第2話

「結衣ちゃんって可愛い顔してんのに、結構、胸もでかいよなー。廉、やっぱ、触ったりとかしてんの?」

 進藤奏(かなで)が下品なジョークを言う。廉は顔をしかめてみせた。人間と一緒にするな。吐き気が込み上げてくる。

「俺は、お前みたいなゲスの極みとは違うね。誰が触るかよ。嫁入り前の大事な体だろ」

「まじ? いやいや、男子としてありえないくらい高尚でしょ。生徒会長。やっぱ違うわー」

 奏はそう言うと、廉の目をじっと覗き込んだ。廉は人の目を見るのが実は苦手なのだが、奏の茶色っぽい目からは不思議と逃れられない。コイツは、昼休み、生徒会室に遊びに来ているだけのチャラ男だ。廉のクラスメイトで、中学生の時からの腐れ縁。高校に入ってからは彼は茶髪にして、緩やかなパーマもかけている。ピアスの穴も左右の耳に二個ずつ空けている。

 中学生の時から、奏は不思議と、同性異性問わず人気があった。周りの空気を絶妙に「読まず」、グイグイ迫ってくるのだ。その魅力は確かに廉も認めていた。タイプの違う二人だけれど、中学生の時からなんとなく、一緒にいる機会も多かった。

「冗談だぞ。怖い目すんなって。結衣ちゃん、悩んでるみたいだったからさ。つきあって四ヶ月だろ? そろそろキスくらいは、してもいいんじゃないか?」

 奏は口は悪いけれど。優しい目をして、心配げに自分を見てくれている。それなのに。

「奏に結衣がそんなことを?」

 結衣をとられそうだと本能的に予感した。奏はなかなかモテるのだ。彼女をとっかえひっかえしてる、というのは言い過ぎにしても、中学生時代から数えたら五人くらいは付き合ってるはず。後輩女子の相談に乗るのなんか朝飯前のはず。

 身近な親友なのに、コイツが結衣と自分の話をした。そのことだけで、冷たい怒りが湧いてくる。氷漬けにしてやりたくなる。氷柱で刺してやりたくなる。部屋の空気が急速に凍えていく。奏は寒そうに顔を歪めて、自分の腕で体を暖めている。

「前から思ってたけど、生徒会室のエアコン、故障してるよなー。予算あるなら買い替えたら? んじゃ」

 腕を寒そうにさすりながら、奏は弁当箱を持って帰っていった。

 ひとり残された廉は考えていた。周りにチラホラと雪が舞い、すぐに溶けていく。

 もし、自分が結衣にキスしたら。 

 十七歳の十月の満月の晩。すなわち、次の満月の晩のはず。その時は、キスをした結衣と自分は結ばれて、結衣は体の芯から氷漬けになる。「氷の花嫁」として一生、山に帰った自分に大事にされる。

 それでいいはずなのに。

 奏が羨ましい。奏が憎い。 

 俺だって普通のキスがしたいんだ。

 もし、結衣にそうできるならば。一ヶ月に何十回だって。

 廉は吐息をふっと雪に変えた。こんなことができる自分の力を、本当は結衣に自慢したいのだが。




 廉の父、鉄は人間だ。ただ、普通の人にはない力を有した人間だった。

 廉の母、きよらは、雪妖の中でも力が特に強いリーダー的な存在だった。 

 鉄は二十年前、きよらを倒しに山に向かった。ところが、なぜか、きよらを倒すのではなく、彼女と夫婦ごっこをして、何年か後に廉が生まれた。 

 けれど、強大な力を持ったきよらは溶けてしまった。

 人間のために自分の身を捨てる。それは、雪妖にとっては禁忌だった。人間の子を孕んだこと、その子を命がけで産むことは、充分に「人間のために」身を捨ててやったことに当たった。

 廉の命と引き換えに、きよらは儚くなった。夜の闇に溶けた、と鉄は当時の状況を言葉少なに語る。

 鉄は今日も、妖怪退治で遅くなるみたいだった。いかつい昔気質の父。陰陽師という家系らしい。周囲の人間には「大工の棟梁」だと、自分の職業を誤魔化して教えている。

「夕飯。カレー作った。温めて食え。父」

 食卓にメモが置いてある。トラックの絵のついた百均のメモ用紙だ。

 下手くそな字のメモ書きだな。親父。 

 その字を優しく見つめている自分に気づく。 

 本当は、雪妖の自分は猫舌なので、カレーなら、温めない方が美味しいのだ。

 なのに、レンジでチンしてしまうのはなぜだろう?

 チンして二分後、扉を開けると、湯気がもわっと立ち込める。火傷をしないようミトンをして、慎重に皿を取り出した。



「ラーメン屋! 駅前にできたとこ! 行こうぜ廉」

「嫌だよ。俺は猫舌なんだから」

 奏と自分の組み合わせ。会話はいつもこんな調子だ。なぜか、周りはこの会話のずれがおかしいらしい。高校からの帰り道。クスクスと、何の接点もない後輩たちが自分を笑っている。

 不思議と嫌な感じはしなかった。 

 奏がいるおかげで、友達づきあいにもそれほど苦労しなくてすむ。「奏の友達」たちは、なぜか、廉のことも友達扱いしてくれる。高校生活は、時にチーム分けやグループワークを行う。

 奏は「便利な存在」だ。人間社会に溶け込むための。

「アイス食っていい?」 

 駅前のファーストフード店、モックの隣にはコンビニがある。そこのソフトクリーム。チョコ、抹茶、バニラの三択なのだが、毎日、放課後に寄っている。奏も付き合ってくれるものの、人間の彼には、十月のアイスは凍えるようだった。

「今日は抹茶にしたよ。濃厚で美味いんだ」

「甘いよなー。これ」

 何ていうことのない会話も、満月の夜が来たらおしまいだ。父にも奏にも、生贄になる結衣にはもちろん、話せるはずもない。

 ただ、この間、結衣の誕生石であるアクアマリンの指輪を流山のショッピングモールで買ってあげた。

 生贄にしてしまうことの罪滅ぼしなのに、結衣は顔を真っ赤にして喜んで、涙まで流していた。

「わたしのことなんか、ほんとは好きじゃないんじゃ、って不安で」

 人前にも関わらず、ポロポロと涙を流す結衣。周りの人たちが、あの彼氏、彼女泣かせてなに? という表情で通り過ぎていく。

 本当は抱きしめたかった。せめて、肩だけでも抱けたら。でも、もしそうしたら、彼女は自分の冷気で凍えてしまうから。今はできない。

「誰よりも愛しいよ。だから、次の満月の夜、絶対に予定入れないでほしい」

 結衣の目を見て、静かに穏やかに伝える。結衣はウサギのような真っ赤な目で、廉を見つめ返す。 「先輩の家に行くってことですよね。親の許可もとりましたし、大丈夫です」

 彼女は涙を拭いてきっぱりと言った。何か大きな誤解をしているようなのだけれど。

 まさか、廉の家の近所のさびれた洋館、通称、幽霊屋敷に連れて行く、なんて言えるはずもなかった。その建物は、明治時代に建てられたもので、立ち入りは役所から厳重に禁じられていた。地元の人間は決して近づかない場所だった。


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