ボクが筋肉のことをこんなに愛してるんだから、筋肉もボクのことを愛して当然

ポピヨン村田

第1話

大筋おおすじさん 大筋鏡也おおすじきょうやさん14番診察室へどうぞ』


 今日も来る。


 “奴”が来る。


 冷泉れいせい医師はごくりと唾を飲んだ。


「冷泉先生、今日もよろしくお願いします!!」


 診察室のドアを勢いよく開け放ち、“奴”——大筋鏡也はやってきた。


 寒風吹きさすぶ真冬でもおかまいなしにタンクトップ一枚のみで上半身を覆い、益荒男のような筋肉を誇らしげに見せつけるこの患者が、冷泉は大変苦手であった。


「あー……大筋さん、今日もよろしくお願いします〜」


「はい!! 私の筋肉共々よろしくお願いします!!!」


 どかりと椅子に腰掛けた大筋の右胸が、大筋の呼びかけに呼応するかのようにぴくりと動いた。


「筋肉はあいさつしなくていいんですよ〜、大筋さん、その後調子の方はいかがですか〜」


「それはもう!!」


 大筋は冷泉の眼鏡を吹き飛ばしそうな勢いで吠えてから、両腕を挙げて力こぶをむんっと召喚して見せる。


「この筋肉、見てください!! てかてかでししょう! 先生に診てもらえるから嬉しいようだ!!」


 俗に言うマッスルポーズというやつだ。ダブルパイセップスともいうらしい。


 いやそんなことは心底どうでもいいと冷泉は見失いかけた自身を必死に取り戻す。


「筋肉の調子じゃなくてメンタルの調子を聞いてるんですよ〜。大筋さん、いつも言ってるけど先生と会話しましょうね〜」


「先生! そんなこと言ってると……」


 大筋が焦るやいなや、元気に血管を浮かせていた力こぶがみるみるうちに萎んでいく。


「風船みたいですね〜」


「ほら〜先生が意地悪なこと言うから筋肉の奴拗ねちゃったじゃないですか〜」


 冷泉はひくひく震える口をなんとか抑え、目をしきりに瞬くことで怒りを空気に逃した。


 これだ。


 いつもこの調子なので、冷泉は大筋は大変苦手なのである。


「……えーと、大筋さん、改めて確認しますねぇ」


「はい! 何でも聞いてやってください!!」


 大筋のサイドチェストが唸る。


「先生、筋肉語はわからないので大筋さんと会話させてくださいね〜。……え〜大筋さんが当院にかかった理由は……」


 冷泉は読めば読むほど頭の痛くなるカルテを、それでも職務なので何とか読み上げる。


「……ある日突然『ボクの筋肉は恋人だ』と主張を始めた大筋さんを心配したお母さまが精神科の受診を強制……ゲフンゲフン勧めたと」


「失礼しちゃうなママは! ボクらはこんなに元気なのに!!」


 片腕を上げてきらりと歯を光らせる大筋に、冷泉のメガネは色々な意味で曇った。


 大筋鏡也41歳。


 職業:無職


 家族構成:彼を女手一つで育てた母のみ。


 病状:幻覚・妄想。自身の筋肉を恋人と本気で思い込んでいる。


 これが冷泉が受け持つ中で特に厄介な、大筋鏡也の全てだ。


 当然、星の数ほどいる患者の中でもとびっきりの厄ネタである。


「まぁボクは全然いいのですけどね! 筋肉のやつ、先生に会うと嬉しそうですから! こいつ〜ボクという恋人がありながら〜!!」


 大筋は自分の腹筋を指でつついている。まるで頬を膨らませた恋人をつつくかのように。


「先生を大筋さんと筋肉との三角関係に巻き込まないでくださいね〜。あー……大筋さんはいつ頃から筋肉の声が聞こえるようになったのでしたっけ?」


 冷泉は床に唾を吐き捨てたい衝動を抑えること成功し、つつがなく診察を開始した。


「はい! ボクと筋肉との出会いはボクが物心ついてまもなく……」


「先生は大筋さんの人生史には毛ほども興味ないんで声が聞こえ始めたあたりまで省略してくださいね〜」


「……っっ先月くらいからですね!!」


 まだ話し足りなそうな大筋の視線を完全無視して冷泉は続ける。


「なるほど〜。筋肉は大筋さんに普段なんて話しかけてるんですか?」


 冷泉は自分で聞いておいて怖気が立った。


 聞きたくない、本当は聞きたくない。


 でも聞かないといけない。だって仕事だもの。


「それはもぅっ……」


 大筋は頬を赤らめてる。冷泉の顔は青ざめる。


「……鏡也くんは世界一かっこいいトレーニーだね、とか。飛び散る汗がまぶしいね、とか。あたし鏡也くんの筋肉に生まれて幸せ、とか……」


 冷泉は下唇を強めに噛んで、足を踏ん張り、どうにか耐える。


「……そんな感じかな……ふふっ、筋肉のやつ、本当にかわいいですよね」


 筋肉は大筋の言葉に喜んでいるように、上腕二頭筋を隆起させた。


 そして冷泉の心を散々ズタズタにして、大筋の“のろけ”は終了した。


 大筋は大きく息を吸い込む。


 診察は、ここからが本番だ。


「でもねぇ大筋さん、筋肉には発声器官がないから、筋肉の声なんていうものは本当は存在しないんですよぉ」


 冷泉は、当たり前の事実を淡々と突きつけた。


 当然の如く大筋も、大筋の筋肉もぴたりと固まった。


 良かれと思って患者の妄想に付き合うと、妄想の内容を強めてしまう。


 冷泉は心を鬼にして改めて大筋と向き合った。これも治療のためだ。


「先生、何を……ボクと筋肉のことを嫌いになったんですか……?」


「一回でも好きになった事実は存在しないですけどね〜。とにかく、筋肉が喋るわけないんです」


 冷泉は、(とても嫌だったが仕事なので)大筋の目をジッと見つめた。


「筋肉があなたに甘い言葉をかけるなんてことは、現実では起きてないんです。根気よくお薬と先生との対話を続けてそれを認めていきましょうね〜」


「…………な」


 そのとき、大筋の全身の筋肉がモリリッと膨れ上がった。


 まるで獣が外的への警戒のため毛を逆立てているかのような絵面で、冷泉は思わず身構えた。


「なんてこと言うんですか先生! 筋肉のやつは先生のことは出来る男だって褒めてたんですよ!」


「……筋肉から上から目線の評価もらっても先生喜べないですね〜……」


「なのに先生は筋肉のことをあたかも妄想癖があるみたいに……先生の……先生の……」


「妄想癖があるのは大筋さんだって先生言ってますよね〜? あれ〜? 先生のお話結構最初から無視されてのかな〜?」


「先生のバカーっ」


 大筋はその巨体をフルに活かして診察室のドアを破り、冷泉の『弁償』という言葉を背にして去っていった。


 廊下から、付き添いの大筋の母が素っ頓狂な悲鳴をあげながら『キョウちゃん、どうしたの!! 筋肉とケンカでもしたの!!』と息子にトンチンカンな問いかけをしているのが聞こえた。


 その声も段々遠ざかっていき、冷泉はぽつりと漏らす。


「そろそろ入院措置かな……」

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