魂の譲渡:ジッタ・エプシル

「ほほぅ?」


 ジッタの中に広がっていたのは、何処までも続く草原だった。空は快晴、足下には柔らかな草が生い茂っており、ここで寝転がったらさぞかし気持ちよく昼寝できることだろう。


 が……


「あー、あっちはヤバそうだな……」


 何となくそっちが奥だろうなという方向に視線を向けると、空の色が徐々に変わっていくのがわかる。青空が夕焼けになり、夜になり……それに伴い視界も通らなくなっている。


 おそらくあっちには、ジッタの暗い記憶があるんだろう。そりゃそうだ、ゴレミにだって辛い記憶はあったんだから、それより長く生きてるジッタなら、尚更そういう記憶は多くて当然。


 正直ちょっと興味はあるが、他人の心を興味本位で探りまわるなんてことをするつもりはない。俺は暗い夜に背を向けると、明るい方へと歩き始める。


 そうして穏やかな世界をのんびり進むことしばし。俺の目の前に現れたのは、小動物を飼育するような小屋であった。


「これ、か? 他にそれっぽいもんもねーし、多分そうだよな?」


 俺の腰ほどの高さのある、三角屋根の簡素な木の小屋。中を覗き込んでみたが、柔らかい布が敷かれているものの、肝心の動物の姿はない。


「うーん? 小屋を丸ごと持ってけってわけでもねーよな? なら……お?」


 しばし考え込んだところで、小屋のすぐ側にある餌皿が淡く光っていることに気づいた。俺がそれに手を伸ばすと、フッと意識が他の場所へと飛ばされていく。





「うーん、もふもふー」


 犬、猫、兎などなど、無数の小動物に埋もれた少女が、とろけるような声を漏らす。そんな少女の側に立っているのはジッタだ。ゴレミはいつもの石像姿だったのにジッタが俺の知る人の姿なのは、俺の認識の問題だろうか?


 ま、そんな細かいことはどうでもいい。とにかくジッタが少女に向けて、呆れたように声をかける。


「イノリは本当にそういうの好きだよね」


「そりゃ女の子だもん! もふもふのふわふわは大好きだよー。ジッタちゃんは違うの?」


「好きか嫌いかで言えば好きだけど、そこまででもないかな?」


「ならこの子達は、私の独占だねー。うふふー」


「仕方ないなぁ……」


 その声色とは裏腹に、ジッタは優しい顔つきでその場に腰を下ろす。温かい日差しに照らされ、二人はただゆっくりと時を過ごし……





「…………あれ? これだけ?」


 その記憶が途切れて、俺がジッタの精神世界へと戻ってくる。あまりにも何もないその光景に一瞬首を捻ったが、すぐに苦笑して自分の頭を引っ叩く。


 はは、馬鹿だな俺は。これが、これこそがジッタがオルガに渡したいと思った想いだろ。こういう何もない穏やかな時間をこそ、大事な最後の妹にと考えたんだ。


 てか、それを言うならゴレミだってただ一緒に寝てただけの記憶だしな。これでいいんだ。これがいいんだ。絶対に見せたくないような記憶はきっとあの夜の果てにあるのだろうし……絶対になくせない本当に大事な記憶は、きっとこの奥にあるのだろうから。


「うしっ、それじゃこいつを持っていく……かぁぁ!?」


 小皿を手に取ろうとするも、どういうわけかびくともしない。それこそ片手でひょいっと持てそうなのに、両手で掴んで渾身の力を込めても持ち上がらない。


「おっも!? え、魂の欠片って、全部こんなに重いのか? ふぎぎぎぎ……っ!」


 しっかり両足で踏ん張り、全力で小さな皿を持ち上げる。そしてそれが地面から離れた瞬間。


「ふぉっ!?」


「うわっ、何!?」


「クルトよ、またなのじゃ!?」


「あ、ああ。悪い……いや、思ったより重かっ…………見た目より重かったから、踏ん張ってたところだったんだよ」


「えぇ? それはボクの想いが重かったってこと?」


「大事な思い出なのじゃったら、重くても当然なのではないのじゃ?」


「そうデス。あとマスター、女の子に重いとか言ったら駄目なのデス!」


「……………………」


 俺の時と違って、ジッタやローズの台詞にはツッコミが入らない。そのうえゴレミから理不尽な指摘をされ、俺はキュッと唇を噛みしめる。


 落ち着け。落ち着け俺。クールになるんだ…………


「……ふぅ。よし、魂はちゃんと回収できてるな。それじゃ交代してくれ」


「はーい。次はエプシルだね」


「おう、ウチやで! よろしくな兄ちゃん! <心核解放アン・ロック>!」


 ジッタと入れ替わりになったのは、今日も快活な笑みを浮かべるエプシルだ。早速自分で変身したので、俺もそのまま流れで精神世界へと入る。


「……何だこりゃ?」


 するとそこに広がっていたのは四角い世界だった。草地があって岩場があって木が生えていて川が流れていてと、一つ一つの要素を切り取るならごく普通の……やや色んな地形が密集し過ぎな感じはある程度の場所だ。


