第2話 ジャック・オ・ランタンと毒入りアップルパイ
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、九月も二十日を過ぎると流石に夏の名残も消え去っていく。桜の葉は黄金色や朱色に染まり始め、爽やかな風と高くなった空が秋の気配を感じさせる。
その頃、鳳凰学園高校も新たな時代の風を受けていた。
「生徒会長の、真田良介だ。引き続き、よろしく頼む」
生徒会役員選挙開票日の翌日、新しい生徒会役員たちは生徒会室に集まり、今期初の会議を執り行っていた。新規で入会した一年生もいるので、会長席に座った良介はまず互いの自己紹介から始めた。
「庶務から副会長になりました、霧崎隼人です。よろしく!」
「引き続き会計をすることになりました、梅宮昌子です。弓道部です。よろしく」
「今月転入したばかりですが、広報として活動することになりました、百合川薫です。よろしくお願いします」
二年生の四人がそれぞれ起立して挨拶をすると、緊張の面持ちで待っていた一年生が慌てて立ち上がった。
「あいたっ! あ、すみません、えっと、一年A組の吉川(よしかわ)葵(あおい)と申します! 小説が好きなので文芸部に所属しています! 将来は作家になれたらいいなと思っています、あ、書記です! よろしくお願いいたします!」
立ち上がった瞬間、膝と机で両手を挟んでしまい、一層落ち着きをなくしてしまったショートボブに赤いカチューシャの彼女・葵は、照れ隠しのためか、頬を赤くしてずれていない眼鏡を直してから着席した。
「えーっと、庶務になりました、同じく一年A組でバスケ部の渡邊(わたなべ)達也(たつや)いうもんです! 大阪寄りの兵庫出身なんで、関西訛りは堪忍したってください。将来の夢は……まだ探しとる最中ですわ。よろしゅう頼んます!」
小柄な葵とは対照的に、長身の男子生徒が人懐っこい笑顔で赤茶に染めた頭を下げる。バスケの試合中の習慣が定着してしまったのか、前髪をヘアピンで留めているのが印象的だった。
「ねぇ、二人はどうして生徒会役員に立候補したの?」
拍手をしながら薫が尋ねると、互いに譲り合ってから、葵が答えた。
「あの、私、実は生徒会長になってからやりたいと思っていることがありまして……」
「へぇ、すごいじゃない! 何をしたいと思ってるの?」
昌子が聞くと、耳まで赤くして俯き、両手でスカートを握り締めて皺を作る葵。
「それは、その……来年までのお楽しみということで、ご容赦ください!」
瞼を閉じ、叫ぶ。昌子は少々残念そうな顔をしたが、それよりも可愛らしい後輩ができたことを喜んでいるらしく、唇が嬉しそうに弧を描いている。
「けど、やりたいことがあって生徒会に入るってだけで大したもんだよな! オレと梅宮なんか完全に内申目当てだし、コイツに至っては父親に言われて仕方なく、だぜ?」
揶揄うように言う隼人を、良介と昌子が揃って睨みつける。しかし彼は何食わぬ顔をして、構わず続けた。
「何か知らねぇけどさ、コイツの一族って議員と官僚ばっかで、そのほとんどがこの学校で生徒会長やってたんだと。だから、それに続けってことだよな?」
「えっ!? じゃあ、この間衆院選で勝ってた真田議員って、会長さんのご親戚の方なんですか!?」
「……俺の伯父だ」
腕を組み、眉間に皺を寄せて答える良介。興味津々ではあるものの、これ以上触れるべき話題ではなさそうだと察し、隣に座る達也の方を向く葵。
「ところで、渡邊くんは?」
「えーっと……まぁ、似たようなもんですわ。兄貴たちがエリート街道まっしぐらやさかい、わいも親の期待に応えなあかんなー思て……」
はは、と苦笑いをしつつ、誤魔化すように達也は後頭部を掻いた。お前んちも厳しいんだな、と隼人が同情するようにコメントする。
「さて、このメンバーでこれから一年間、共に活動していくわけだが……最初に控えているのが、文化祭という大仕事だ」
文化祭――彼らの学校では鳳凰祭と名付けられているそれは、十月三十日と三十一日に開催される予定となっている。当然準備は夏休み前から始められていて、中心となっているのは文化祭実行委員会だが、生徒会役員にも仕事はたくさんある。
役員会議初日は、文化祭に向けてのスケジュールとそれぞれの仕事内容の確認で終了し、解散となった。
「渡邊くん! 改めて、よろしくお願いしますね」
バスケ部の部室へ向かおうとする彼の背中を追いかけ、葵は無邪気な笑顔で言った。
「おう! それより吉川、手ぇ大丈夫かいな」
「あ、これは別に平気ですよ! それより……どうして、言わなかったんですか? 将来の夢」
「あー……やっぱり、いきなり言うのは恥ずかしいねんな。先輩たちともっと仲良うなったら話すわ」
先程までの明るさはどこへやら、弱気な表情で呟くように零す達也。
