気に掛かっていたのである。

 三人の言う通り、左京太夫はつい二、三日前から体調を崩して寝込んでおり、侍医の指示で面会が出来ない状態に陥っていた。

 詳しいことは伏せられたが、高熱が続き、容体はあまり思わしくないらしい。

 見舞いたいと願い出ても、小姓頭の青山助左衛門によって却下され、ならばと自らの手で描いた書画だけでも届けてくれるよう頼んだが、これも撥ね退けられた。

 病床の主君に、余計な負担を掛ける真似は慎めという主旨のことを説かれ、大人しく引き下がるしかなかったのである。

 生来、左京太夫は身体の強いほうではないらしかった。

 加えてこの荒天も左京太夫の心身を苛んでいるようにも思える。

 雨音が間断なく屋根を打つ中、武次は次の間を出て奥番部屋を過ぎ、御用部屋の前を通り抜けて内玄関から外へ出た。

 

   ***

 

「御前、お気が付かれましたか」

 虚ろに開いた左京太夫の目が、虚空を移ろっているのに気付き、助左衛門は咄嗟にその病床に膝行する。

 雪洞の仄かな灯りを受けた左京太夫の額には、まだいくつも玉の汗が浮いていた。

 病の床で乱れた髪が一筋、その汗を吸って額に張りつく様が労しい。

 だが、高熱は漸く引き始めたと見えて、顔色は幾らか和らいだようである。

 診察と薬種の見立てを終えた侍医の姿もまだ側に控えており、助左衛門はすぐさまそちらを窺った。

 側を辞する間際であったのを呼び止められ、上げかけた腰を再び落ち着けた侍医もまたいざり寄る。

 殆ど助左衛門と変わらぬ齢の男で、城下においても町医を開いており、その評判は上々である。

「殿の御加減は如何様か」

「御回復に向かっておられるものとお見立てしますが、まだ何とも。目を覚まされたばかりですからな」

 もう心配はないだろう、という言葉を期待したが、侍医はそれを見透かしてか声音低く助左衛門を宥めた。

 次いでくれぐれも処方の薬を欠かさぬようにと言い含められて、助左衛門は頷く。

「外は、雨か」

 熱にやられたか、左京太夫の掠れた声が問う。

「御心配召されますな、大風の備えは万全にございますぞ」

「武次はどうしている」

 目覚めてすぐにこれか、と、助左衛門は閉口する。

 武次も武次で、左京太夫の倒れたことを知ると執拗に見舞いを申し出て、引き下がらせるのに手を焼いた。

「武次を呼んでくれるか。あれのことだ、きっと心配しているだろう」

 じっと助左衛門の目を覗く左京太夫は、その返答を急かしているようだった。

 熱に乾いた唇は白く浮き上がり、短く荒い呼吸が些か薄い胸を上下させていた。

 身体は間違いなく辛い状態であろうに、真っ先に小姓の心配をする左京太夫にまで手を焼くことになろうとは。

 厄介な相手と引き合わせてしまったものだと、やはり助左衛門は微かな頭痛を覚える。

「なりません。今はまだ御身体をお厭い頂かねば。今少し御安静に──」

「頼む。余はあれの顔を見ると安堵する」

「御前……」

 未だ二十代も半ばの年若い主君が、袖を掴んで苦悶する顔を前にして、助左衛門は弱りきった。

 家督間もなく、未だ一年と経っていない。

 藩の中枢は先代から続く重臣たちで既に固められ、要路は老練な者が大半を占める様相である。

 左京太夫は、まずそうした家臣たちとの間に信頼を築かねばならなかった。

 また先代の治世から、幕府は近年の諸外国からの圧力に備えるべく、藩へ所領外での砲台守備を命じてもいる。

 財政の窮乏する中で政務や軍務を統率していかねばならぬ立場にあり、この春の宴は、そういう意味でも重要な場であった。

 かくいう助左衛門自身も先代の当時に小姓頭を任じられ、職務はそのまま当代へも引き継がれた。

 左京太夫を取り巻く数多の人間の中に、武次はとりわけ純朴に映ったのに違いない。

 張り詰めた日々の中、心を許すに足る相手と見たのだろう。

「……あまり長い時間の面会は、なりませぬぞ」

 外の大風が雨戸をがたがたと揺らす音を聞き、助左衛門は渋々ながらその頼みを聞き容れることにしたのであった。

 

 

 【四.へ続く】

 

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