 だが、四角い。あらゆるものの境目が四角くなっており、陸が階段みたいになっている。木の幹も真四角だし、何なら葉っぱまで四角いくらいだ。いや、葉っぱそのものが四角いのではなく、四角い空間に葉っぱが詰まっているというか……駄目だ、俺の語彙量ではこれをどう説明すればいいのかわからない。


「エプシルのやつ、四角好きすぎだろ……いや、そういう問題でもねーのか? まあいいや。適当に進んでみよう」


 ジッタの時ほどわかりやすくはなかったが、とりあえず火山がある方向に背を向けて進んでみる。するとすぐに川があり、その上に小さな一人乗りのボートが……ややカクカクしているが、流石に完全な四角ではない……あった。


 あからさまに乗って欲しそうだったので、それに乗って川を下る。川は洞窟の内部に続いており、「あれ、これ道を間違えたか?」と一瞬焦ったものの、洞窟内部は明らかに人の手の入った坑道のようで、物理的にも印象的にも暗い感じはない。


「……お? あれか?」


 そうして川が突き当たった先。不自然に真っ平らな石の壁の一部が、ピカピカといい感じに光っている。俺がそこに手を触れると、今回もまた意識が飛ばされる





「エプシル殿、これは一体……!?」


「ハッハッハ! どうやフッタ! これがウチの実力や!」


 だだっ広い平原に聳え立つ、やたらと立派な砦。でかいハンマーを片手に高笑いするエプシルの側では、小太りの男が何とも微妙な表情を浮かべている。


「あの、エプシル殿? 拙者は小規模な防衛拠点が欲しいとお願いしたのですが」


「何言うてんねん! 大きいことはいいことやろ!」


「いやいやいやいや、こんな巨大な砦、とても拙者とエプシル殿では管理できませぬぞ!? 人のいないところを魔物が抜け放題ではござらぬか!?」


「あーん? そこはほら、アレや。罠でもガツーンと作っとけば……」


「なら別に砦の形にせずとも、最初から罠を大量に敷き詰めた方がよかったのではありませぬか?」


「なんやフッタ! ウチの仕事に文句があるんか!?」


「いいえ! そんなことこれっぽっちもありませぬ! エプシル殿はいつだって最高の職人ですぞ!」


「そうやろそうやろ! 最初っからそう言っとけばええんや! ガッハッハッハッハ!」





「…………えぇ?」


 エプシルの高笑いが響くなか、精神世界に戻ってきた俺は、エプシルの隣に立っていた男と同じような表情を浮かべる。やたら光る四角い石から感じられるのは、「どうや、ウチは凄いやろ!」という強烈な主張だ。


「……ま、まあエプシルがどんな想いを渡すかは自由だしな。んでこいつは……ん? 引っ張ると抜けるのか?」


 改めてよく見ると、壁の中央にあった光る四角が、ちょっとだけこっちにせり出してきている。これなら指を引っかければ抜けるかも知れない。


「見た目からしてでかいし、これも重いんだろうな。なら慎重に…………ふぁっ!?」


 おおよそ一メートル四方と思われる光る四角は、予想を遙かに超えて軽かった。あまりの軽さに思わず後ろに仰け反ってしまい、俺の頭がガチンと何かにぶつかる。その瞬間俺の意識が再び何処かに飛ばされて……





「あー、ええなぁ…………」


「あの、エプシル殿? これは一体?」


「何って、いつもの腹枕やんか」


 座り込む小太りの男に背を預け、エプシルがそのぷよぷよした腹に頭を埋めている。その顔は実に幸せそうだが、男の方はやや戸惑っているようだ。


「ええか? フッタのでっかい腹は、このくらいしか使い道がないんや。その無駄な脂肪をウチが有効利用してやってるんやから、むしろ感謝すべきやで?」


「まあ確かに、拙者としてもエプシル殿に喜んでいただけるなら光栄でござるが……しかしその、何と言うか……」


「なんやねん。はっきりしいや!」


「石の体だった頃と違って、今のエプシル殿ですと、柔らかさとか温もりとか、あといい匂いがして…………」


 うん? ってことは、今のエプシルは変身してる状態なのか? 俺の目にはずっと同じに見えてるから、その辺はわかんねーわけだが……何だろう、とても嫌な予感がする。


「あーん? おいフッタ、まさかお前、ウチに興奮でもしてるんか? うりうりー」


「そ、そのようなことは決して! ですが……」


「ま、ウチは魅力的やからな。しゃーないしゃーない。少しくらいなら許したるわ」


「ふふょっ!? そ、それはどういう!?」


「せやから――





「ぐはっ!?」


 強烈な衝撃を受けて、俺の意識が俺の体へと引き戻される。頬に感じる焼けるような痛みに振り向くと、そこにはドラゴンでも殺せそうな目つきをしたエプシルの顔がある。


「なあ兄ちゃん、なんや今、ウチのなかで兄ちゃんが余計なことしとる気がしたんやけど……?」


「な、何も!? 俺は一切全然、何も! これっぽっちも余計なことなんてしてねねーから! ほ、ほら、もう光ついてるし!」


「さよか? ならいいけど…………」


 エプシルの顔が、グッと俺の耳元に寄せられる。


(誰かに余計なこと言ったら、マジでしばくからな? 一メートル四方の肉ブロックになりたくなかったら……)


「ひえっ!?」


 その時俺にできたのは、ただ激しく首を縦に振り続けることだけだった。

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