「じゃあ、それまでは私と二人だけの秘密ってことですね!」
「せやな。……おおきに、吉川。わいのために、クラスの出し物提案してくれて」
いいんですよ、と微笑みを絶やさず返す葵。
達也の夢は、パティシエになることだ。だが、小学生の時クラスメイトにその夢を女子みたいだと嗤われたことがトラウマになって言い出す勇気を失い、そのせいで彼は、その話題については固く口を閉ざすようになったのだ。
しかし、彼の秘密は今年の春に突如、葵に知られてしまったのである。達也は日曜日だけ『パティスリー・ル・アブリール』という洋菓子屋でアルバイトをしており、そこへ偶然、葵が妹の誕生日ケーキを買いにやって来てしまったのだ。
「いらっしゃいませー……って、あれ、もしかして……吉川!?」
「渡邊くん! ここで働いてるんですか?」
地元でも学校の近くでもない町のバイト先を見つけるのに大変な苦労をかけたというのに、そこがクラスメイトの家の近所だったなんて――その瞬間、達也は絶望のあまり魂が抜け落ちてしまったような気がした。
だが、葵は嗤うどころか、達也を尊敬の眼差しで見つめたのである。
「渡邊くん……もしかして、将来はパティシエになりたいとかですか?」
「……せ、せやな……」
「すごい! もう夢に向かって頑張ってるんですね、素晴らしいです!!」
「へっ……?」
拍子抜けした達也を他所に、葵の勢いは止まらない。
「じゃあ、卒業後はフランスなどへ留学されるご予定ですか!? そしたらその国の言葉も勉強しなきゃですね!! あ、因みにこの中に渡邊くんが作ったケーキはありますか!? 私、それ買いたいです!!」
「よ、吉川……あんな、わい、まだ資格ないねんから、作られへんねん」
たじろぎつつ答えると、葵は心底残念そうに言った。
「そうですか……そうですよね。何言ってるんですかね、私」
気まずい雰囲気に耐え兼ねて、視線を店の壁に向ける達也。店名になっている『ル・アブリール』とはフランス語で四月という意味なので、壁の色は桜をイメージした薄紅色で、パリの街角の白黒写真と白い字で綴られたフランス語の文章が装飾の役割を果たしている。店の奥には、二つだけテーブル席が用意されていた。
「まぁ、ここの厨房借りて練習はしとるけど……あ、あんな、吉川」
「はい」
「このこと、学校では言わんといてくれへんかな……?」
ケーキのショーケースに両手をつき、項垂れ上目遣いで懇願する達也。珍しく気弱な彼の姿を見て心中を察したのか、素直に承諾する葵。
「わかりました。でも、そうですね……出来れば、口止め料が欲しいところですねぇ」
「はっ……!?」
口止め料。真面目な彼女には似つかわしくない言葉が飛び出してきて、再び驚かされる。
「私、やっぱりどうしても渡邊くんの作ったケーキが食べてみたいんです。だから、毎週日曜日、ここへ来て食べさせてもらってもいいですか?」
「せ、せやけど……!」
「いいじゃねぇか、達也! 人に食べてもらった方が絶対上達早いぜ?」
一部始終を聞いていたのか、厨房から店主・桜(さくら)田(だ)春(しゅん)輔(すけ)が現れて白い歯を見せながら言う。パティシエというよりはまるで柔道の師範のような、筋骨隆々な体格の持ち主であった。
「こいつな、父ちゃんと二人の兄ちゃんが揃いも揃って企業戦士でさ、家族の誰にもパティシエになりたいって言い出せてねぇんだよ。家で堂々と練習もできない可哀想な奴だからさ、応援頼んだぜ。お嬢ちゃん」
コック帽と胡麻髭のよく似合う春輔が左肘を達也の肩に乗せながら言うので、もはや彼に拒否権はなくなった。
「しゃあないな……ほな、来週は何がええ?」
「では、ショートケーキでお願いします!」
それが、二人の秘密の関係の始まりだった。
あの発言は本気ではなくただ揶揄いたかっただけではないか、と思いはしたものの、葵は約束通り毎週日曜日の午後三時に必ずやって来た。彼女はいつも幸せそうな顔で頬張って美味しいと言ってくれたので、達也も嬉しくなり、秘密を守るための見返りであることなどすぐに忘れてしまった。
そんな関係が続いたある梅雨明けのこと、クラスでは文化祭の出し物の話し合いが行われた。ハロウィンの前日と当日なので、やはりお化け屋敷やメイドカフェといったコスプレを伴う企画が多く提案される中、葵だけが一風変わったアイディアを言い出した。
「ハロウィンティーパーティー、というのはいかがでしょうか」
「えーっと……それは、どういう出し物として考えていますか?」
黒板に文字を書きながら、学級委員長が問う。
「家庭科室でハロウィンらしいお菓子を作ってラッピングして、それをコスプレした私たちが販売するんです! お持ち帰りは勿論、その場で紅茶やコーヒーをお出しして、お菓子と一緒に楽しんで頂くことも視野に入れています」
