第3話



 カイロの弟はリクロという。カイロが海路だから、弟はリクロになった。

 いまおかあさんのお腹にいる赤ちゃんはクウロになるらしい。


 授業で名前の由来を調べることになったときにカイロは、名前の由来を知った。お父さんの好きな言葉で、「待てば海路の日和あり」というのがあるんだって。

 とてもいい意味ね、と先生は言った。

 リクロとクウロの由来はどう説明するんだろう。授業で説明させられるのに。いい意味ね、と言ってもらえるはずがないのに。姉が海だから陸と空ですなんて。


 リクロの名前を決めたときに、これはクウロも要るなと思ったんだって。要るとなるとお母さんのお腹がふくらむという仕組みが、カイロにはよくわからない。


 がらがらどんのヤギも三匹だったし、三匹のこぶたも三兄弟だ。子どもは三人でちょうどいいと思ったんだって、と話したら、友達のお姉ちゃんがえろだ、とにやにや笑った。そのときおかあさんのお腹はふくらみ始めていた。

 よく分からないけどいやな感じだと思った。それがずっと胸にひっかかっていた。


 泡が流れて、合わせた太ももの隙間にたまった。

「えろだ」ってなんだろうとそれを見てまた思った。


「要る」の気持ち悪さと「えろだ」の分からなさは違った。「要る」の反対には「要らない」があるけど、「えろだ」の反対は分からない。

「要る」に含まれる「要らない」がいやなんだとカイロは気づいた。

 クウロだけじゃない、リクロにもカイロにも、要ると要らないが同時に含まれている。それだったら、「えろだ」と言われた方がよっぽどましだった。

 


 うつむいていたら、足元のすのこに挟まった髪の毛がうねうねと動いた。

 びっくりして椅子の上でおしりを後ろにずらすと、太ももが離れた。間にたまっていた少しの水が落ちて、髪の毛はさらに身をよじりながら、のびた。ジャックと豆の木の本の挿絵にあったみたいだった。


 髪の毛は二本が絡み合っているみたいだった。それがほどけて、また絡まる。ねじねじとまきつきあって、一本になる。

 要る、要らない、要る、要らない、呟きながらカイロは髪をのぼっていった。木になった髪の毛はもう汚くなかった。

 見下ろすと、リクロが両手を上げていた。

 登りたそうにしているけれど、カイロにリクロをひっぱり上げる力はなかった。しばらくするとリクロはかんしゃくを起こして、髪の毛の木を思い切りひっぱった。突然髪の毛の木はほどけて、二本の細い髪の毛にもどってしまった。

 おっこちる、と目をつぶる。カイロは頭からすのこの地面に落ちた。





 目を覚ますと、リビングにいた。

 バスタオルで包まれたうえに、ブランケットがかかっていて、おかあさんがカイロを見ていた。仰向けに寝ているのだとそのときに気づいた。上からのぞきこむおかあさんの顔は、いつもよりも輪郭があいまいで、別のひとみたいだった。


 ひとりで入るのは危ないから、明日はおとうさんと入りなさいとおかあさんがいう。よく見ると顔がむくんでいるし、おかあさんのおなかは苦しそうだった。


 おかあさん、ねえおかあさん、ユーチューブみてもいい? ねえリモコンどこ。リモコンないんだよね、ぼくねテレビでユーチューブがみたいんだよ。ねえリモコンさがしてよ。おちゃがないよ。おちゃわすれてるよおかあさん。おかあさんねえ。

 リクロが話し続けていた。


「ちょっと待ってね、おかあさん今お腹タイタイだから」

 

 要ると要らないが同居している。

 意味のなかにクウロはいなくて、がらがらどんみたいに、三匹のこぶたみたいに、三が必要なのだとしたら。

 えろだ、のなかにえろじゃない、は含まれない。

 クウロだ、のなかにはクウロじゃないが含まれる? 含まれない?だから、


「おかあさん、お腹タイタイなの。ちょっと待ってね」

「もう、僕おにいちゃんになるのいやだよ。いやだよ、だって、おねえちゃんともお風呂にはいれなくなったし」

「うん、うん」

「だっておねえちゃんと一緒じゃないと、お風呂つまんないの」

「そうね、でもおかあさん難しいから」


「それなら!」


 カイロが声をあげる。


「あたしがリクロといっしょに入ってあげる」



 ――いまのクウロの前にもうひとり、赤ちゃんがいたのを思い出した。

 そのときカイロはいまのリクロと同じ5歳だった。その赤ちゃんは、うまれるまえにいなくなってしまった。

 おかあさんはそのときも、お腹がタイタイなのと言っていた。

 リクロは当時3歳だったから、なにも覚えていないだろうけど、カイロはちょこっと忘れていただけなので、思い出すことができた。

「あたし今日一人でお風呂に入れたよ。リクロを洗ってあげられるし、ちょうどいいお湯のシャワーも出せるし、もうのぼせないように気をつけるもの」

 それに、カメムシみたいな大きさのカブトムシの人形で一緒に遊んであげられるもの。カイロはそっと思った。

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