目覚めの時

「うぅ、いい光景なのじゃ。妾ちょっと泣いてしまうのじゃ」


「ははは、そうだな」


 抱き合う父と娘達の光景を、俺とローズは静かに見守る。すると程なくして満足したのか、エフメルさんがこっちにやってきて深々と頭を下げてきた。


「改めて感謝するよ、クルト君、ローズ君。君達がいなければ私は助からなかった」


「いやいや、さっきも言いましたけど、俺達は特に何もしてないですから」


 慌ててそう告げる俺に、しかしエフメルさんは真剣な表情で首を横に振る。


だから・・・だよ。君達が何もしていないのに、私は助かってしまった。つまりもし君達が現れず、当初の予定通りに『目的』を達成していたら……魂を失った娘達を前に、ただ一人私だけが魂を持った状態で残ることになっていたんだ」


「あっ」


 言わんとすることがわかり、俺の背筋がゾッと震える。そしてそれは当事者であるエフメルさんにとっても同じだ。


「今ようやく、私はエフメルの感情を真に理解することができた。『目的』は達成され、娘達はいなくなり……空っぽになった私がこの感情に耐えられるとはとても思えない。


 しかも私はゴーレムだからね。人のように忘れることも死ぬこともなく、石塊いしくれと成り果てるまで何百年でも何千年でもその苦しみが続くんだ。しかもそんな私の側には、自らの罪の証である娘達が魂を失った状態でずっと存在し続けるんだよ? 軽く想像するだけでも発狂してしまいそうだよ。


 ああ、恐ろしい。もしそんなことになれば『自分で自分を傷つけられない』という制約をなんとかして終わりを迎えるために、それこそダンジョンを暴走させて世界を滅亡に追い込み、その流れで自分も壊れるか、あるいは自分を壊してくれる誰かを求めたりしていたかも知れないね」


「あ、あはははは…………」


 最後の方は冗談っぽい口調で言われたが、俺としてはこれっぽっちも笑えない。確かにエフメルさんにはそれができるだけの力があって、かつ最終目標が「己の破滅」なら、どんな手段でも選べるということになる。


「ということは、妾達は期せずして世界を救ったのじゃろうか?」


「……かもな」


「もしそうなったら、色んな世界から集まった七人の勇者が姉ちゃん達と共に旅をして、大魔王父ちゃんを倒す別の物語が始まってしまうところだったデス! 今度は一人が一つずつ順番にダンジョンを封印していって、ゴレミは最後に父ちゃんに泣いて縋って元の優しい心を取り戻してもらう役割なのデス!」


「なんやその発想力!? 相変わらずイリスは自由やな」


「ちゃっかり美味しいところを持っていこうとしてるのも、凄くイリスだよね」


「というか、その結末ならイリスには魂が宿ってるんじゃないの? 前提が違うのは流石にどうかと思うわよ?」


「むあーっ!? 姉ちゃん達が厳しいデス!?」


「貴方達、その辺にしておきなさい。お父様、お父様との語らいは素晴らしいものですが、とはいえ先に『目的』の方を完遂してしまうことを進言します」


「おっと、それはそうだねベリル。アルフィア、『完全な人』の状態は?」


「安定しています。特に問題はありません」


「そっか。ではデーラ、記憶の方はどうなってる?」


「全データをコピーして、サーバーにアップロードしてあるわ」


「了解。じゃあ最低限の調整をしてから、上書き処理に入ろう」


「うむん? 調整ということは、記憶に手を加えるのじゃ?」


 エフメルさんの言葉に、ローズがはてと首を傾げる。そしてそれは俺も同じ気持ちだ。


 だって死者の魂を引っ張り上げてまで記憶をコピーしたのに、そこに手を加えたらそれこそ『完全な人』ではなくなるんじゃないだろうか?