葵が立ったまま生き生きと発言すると、それいいじゃん、楽しそうという声が次々と聞こえてきた。その中でただ一人、達也だけが困惑の色を隠せない。
その後、お化け屋敷とメイドカフェ、ティーパーティーの三択で多数決が行われたが、女子が多いことも手伝ってか、ティーパーティーが圧倒的な支持を得て決定となった。
「じゃあ、実行委員は吉川さんってことでいいですか?」
「ごめんなさい、言い出しておいて申し訳ないんですけど、実は生徒会執行部役員に立候補しようと思っていまして……メニューなどの提案はいたしますので、実行委員は別の方にお願いしたいのですが……」
目を泳がせた葵だったが、意外なことに、立候補者はすぐに現れた。
「あたし、やってもいいよ。お菓子好きだし」
手を挙げたのは、短い天然パーマのバスケ部マネージャー・西(にし)野(の)明(あか)梨(り)だった。
「え、でも……部活などでお忙しくはありませんか?」
「大丈夫だよ。マネージャー、もう一人いるし」
「本当ですか? 有難うございます、西野さん!」
葵が大袈裟なほど深く頭を下げると、委員長は明梨に向かって拍手をし、やがてクラス全員が手を叩き始めた。しかし、達也だけはまだ乗り気でないようだ。
「それじゃあ西野さん、よろしくね」
委員長が教壇を譲ると、明梨が席を離れて黒板の前に立つ。
「えーっと、取り敢えず、係を決めないといけないよね。どうしたらいいかな」
立候補はしたものの、考えは何もまとまっていなかったので助けを求めるように葵を見つめる。
「調理係と販売係、装飾係、それと材料調達係ですかね」
葵も黒板の前へやって来て、言いながらそれをチョークで書いていく。
その日のホームルームは出し物と係を決めて終了し、解散となった。チャイムが鳴り響く中、文芸部の部室へ向かおうとする葵の腕を達也が掴む。
「ちょお待てや、吉川!」
「はい、何でしょう?」
とぼけたように応じる葵を前にして、ばつが悪そうな顔をしながらも問い詰める。
「自分、どーいうつもりやねん!! まさか、わいにメニューを考えさせるつもりやないやろな!?」
「えっ、ダメですか? どうしてですか?」
「どうして、って……」
自分でも理由がわからず、言葉に詰まってしまう達也。やがて、葵の表情も曇り始めた。
「……すみません、勝手なことをして。でも私、渡邊くんの腕を活かすチャンスだと思ったら止まらなくなってしまって」
「吉川……」
「渡邊くん……メニュー、考えてくださいますか?」
飼い主に許しを請う子犬のように、上目遣いでおずおずと達也の顔色を窺う葵。
「んなこと言われたら、断れへんやん……」
肩の力を落とし、溜め息を吐いて達也は言った。けれど、自らの秘密を暴くためではなく、自分の将来を応援してのことだとわかり、どこかすっきりした表情を浮かべていた。
「有難うございます。楽しみにしていますね!」
葵が再び笑顔になったその時、真横を通り過ぎようとした明梨が横槍を入れてきた。
「……渡邊、いい加減放してやったら?」
指摘されてようやく気づいたのか、達也はずっと葵の腕を掴んでいたその手を瞬時に放し、顔を真っ赤にして謝罪した。
「すまん、吉川! 痛ないか、大丈夫か?」
「平気ですよ、気にしないでください」
「……ねぇ。二人ってさ、付き合ってんの?」
ぶっきらぼうに問いかけてきた明梨の言葉で、今度は葵も赤くなってしまった。
「つっ、つつつ付き合ってなんかいませんよ!! なぜそのようなことを!?」
「……別に。仲良さそうだったから、ちょっと聞いてみただけ」
最後まで無表情を貫き通し、そう言い残して明梨は去っていった。
「び、びっくりしましたね……」
胸を撫で下ろしながら、同意を求めて達也を見る。
「せやな……あいつ、いっつも仏頂面で何考えてんのかわからへんしな」
「とにかく、メニューの方はお任せしますので、よろしくお願いしますね」
その場を取り繕うように慌てて小さく会釈した葵は、小走りで達也から離れていった。一人残された達也は、天井を見つめ、頭を掻きながら自問自答する。
「……なんで、まだ収まらんねん……」
彼の鼓動は、しばらく静まりそうになかった。
初めは躊躇していたものの、達也は夏休みの間、夢中になってメニューを考えていた。普通の高校生でも簡単に作れる秋らしいお菓子という条件のもと、彼はカボチャのベイクドチーズケーキ・スイートポテト・アップルパイの三つに絞り、レシピを作成した。葵に報告すると二つ返事で承諾され、予行練習として家庭科の調理実習で作ることになった。
そして、調理実習の日。家庭科を選択しているメンバーは三班に分かれ、それぞれのメニューを作ることになった。葵と達也、明梨の三人に加え、バスケ部の市ノ瀬(いちのせ)悠(ゆう)樹(き)、そしてもう一人のマネージャーの藤(ふじ)田(た)苺(いちご)があみだくじでアップルパイの班になった。
