迅速な損切り

「クァァ…………」


「気持ちよさそうにあくびをしておるのじゃ」


「まだこっちに気づいてないデス?」


「かもな。にしてもでけーな」


 大岩のような甲羅からニューッと首を伸ばしている魔物を前に、俺達は小声でそんなことを話し合う。


 ブラックタートル……それがこいつの名前だ。首から尻尾までの全長が五メートル、周囲の地面と同じ赤茶げた色をした、岩のようにゴツゴツした甲羅の一番高いところが三メートルくらいあるでかい亀で、事前に仕入れた情報によれば武器はその巨体と重量を生かした体当たりと、人の腕くらいは余裕で食いちぎる強烈な噛みつき。


 周囲の岩に擬態していることが多く、うっかり手をついたらそれがブラックタートルで、伸びてきた口に腕や足を噛みちぎられそうになったというのは、この<火吹き山マウントマキア>ではありがちな話らしい。


(ま、先に見つけちまえばそんなの関係ねーけどな)


「それで、どうするデスマスター? 予定通りゴレミが引きつけるデスか?」


「……いや、ここは俺が不意打ちしてみる」


 ゴレミの問いに、俺はわずかに考えてからそう答える。敵を引きつけるってことは、わざわざこっちの存在を教えて注目させるということだ。せっかく気づかれていないなら、こっそり近づいて首を落として大勝利……というのが理想だろう。


「つっても、上手くいくかどうかはわからん。二人共身構えておいてくれ」


「わかったのじゃ!」


「ゴレミセキュリティは年中無休なのデス!」


 二人が頷いたのを確認して、俺は大回りでブラックタートルの背後に移動すると、そのままこっそりと近づいていく。後ろ足を抜け、甲羅の横を通り過ぎ、もう少しで首まで辿り着く……というところで、不意にブラックタートルの頭が、クイッと曲がって俺の方に迫ってきた。


「クアッ!」


「うひょわ!? チッ、気づかれた! ゴレミ!」


「任せるデス! ゴレミの魅力で亀の頭をギンギンに引きつけちゃうデス!」


「言い方ぁ!」


 素早く後ろに飛び退いた俺とは対照的に、ゴレミはブラックタートルに駆け寄りながら手袋の金属部分をシャンシャンと打ち鳴らす。するとブラックタートルの頭はすぐに俺から興味を失い、ゴレミに向かって伸びていった。


「クアッ!」


「フフーン! そんな乱暴な愛撫かみつきでは、ゴレミを感じさせるのは……あ、あれ? マスター、これ思ったより力が強いデス! ちょっとヤバいかもデス!」


 腕を噛みつかれたゴレミが、珍しくやや焦った声を出す。どうやら容易く人の腕を噛みちぎる顎の力は、石の腕にも通じるらしい。ならば――


「ここだっ!」


「うわっ、引っ張られるデス!?」


 再び駆け寄った俺が、伸びきったブラックタートルの首に鋼の剣を振り下ろす。するとブラックタートルはゴレミを加えたまま勢いよく首を引っ込め、結果としてゴレミの石の体が俺に思い切りぶつかった。


「ぐはっ!?」


「マスター!? この、離すデス!」


 吹き飛ぶ俺を見て、ゴレミが右腕をくわえたままのブラックタートルの顔面に拳を叩き込む。そしてそれとは別に、ローズが俺の側に近寄ってきた。


「クルトよ、大丈夫なのじゃ!?」


「あ、ああ……くそっ、また吹っ飛ばされちまったぜ……」


 昨日に続けて連続で強打をくらい、俺の脇腹がジクジクと痛む。今回も防具のおかげで骨は平気だと思うが、それでも同じような場所に二度も食らうのは流石に辛い。


「悪い、回復薬を使う」


「よいのじゃ! 使わぬ薬に意味などないのじゃからな」


 ローズが差し出す回復薬を受け取り、俺はその中身を半分飲むと、残り半分を鎧の上からかける。直接かけるより効果は大きく減衰するだろうが、それでも戦闘中に防具を脱ぐのは無理だ。


 ただそれでも流石は回復薬というか、脇腹を襲う痛みはすぐにマシになっていった。


「ふぅぅ……よし、これならいけるか。ゴレミ――」


「ゴレミ、パーンチ!」


「クアッ!?」


 俺が指示を出す前に、ゴレミが渾身の一撃をブラックタートルの顔面に入れたようだ。たまらず口を離したブラックタートルが、その首のみならず四肢も尻尾も、全てを甲羅の中に引っ込める。


 つまりは、完全防御態勢だ。これならしばらく攻撃はないと踏んで、ゴレミもまたゆっくりと後ずさりしながら俺達の方へ近づいてきた。


「マスター、大丈夫デスか?」


「回復薬を使ったから、まあ平気だ。ゴレミは?」


「少しピシッときたデスけど、割れたりはしてないので平気だと思うデス。ただ、もう二、三回思いっきり噛まれたら、腕が割れちゃうかも知れないデス」


「腕が!? ゴレミよ、それは直るのか?」


「うーん。自分でもちょっとわからないデス。軽いヒビくらいなら直ると思うデスけど」


「むぅ……」


「わかった。なら完全回復するまでは絶対無理するな……一応聞くけど、回復薬が利いたりは……」


「それは流石に無理デス」


「だよなぁ」


 なんちゃってメイド服が直るくらいなのだから、ゴレミの体もある程度なら自己修復することはわかっている。が、どのくらいまで治るのかがわからないというのなら、無理はさせるべきじゃない。


 まあ人間だって、どの程度の怪我までなら自然回復で治るのかの見極めはくっそ難しいしな。こればっかりは仕方ない。


「んじゃ、ゴレミは少し休憩してもらうとして……この亀はどうすっかな?」


 気持ちと意識を切り替えて、俺は目の前のでかい亀を前に考える。手足を引っ込めると本当に岩の塊みたいにしか見えない魔物を、果たしてどう攻略すればいいだろうか?


