第一の鑑定 血の涙を流す少女の肖像 1-3
「確かに昨日は少しばかり昼寝してたけど、夜は殆ど寝てないんだ」
再び欠伸をしながら、中津川は言った。
「え? そうなんですか? 絵でも描いてたんですか?」
「違うよ」
雪緒のほのかな期待をきっぱりと断ち切ってから、中津川は傍らにある大きな物体に手を伸ばした。
「話し相手をしてたんだ。……こいつの」
「こいつって、まさか……」
意味ありげな台詞に、雪緒はぎょっとした。中津川の口角がくいっと上がる。
「そう。この『壺』さ」
示されたのは、先ほどまで中津川が抱いて寝ていた壺だった。恐らく西洋の陶磁器だろう。一抱えほどの大きさがあり、すんなりとした綺麗な形をしている。
だが、言ってみればただの壺だ。値が張る代物なのかもしれないが、添い寝の相手にはならない……はずである。
「こいつは本物だね。本物の『曰く付き』だ。見事に一晩じゅう、泣いてた」
「壺が……泣く……?」
「そうだよ。しくしくしくしく、それは見事に泣いてたね」
途端に、目の前の壺がとんでもなく薄気味悪く見えてきた。そんな代物を、中津川の骨ばった手がいとおしそうに撫でている。
「もともとは仏蘭西の貴族の女性が持っていた壺でね。その貴族の女性は恋人に裏切られ、この壺の中で混ぜ合わせた毒を使って自らの命を絶ったらしい。それ以来、この壺から女性の泣き声がすると噂になっていてね。女性の怨念が、これに取り憑いてしまったんだ」
「うっ……」
「とりあえず一晩預かってみたらこれが大当たりだよ。夕べは一晩じゅう呪いの言葉を発してた。雪緒くんも撫でてみるといい。泣いたり喋ったりしてくれるかもしれない」
ずい、と壺が前に押し出される。雪緒はじりじりと後ろに下がった。
「……いえ、ぼくはいいです」
怨念の籠った、喋る壺。
何も知らなければ一笑に付してしまいそうだが、雪緒は今の話がすべて真実であることを知っている。
この壺には中津川の『副業』が絡んでいるのだ。
「おーい、一臣、いるかー?」
その時、土間の方から声がした。
「おお、噂をすれば何とやらだ」
中津川はぼさぼさの癖っ毛をひと撫ですると、立ち上がった。机の上にある舶来物の眼鏡をかけて、雪緒を振り返る。
「雪緒くん。朝御飯を食べながら仕事の話をするとしよう。準備してくれるかな?」
「うん。雪緒くん、美味しい。朝からここに来てよかったよ」
目の前の人物は、まっすぐな褒め言葉を口にしてからにっこりと微笑んだ。それだけでぱっと花が咲いたような明るさがあたりに広がる。雪緒もつられて笑顔になった。
「ありがとうございます。御飯はたくさん炊きましたから、もっと食べてくださいね、
中津川工房の板の間で、三人が仲良く膝を付き合わせて朝食を取っていた。
一人は雪緒で、もう一人は中津川。残る一人は朝から訪れた客、
甲斐の肩書は、美術商。中津川とは古くからの友人で、いわゆる幼馴染の関係だという。甲斐の方が若干年下らしいが、その若さで親の会社を引き継ぎ、社長業をこなしているというのだから驚きだ。
甲斐が跡を継いでから、会社の業績はみるみる伸びた。無論財閥とまではいかないが、甲斐家と言えば、今や帝都のお屋敷街に豪邸を構える大商家である。
大きな会社の社長であるにも関わらず、誰にでも紳士的で気さくな甲斐と、雪緒はすぐに打ち解けた。
忙しい仕事の合間を縫い、甲斐はこうしてよく中津川のもとを訪れる。社長自ら画家と話をして、絵や美術について見識を深めるためというのがその理由だった。
……表向きは。
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