「それじゃあ、始めてくださいねー!」
準備が整った頃を見計らって、家庭科の教師が号令をかけた。エプロンとバンダナを着けた生徒が一斉に作業に取りかかると、あちこちから相談し合う声や調理器具を使う音が響き、家庭科室が活気づく。
「ほな、わいがリンゴ切るさかい、吉川は砂糖とバターとレモン汁の計量と準備頼むわ。市ノ瀬と藤田はパイシートを短冊形に切って、西野はオーブンの予熱をしてからタルト型にパイシート敷いて、フォークで穴開けてな」
「何、お前やけに慣れてんじゃん? 頼もしいな」
揶揄するように言ったのは、達也とレギュラー争いをしてその座を掴んだライバルの市ノ瀬悠樹だった。彼もまた背が高く、ツーブロックの髪は艶やかで端正な顔立ちをしているので、女子からの人気が高い。
「あ、いや……おかんがお菓子作り好きで、よう手伝わされとったからな。さ、始めよか!」
苦し紛れに誤魔化して、林檎を切り始める達也。そんな彼の姿を見て、葵は少し胸が締めつけられたような気がした。
「じゃあ……やるか、苺」
すると、悠樹はなぜか少し遠慮がちに傍らの苺に声をかけた。パーマをかけたセミロングの髪をうなじで二つに束ねている彼女は不機嫌そうで、返事をせずにパイシートの袋を破く。
達也が二人に同じ役割を任せたのは、彼らがカップルであるからだ。しかし、うまくいっていないのだろうか、雰囲気は明らかに良くなかった。
調理は順調に進み、やがて家庭科室は食欲をそそる匂いで満たされた。一時間後にはどの班も無事完成させ、最後に全員が三種類のスイーツを実食する時間となった。
「悪い、渡邊。俺ちょっとトイレ」
達也がアップルパイを切り分けていると、悠樹はそう言って家庭科室を出ていった。彼が戻って来たのは、それぞれの席にスイーツが行き渡った頃だった。
「はい、全員揃いましたね? それでは、頂きましょう!」
教師が言うと、生徒たちは律儀に頂きますと唱え、食べ始めた。
「うっわ、何コレ! やばくない!?」
「ホント、めっちゃ美味しい!!」
生徒たちは口々に絶賛し、スマートフォンを取り出して撮影会まで始めた。その様子を眺めて、歓喜のあまり叫び出しそうになる達也。
しかし、その楽しげな雰囲気は一人の生徒の異変によって覆される。
「……どうしたの、市ノ瀬。何か変だよ、あんた」
悠樹の左に座っていた明梨が、彼の顔を覗きながら心配そうに言う。彼の息は荒く、肌には蕁麻疹が出ていた。
「おい、どないしたんや市ノ瀬!!」
達也が彼のもとへ駆け寄った時、悠樹は意識を失いそのまま床に倒れてしまった。家庭科室はパニックに陥り、女子たちの悲鳴が木霊する。
「吉川、救急車や!!」
「は、はい!!」
指を震わせながらも、何とか電話をする葵。達也は悠樹を背負い、保健室へ駆け出した。
「しっかりせぇ、市ノ瀬!! 治らんかったら承知せぇへんで!?」
全身で汗を掻き、息を荒げ、全速力で階段を駆け下りる。保健室に辿り着き、キャスター付きのベッドに寝かせて校門まで彼を運ぶと、ちょうど救急車がやって来て最寄りの病院まで搬送された。
幸い、彼の命に別状はなかった。その日のホームルームで彼の無事を聞かされ、安堵するクラスメイトたち。
「ところで、なぜ市ノ瀬くんはあんなことになってしまったのでしょうか……」
葵が尋ねると、大学を卒業してまだ間もない担任教師が、ネクタイを弄りながら答えた。
「どうやら、彼は重度のアルコールアレルギーらしくてね。アップルパイに入っていたラム酒が原因じゃないかという話だったそうだよ」
「ラム酒……!?」
それを聞いた途端、達也は驚愕した。ラム酒は材料として用意していなかったからだ。他の生徒たちも、そんなの入ってたっけ、と疑問の声を上げる。
「先生、私たちはアップルパイにラム酒なんて入れていません。何かの間違いです!」
達也の代弁をするように葵が言ったが、担任は間違いないと断言した。
「じゃあ、誰かが市ノ瀬のアップルパイにだけラム酒を入れたってこと……?」
明梨が独り言のように呟くと、クラス中が一斉に騒ぎ出した。
「渡邊くん……もしかして、悠樹くんとレギュラー争いして負けたから、逆恨みしてたとか……」
そんな中、苺が訝しげに達也を見遣る。
「な、何を言うんですか藤田さん!!」
葵が彼女と対峙したが、達也はその発言を半ば認めてしまった。
「……た、確かにレギュラー取られたんは悔しかったけど……だからってそんなことせぇへんし、大体市ノ瀬がアルコールアレルギーなんて知らんかったで!?」
「じゃあ、そんなの知らなかったって証明できるの?」
「そ、それは……」
「藤田さん、思い出してください! 渡邊くんは真っ先に市ノ瀬くんのもとへ駆け寄って、保健室まで急いで運んでくれたんですよ!?」
「そんなの、自分が疑われないようにするための演出かもしれないでしょ?」
