第一の鑑定  血の涙を流す少女の肖像 2-8

「ええっ、先生、ここに泊まるんですか?!」

 中津川の言葉に、真っ先に驚愕の叫びを上げたのは雪緒だった。この部屋に泊まるということは、気味の悪い絵と一晩ほぼ密着していることになる。

「そうだよ雪緒くん。と言うより、泊まるならここしかないだろう。絵は動かせそうにないんだから、一晩様子を見るならこの部屋にいるしかない」

「でもここは、よし香さんのお部屋ですよ……?」

 独身の、若い女性の私室だ。いくら鑑定のためとはいえ、そこに男が泊まるのはどうなんだろう……。

 雪緒は複雑な面持ちでよし香を振り返った。案の定、よし香は困り果てたような顔をして口を開く。

「あの……この部屋で男性が寝起きなさるというのは、ちょっと……」

 すると中津川は心底不服そうな顔をした。

「なぜです? 僕としてはぜひこの部屋で寝たい。男があなたの寝台を使うのがそんなに気になりますか? ちゃんと風呂に入ってから使うので大丈夫ですよ。何なら床で寝ます。ああ、箪笥を開けたらすぐに下着類が仕舞ってあるのも気になりますよね。そこも勝手に開けたりは……」

「ちょっと先生! もっと言葉を選んで!」

 雪緒が止めた時はもう遅かった。

 中津川のえげつない言葉によって乙女心を蹂躙されたよし香は、真っ赤になって俯いている。肩を震わせて、今にも泣き出しそうだ。

「もうっ! 若い女性に何てこと言うんですか、先生は!」

「別に非道ひどいことは言ってないよ。むしろ気を遣ったんだけどなぁ」

「どこがですか!」

 雪緒が中津川を叱りつけている間も、よし香は身をすくめたままだった。

「よし香、大丈夫か? しかし、鑑定のためとなると……」

 英一もおろおろしながら、よし香と雪緒たちを見比べる。

 しばらくして、よし香は何かを決意したようにぐっと顔を上げた。

「あの……。わたしの部屋に泊まっていただいても構いません」

「え、本当ですか?」

 中津川の顔が輝く。

 だが、よし香の視線はその中津川を素通りして、雪緒の前で止まった。

「ただし、泊まっていいのは雪緒くんだけです」

「ええぇっ、ぼく?!」

 突然の指名に、雪緒は自分を指差して面食らった。

「大人の男の人が泊まるのは厭です。だけど子供の雪緒くんなら平気……。それで、許してください!」

「ゆ、許してくださいって言われても……」

 目の端に涙を浮かべて縮こまるよし香を見て、雪緒は何と答えてよいやら分からなくなってしまった。そんな雪緒の肩に、ぽんと中津川の手が置かれる。

「いいじゃないか雪緒くん。きみがこの部屋に泊まりなさい」

「ええっ、ぼくは無理ですよ!」

「どうしてだい? 監視するだけだ。特別な知識はいらないよ」

「でも……」

 ちらりと壁にかかった絵を振り返る。

 頬に紅く涙の跡を残す少女と目が合った。相変わらず、不気味の一言しかない。

「大丈夫。きみは僕の一番弟子なんだから、きっとできるさ」

「そうやって、都合のいい時ばかり一番弟子扱いして!」

 雪緒は中津川に向かってふくれっ面をして見せた。

 とはいえ、もう覚悟は決めていた。中津川の態度は何となく気に食わないが、部屋の持ち主であるよし香が最大限の譲歩をしてくれているのだ。雪緒がここに泊まるしかない。

「話はまとまったようだな。よし、客人が泊まる手筈を整えよう」

 最後に英一がそう言って、この場を締めた。

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