「あー、言いたいことはわかるけど、これだけは仕方ないんだ。流石に事故に遭った当日の記憶は、ね」


「あ! ああ、そりゃそうですね」


 苦笑するエフメルさんに、俺は秒で納得する。全部ってことは自分が死んだ瞬間までの記憶があるってことだもんな。確かにそれは残しておいていいことねーよな。


「ということで、事故に遭った当日の朝以降の記憶は除外して、生まれた瞬間から前の晩に寝たところまでを上書きすることとする。ふふふ、魂に書き込まれてしまった記憶はどうやっても消せないけれど、書き込む前なら何を書き込むかは選べるからね。


 ということで、デーラ、頼むよ」


「任せて父さん。読み込みなさい、『先詠みの板書プレスティア』! 」


 デーラさんの言葉に合わせて、デーラさんとエフメルさんの前に青い板きれが浮かび上がる。ああ、懐かしきボドミの姿――


「っ!?」


 一瞬ギロッとデーラさんに睨まれ、俺は慌てて顔を逸らす。ちょっと考えただけなのに、何で気づいたんだ?


「マスターの考えていることは、七割くらい筒抜けなのデス。特にアホなこととえっちなことは大体全部丸わかりなのデス」


「なっ!? 何でそんな……って待て! それだと俺がいつもそういうこと考えてるみてーじゃねーか!」


「違うデス?」


「ちげーよ! 考えてねーよ!」


「ちらっ」


 わざわざ口で言いながら、ゴレミがスカートの裾をつまみ上げる。今のゴレミは普通に石像の姿なのに、俺の視線はどうしてもそれを追いかけてしまう。


「ほら、やっぱりマスターはマスターなのデス!」


「クルトよ……」


「ち、ちげーよ……これはほら、不可抗力ってやつなんだよ…………」


 したり顔のゴレミと哀れむような視線を向けてくるローズに、俺は口を固く結び、そっぽを向いたまま反論する。本当にそんなつもりなんてまったくねーし、何よりスカートの下はただの石像だとわかっているのに、男の本能はどうしてもそれを追いかけてしまうのだ。


 つまりそれは、熱いものに触ったら手を引っ込めるとか、そういうのと同じってことじゃないだろうか? なら俺が特別にいやらしいとか、そんなことでは断じてない……ないはずなのだ。


「おーい、終わったよ!」


「えっ、もう!?」


 と、そんなことを考えている間にも、エフメルさん達の作業は終わったらしい。今までの盛り上がりからするとあまりにもあっさりだが、驚く俺にエフメルさんが苦笑する。


「ははは、そりゃこの第三段階はずっと昔から準備していたことをそのままやっただけだからね。それどころか書き込む魂が綺麗なだけに、むしろ想定よりずっと簡単だったくらいだよ」


「そうね。本来ならどうしても残ってしまう黒い部分をできるだけ避けるとか、記憶の書き込み方を工夫しないといけないはずだったんでしょうけど、あれだけ白かったらそのまま書き込むだけだもの。実際にやった私からしても、正直ちょっと拍子抜けだったわ」


 エフメルさんに続いて、デーラさんもそう言って笑う。二人がそう言うなら、間違いなく完璧に作業が終わったということだろう。


「お父様、ではいよいよ……?」


「ああ、『完全な人』のお目覚めだ」


「おぉぉ、遂にやな!」


「どんな子なんだろうね? 楽しみだなー」


「それで、どうやって起こすの? ガルマちゃんがお目覚めのチューをするとか?」


「そんなわけないでしょう! 『ベリBeatLittletheセカSecurityンドandプロProテクTechターMaster』の権限により、最終安全装置を解除。お父様、後はお願いします」


「わかった。クリエイター権限でコマンドを発動。パスワードを音声認識……『目覚めのTime has鐘はgone高らかにDing鳴り響くDong』」


 エフメルさんがそう告げた瞬間、容器のなかに満ちていた液体が抜け、プシュッと空気が吹き出る音と同時に蓋が開く。そして……


「ん…………」


 きっとずっと、俺には想像もつかないくらい長い長い時の果て。遂に『完全なる人』ことオルガが、小さな唸り声うぶごえをあげた。

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