「そんな……酷い、酷過ぎます……!!」
涙目になって震える葵の肩に手を置いて、達也は首を振った。
「吉川、もうええて。な?」
「渡邊くん……」
悲しげな達也の顔を見て、遂に葵は泣き出してしまった。
「……取り敢えず、証拠も何もないんだから、これ以上言い合ったって仕方ないよ。藤田も、今日はその辺にしといてやれば?」
明梨が言うと、苺は彼女を一瞥したが、黙って席に座った。
「西野の言う通りだ。市ノ瀬本人も、問題を大きくしないで欲しいと言っている。皆、くれぐれも犯人捜しなんかするんじゃないぞ。いいな?」
はぁい、と答えはしたものの、やはり気になってしまうらしい。クラスメイトのほとんどが達也を白い目で見ていることを、葵は肌で感じた。
「渡邊くん……私は、違うって信じてますから」
「……おう。ありがとな、吉川」
涙の痕を拭い、か細い声で葵は言ったが、その時の達也は辛そうに笑っていた。
それから数日間、クラスメイトたちは教室で達也を見かける度に、彼を犯人だと決めつけて小声で事件のことを話すようになった。回復した悠樹が登校してもそれが止むことはなく、後ろ指を指される日々に耐え兼ねた達也は、やがて学校に来なくなってしまった。
*
「では、定例会議を始める。……吉川、渡邊は欠席か?」
誰もいない庶務の席を見てから、俯く葵に視線を向ける良介。暗い表情の彼女を、他の三人も心配そうに見つめる。
「はい……」
「……そうか」
家庭科室でのことは、二年生である彼らの耳にも入っていた。良介たちが返事に困っていると、葵は突然立ち上がり、会長席の方を向いてから深く頭を下げた。
「会長さん。折り入って、お願いしたいことがあります」
「……何だ、言ってみろ」
用件は既にわかっていたが、良介は会議資料を置いてから、敢えてそう言った。
「知り合ったばかりでお願いなんて、誠に恐縮なのですが……助けて欲しいんです、渡邊くんを」
ご存じかとは思いますが、と添えてから、葵は事の経緯を語った。言いながら、無意識のうちに彼女はまた涙を流す。
「彼は、実は将来パティシエになりたいと言っていて……そんな人が、お菓子を利用して人を貶めるなんて、私にはどうしても思えないんです! だから、絶対に真相を暴きたくて……お力を、貸して頂けませんでしょうか……!!」
悲痛な叫びを上げる彼女の傍に歩み寄り、背中を擦ってやる昌子。薫は、彼女にティッシュを差し出していた。
「私もそう思うわ、会長。協力してあげましょうよ」
「そうだぜ、良介。メンバーが欠けたまんまじゃ会議だってできねぇし」
昌子と隼人が、促すように良介を見る。彼は、迷うことなく立ち上がった。
「わかった。まずは、聞き込みからだな」
「さすが。それでこそ、良介くんね」
薫が微笑んで言うと、良介は返事こそしなかったが、僅かに頬を赤らめた。
「有難うございます……皆さん、本当に、有難うございます!!」
「礼は、渡邊の容疑が晴れてからだ。吉川、調理実習で同じ班だったメンバーを教えてくれ」
良介に言われて、葵はホワイトボードに明梨・悠樹・苺の名と情報を記した。
「市ノ瀬悠樹? ってことは、私と同じクラスの市ノ瀬悠(ゆう)華(か)って、彼のお姉さんかしら」
「そうだろうな。梅宮は彼女から話を聞いてくれ」
悠樹は本当にアルコールアレルギーなのか、校内にそのことを知っている人間がいるのかどうか、そして彼に恨みを抱いている人物の心当たりを、昌子は悠華から聞くことになった。
「吉川は西野明梨、隼人は藤田苺を当たってくれ。俺は市ノ瀬悠樹本人から話を聞こう。百合川は……」
「付いて行ってもいい? 良介くんに」
「……好きにしろ」
再び笑顔を向けられて、思わず視線を逸らす良介。
「今日の会議は中止だ。その代わり、各々必ず成果を出すように」
了解、とそれぞれが頼もしく返事をして、彼らは生徒会室を後にした。
「ごめんね、部活中に」
「いいよ、別に。ところで、何? 話って」
昌子はグラウンドへ行き、テニスコートの傍らにあるベンチで休憩していた市ノ瀬悠華に声をかけた。ポロシャツとハーフパンツ姿の彼女も長身で、凛々しい目つきが悠樹とよく似ている。軽やかなショートヘアが、そよ風に吹かれて揺れていた。
「実は、弟くんが倒れた件について聞きたいことがあるの」
「ああ……」
残りのスポーツドリンクを一気に飲み干し、タオルで汗を拭う悠華。その様子を見ながら、昌子は達也が疑われていることを話した。
「そうなの? でも、あいつがアルコールアレルギーだって知ってるのは、私とあいつの彼女くらいだと思うけど」
「彼女って?」
「藤田苺ちゃんっていう、同じクラスでバスケ部のマネージャーやってる子」
その名を聞いた瞬間、昌子は少し身構えた。
「じゃあ、クラスの友達や部活の仲間には言ってないってこと?」