「甲羅を力ずくでぶん殴って壊す……は無理だよなぁ」


「この硬さは無理だと思うデス。ゴレミパンチでもこっちの腕が砕けちゃうデス」


 まず最初に絶対無理そうな条件を潰すと、そこにゴレミも追従する。そうか、ゴレミにどれだけパワーがあったとしても、物理的に石の体より硬いものを殴って壊すのは無理だよな。


 てことは、今後はゴレミの武器も考えるべきか? でもゴレミが使って壊れない武器となると、その辺の安物ってわけにはいかねーし……あー、また金貯めねーと。


「妾のフレアスクリーンが甲羅の内側に届けばよいのじゃが……甲羅の表面を炙ったところで、此奴が倒せるとは思えぬしのぅ」


「できねーもんは仕方ねーだろ。穴も何か塞がってるしな」


 どういう仕組みなのかはわからねーが、手足や首を引っ込めたところに開いている穴が、内側から蓋のようなものによって閉じられている。もし穴が開いたままなら、そこから中にローズの魔法をぶち込むというのもありだったが、これでは普通に自爆するだけで終わってしまうだろう。


(並の攻撃でこの防御を突破できるとは思えねーし、ひょっとしてこいつもフレアリザードみたいに、何かいい感じの攻略法があるのか?)


 今のところこいつを倒す手段は、最初に油断してるところに忍び寄り、首を一刀両断くらいしか思いつかない。だがたかだか三層に出てくる魔物が、不意打ち以外で倒せないというのは不自然な程に親切・・なダンジョンの性質上考えづらい。


 となれば、こいつもまたフレアリザードのように、何らかの手段で弱体化できると考えるのが妥当だ。むしろ一層二層のフレアリザードがそうだったので、このダンジョンに出現する魔物は「攻略法を見つける」ことが推奨されるという流れなのかも知れない。


「どうするデス?」


「どうするのじゃ?」


「うーん…………撤退だ!」


 問う二人に、俺は腕組みをして考えて……そして決断を下す。有効な攻撃手段が何も思い浮かばず、俺もゴレミも負傷している。せっかくやってきたばかりの第三層だが、こんな状況で粘るよりは、潔く引き下がって出直した方がいいだろう。


「一匹すら倒せぬのは無念じゃが、仕方ないの」


「残って死んだら終わりデスが、生きて帰ればまた来られるデス! また上がるかもと損切りを渋ると、大暴落するのがお約束なのデス!」


「そ、損切り……? まあいいや。異論はねーってことで……おい亀野郎! 次来たときはぜってーぶっ倒してやるからな!」


 未だ動かぬ大岩ならぬブラックタートルに、拳を突き出し啖呵を切る。だが当然奴は無反応なわけで、俺は小さくため息を吐いてからその場を立ち去ろうとし……


「? マスター、どうしたデスか?」


「いや、最後に一発くらい食らわせてやろうかと思ってな……てことで、食らえ、歯車スプラッシュ!」


 甲羅に籠もったままのブラックタートルに、俺は思いきり歯車を投げつけてやる。するとカチカチと音を立てて歯車の雨がブラックタートルの甲羅に降り注いだ。


「うわ、大人げないのじゃ」


「いいだろこのくらい! さて、それじゃ降りる――」


「ま、マスター!?」


「あん?」


 そのまま斜面を降りようとしたのだが、焦った声を出すゴレミに釣られて振り返る。するとそれまで周囲の地面と同じく赤茶げた色だったブラックタートルの甲羅が、まるで黒曜石のような艶のある黒にみるみる変化していく。


「え、な、何だ!? ひょっとして怒ったとか……?」


「クルトよ、妾はとてつもなく嫌な予感がするのじゃ」


「ゴレミのお肌にもビンビン感じるのデス! マスター、早く逃げるデス!」


「お、おぅ。そうだな。それじゃ……」


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………


 背後から聞こえる、大きな地鳴り。背筋を走る悪寒に、俺達は全力でその場を駆け出す。


「ヤバいヤバいヤバいヤバい!? なんでだよ、歯車投げつけただけじゃねーか!」


「クルトが余計なことをするから悪いのじゃ!」


「二人共走るデス! ビーダッシュデスー!」


「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」」」


ドカーン!


「「「うひゃぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」」」


 雄叫びを上げる俺達の背後で突然巨大な爆発が巻き起こり、俺達はそれに吹き飛ばされながらも這々の体でダンジョンを後にするのだった。

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