「多分ね。まだお酒が飲める歳じゃないし、その達也くんが知らなかったんなら、他の子たちもそうだったんじゃない?」
「そしたら、その彼女……苺ちゃんはどうして知ってるの?」
「あの子たちはね、中学からの付き合いなんだけど……苺ちゃんがバレンタインデーの時チョコレートボンボンをあげようとして、それを悠樹が止めたことがあるの。その時、理由を話してるはずだから」
「なるほどね……」
頷きつつ、膝の上の生徒手帳にペンを走らせる。ラケットと球がぶつかる軽快な音、部員たちの掛け声。どこからか、金木犀の甘い香りが漂って来た。
「ところで、悠樹くんと苺ちゃんについて、もっと詳しく聞かせてもらえるかしら」
「うん、いいよ」
悠華の話によると、二人は中学二年の夏休みからカップルになったらしい。告白をしてきたのは苺の方で、悠樹がそれを受け入れたことで始まったそうだ。
「そうなのね。でも、こんなこと言うのも何だけど……後輩の吉川葵って子の話では、最近うまくいってないらしいわ」
「へぇ、そうなんだ。けど、言われてみれば確かに、最近苺ちゃんとデートしたりはしてないかも。まぁ、お互い忙しいだけかもしれないけどね」
そろそろ練習に戻っていいかな、と悠華が尋ねたので、昌子は礼を言ってグラウンドを後にした。
「渡邊のことでしょ? 勿論、協力するよ」
葵に話しかけられた途端、学校指定のジャージを着た明梨は即座に快諾した。まるで、葵が体育館にやって来るのを待っていたかのように。
「あたしさ、ひとつ気になってることがあるんだよね」
扉の外の階段に座ってから、明梨は自ら言い出した。
「何ですか? 教えてください」
「ほら、あの時あたし、市ノ瀬のすぐ隣に座ってたじゃん。だから気づいたんだけど、あいつ、アップルパイ食べてる時、右手の指先に絆創膏貼ってたんだよね」
「絆創膏……ですか」
「うん。親指と人差し指と、中指に」
自らのそれを立てて、葵に見せながら言う。その真っ直ぐな目が、嘘を吐いているようには見えなかった。
「普通にケガしてただけかもしれないけどさ、指三本同時にって、不自然だと思わない?」
「そうですね、確かに」
「もっと言うと、ホントに指ケガしてんだったら、手掴みで食べないでフォーク使うと思うんだけど」
「うーん……それは、何とも言えませんけど」
バスケットボールがバウンドする音、部員たちが床を踏みしめる音、そして力の入った掛け声を聞きながら、葵は眉を下げて正直に答えた。
「……ねぇ、吉川」
「はい、何でしょう」
視線を下げ、明梨は弱々しく、耳まで赤くして葵に尋ねた。
「しつこいんだけどさ、本当に、付き合ってないの? 渡邊と……」
彼女は、まるで大人に叱られている幼い子供のように、立てた両膝で顔を隠しつつ、瞳だけ葵に向けて返答を待っていた。普段は堂々としているだけに、とても信じられない光景だった。
「……好き、なんですか? 渡邊くんのこと」
葵は、子犬をあやすような気持ちになって、優しく言った。明梨は、完全に顔を埋めてから小さく頷く。
「なんか、デカい癖に全然威圧感とかないし、むしろよく笑うし、レギュラー取れなくても一生懸命だし……気づいたら、すごく気になっちゃって」
細々と想いを告げる彼女があまりにも可愛らしく、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られたが、葵は必死でそれを抑えた。
「……大丈夫ですよ。私たち、そんなんじゃないですから」
明梨の肩に手を置いて、葵はそれだけ言った。
「本当に? じゃあ、何でいつも、日曜日にあいつが働いてるお菓子屋さんでケーキ食べてんの?」
「えっ……!?」
まさか知られていたとは、と一人衝撃を受けつつ、あからさまに動揺してしまった葵。そんな彼女を見て、明梨は可笑しそうに顔を綻ばせる。
「だってあたし、あんたと同中だもん。家もあの辺に決まってんじゃん」
「へ、そ、そうだったんですか!? すみません、知らなくて……」
「いいよ。だって、一度も同じクラスになったことないし」
ようやく顔を上げて、すっきりした表情で笑い続ける。
「でもさ、吉川も、渡邊のこと好きなんじゃないの?」
「……ど、どうしてそう思われるんですか?」
今度は、葵が羞恥に苛まれる番になった。一気に体温が上昇し、口調がたどたどしくなる。
「だって、文化祭の出し物の企画、どう考えたって渡邊のためじゃん。今だって、あいつのために頑張ってるし」
「そ、それは……否定しませんけど」
「……ま、いっか。今はとにかく、事件の解明が最優先だもんね。頼んだよ、吉川」
ぽん、と葵の肩を軽く叩いて立ち上がり、明梨は体育館へ戻っていった。
「……ち、違いますよ……そんなんじゃないです、から」
足元の蟻たちを見つめながら、葵は自らに言い聞かせるように、そう呟いた。
「ねぇねぇ、この写真見た!?」
「見た見た! マジ映(ば)えるよねー!」
「やっと見つけたぜ。アンタか、藤田苺って」
放課後の教室で友人と楽しく過ごしていた苺は、突然見知らぬ人物にフルネームで呼ばれ、硬直した。
「は? そうだけど……誰?」
「バカ、副会長だよ! 生徒会の」
苺が挑発するように睨み返すと、友人はその威勢を制すように慌ててそう言った。
「ああ……そんな人が、突然何の用ですか?」
敬語にはしたものの強気な姿勢は崩さず、頬杖で溜め息を吐きながら聞く苺。隼人はそんな彼女の態度に若干苛立ったが、表情に出さないまま続けた。
「アンタ、最近部活サボってるらしいな。大好きなカレシがいんのに、どうしたんだ?」
「余計なお世話。っていうか、ユウキとはとっくに終わってるし!」
隼人とは反対方向の、窓の外を見つめながら苺は八つ当たりをするように吐き捨てた。
「別れた? 何でだよ」
「何でそんなことまで言わなきゃいけないワケ? ハッキリ言って、ウザイんですけど」
再び睨み返されると、隼人は小さく舌打ちをした。
「いいこと教えてやろうか? オレがアンタを探している間に、仲間から重要な情報が入ったんだよ。この校内で市ノ瀬悠樹がアルコールアレルギーだって知ってんのは、姉の悠華と元カノのアンタだけだってな」
「……!!」
その言葉の真意を理解したのか、嘗め切った態度を改め、頬杖をやめて姿勢を正す。
「苺……ちゃんと話した方が良くない?」
終始焦っていた友人に促され、唇を強く噛んでから、彼女はようやく素直に話し始めた。
「だって……だって、好きな子ができたから別れて欲しいって、ユウキの方から言ってきたんだもん……!!」
スカートの裾を強く握り締め、肩を震わせ瞳を滲ませながら、彼女は言った。
「……それで、痛い目に遭わせてやろうとしたわけか」
「違うもん、イチゴがやったんじゃないもん!! もしイチゴが犯人なら、渡邊くんじゃなくてアカリの方に疑いをかけさせるもん!!」
我慢の限界に達したのか、遂に彼女は大声を上げて泣き出してしまった。そんな彼女を横から抱きしめ、頭を撫でて落ち着かせようとする友人。
「アカリって、もう一人のマネージャーの?」
「そうだよ、だって、アカリのことが好きになったんだって、ユウキが言ってたんだもん! だから、だから……!!」
余程悔しかったのか、泣き叫ぶ彼女の声は、校舎中に轟きそうなほどだった。
「なるほど、確かにそうだな。じゃあ、咄嗟に渡邊を容疑者に仕立て上げたのは……」
「ユウキがアルコールアレルギーだって知ってるのは、このクラスできっとイチゴだけだって思って……だから、ユウキを恨んでそうな渡邊くんに疑いの目を向けさせたの……でも、まさか、登校拒否になるなんて思わなくて……!!」
「……罪悪感に負けて、部活をサボるようになったってわけか」
ズボンのポケットに手を入れて、隼人は大きく溜め息を吐いた。
「わかった、もういい。悪かったな、泣かせちまって。ただ……渡邊が学校に戻って来たら、一目散に謝りに行けよ。いいな?」
嗚咽を漏らしながらも、大きく何度も頷く彼女。その様子を確かめてから、隼人は一年A組の教室から去っていった。
「……いいの、苺。本当のこと言わなくて」
しかし、隼人が廊下の角を曲がろうとした直後、教室から気になる発言が聞こえてきたので彼はその場で足を止めた。
「いいじゃん、別に。ウソ吐いたわけじゃないもん」
「そりゃそうだけど……苺さ、悠樹くんと別れる前に、浮気してたでしょ? あんたに告ってきたバスケ部の先輩と」
「そんなの、言ったって言わなくたって事件には関係ないもん。どーでもいいじゃん」
「……関係ない、ねぇ……」
一人立ち尽くし、天井を見つめながら隼人はそう呟いた。
「だから俺、もう気にしてないですから! そろそろ帰してもらえませんか!?」
その頃、生徒会室では、市ノ瀬悠樹と良介が対峙していた。その傍らで、薫は生徒手帳を開きながら静かに佇んでいる。
「お前が気にしているかどうかじゃない。今俺たちが問題にしているのは、渡邊が学校に来なくなってしまったことだ」
「それは……悪いと思ってますけど……」
歯切れが悪くなり、目を泳がせる悠樹。そんな彼を、良介は容赦なく追い込んでいく。
「悪いと思っている? 何故だ」
「何故って……俺がぶっ倒れた後、苺が渡邊を容疑者にしたっていう話を聞いたから……」
「本当にすまなく思っていたなら、あんたは即座に渡邊の容疑を晴らす努力をすべきだったんじゃないのか。レギュラー争いをした過去があるとはいえ、同じ部活の仲間だろう」
「そ、それは……」
悠樹が言葉に迷っていると、生徒会室の扉が勢いよく開かれた。そこには、隼人と昌子が立っていた。その後ろに、葵の姿もある。
「片想い中の相手が、渡邊に恋してたから……だろ?」
得意げに笑む隼人の言葉は、どうやら的を射たものだったらしい。彼の方を振り向いた悠樹は青ざめ、唇を震わせる。
「さて、俺の方から真相を言い当てても構わないが……どうする?」
自供を促すように悠樹を見たが、彼は黙ったままだったので、良介は腕を組み直して話し出した。
「家庭科室での事件は、あんたの自作自演。つまり、自ら毒を盛って倒れ、唯一自身がアルコールアレルギーであることを知るクラスメイトの藤田苺に罪を着せようとした。……違うか?」
良介が言うと、悠樹は観念したかのように、肩を落として項垂れた。
「すげぇや……さすがっすね、生徒会長」
苦笑いを浮かべて、彼は己の罪を認めた。
きっかけは、苺の浮気が発覚したことだった。自分も他の女子に心を奪われ、そのことに罪悪感を抱いていた一方で彼女に堂々と裏切られていたことに憤り、彼女に濡れ衣を着せる計画を立て始めたのだという。
「アップルパイを食べる寸前にトイレへ行き、指に絆創膏を貼ったのは直接肌にラム酒を塗らないためだろう?」
「ええ、そうです。直接塗っちゃったら、その時点で発作が起きますから」
「だが、計画通りに事が運ぶかと思ったら、渡邊が疑われるという誤算が生じたんだな」
「はい。でも、西野が、あいつの事好きって知ってたから……言い出せなくて」
眉間に皺を寄せ、拳を強く握り締める。
「……後悔しているなら、今すぐ渡邊の家へ行って謝れ。そして明日の朝、クラス全員の前で真相を打ち明けるんだ。わかったな」
「はい……申し訳ございませんでした」
「吉川。明日、市ノ瀬からきちんと謝罪があったか報告してくれ」
「は、はい……!」
悠樹は深く頭を下げてから立ち上がり、役員全員に会釈し、生徒会室から出ていった。重い足取りだった。
「……これで、渡邊くんが来てくれたらいいね。良介くん」
「ああ……」
「そうね。文化祭も控えてることだし」
「ったく、世話かけさせやがって!」
そう言いながらも、隼人はどこか満足げな笑みを浮かべていた。
「あの、皆さん……本当に、有難うございました!! 先輩方のお力がなかったら、私一人では、到底解決できなかったと思います……!」
葵も深々と一礼すると、昌子がその頭に手を置いた。
「いいのよ、また何かあったら言いなさいよね!」
「そうそう、遠慮なく頼れよな!」
「文化祭の出し物も、頑張ってね。必ず行くから」
「は、はい! 是非、いらしてください!!」
その目はまた涙を流そうとしていたが、葵の表情はとても晴れやかだった。そんな彼らを見る良介も、穏やかな眼差しを向けていた。
*
「こんにちはー! こちらでハロウィンティーパーティーやってまーす!!」
「季節のお菓子を食べながら、ほっと一息つきませんかー!?」
お菓子を食べなきゃいたずらするぞ、一年A組ハロウィンティーパーティーと綴られた看板を持ちながら、ミイラ男と死神に扮した生徒が昇降口で客引きに励んでいる。家庭科室の中では、魔女っ子をイメージした格好の女子たちが楽しそうに接客をしていた。売れ行きは順調で、調理係も忙しそうにしている。
「五番テーブル、カボチャのチーズケーキと紅茶のセットでーす!」
「またかいな! いい加減休ませたってー!!」
カーテンで仕切られた調理スペースで、達也が悲鳴を上げる。
「渡邊くん、お客さんに聞こえちゃいますよ!」
その横で、葵も急いで手を動かしていた。しかし、二人ともどこか楽しそうである。
「渡邊、吉川! 交代の時間だよ」
そこへ、ゾンビ風メイクを施しメイド服を着た明梨と、フランケンシュタイン姿の悠樹が調理スペースへやって来て、葵と達也は廊下の客引き係と交代した。
「それにしても、大人気ですね! これ、飲食部門一位狙えるんじゃないですか!?」
「お、おう……せやな」
興奮気味に葵は言ったが、達也は魔女っ子のコスプレをした彼女を直視できず、真っ赤な顔を隠すように急いでカボチャの被り物を頭に乗せた。
「あ、あんな、吉川」
「はい、何ですか?」
「おおきにな、ほんま。会長はんたちに頼んで、事件の解決までしてもろて……お陰で今、めっちゃ楽しいねん」
校内の喧騒に搔き消されそうなほど小さな声だったが、それは確かに葵の耳に届いた。
「いえいえ、どういたしまして! あ、そういえば、梅宮先輩と百合川先輩も渡邊くんの作ったケーキが食べたいって仰ってましたよ!」
「何やて!? あかんわ、もう秘密でも何でもないやん!!」
達也が看板を持ったままその場で蹲ると、葵は微笑みながら、彼の被り物を外して言った。
「いいじゃないですか。これからは仮面を外して、ありのままの貴方で、堂々と生きてくださいね。ジャック・オ・ランタンさん?」
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