第10話 守りたかったもの(1)
花瓶に生けてあった山茶花は、萎れかけ、紅い花弁を幾枚か落としていた。
黒岩しのぶは、色鉛筆で柔らかに描かれた少女の似顔絵を見て、涙をこぼした。両手で顔を覆い、俯いて洟を啜る。
少女の目鼻立ちはしのぶに似ていて、優しい眼差しに薄桜色の唇が微笑んでいる。大きくなったら女優にでもなれそうな、しとやかな雰囲気も母親譲りだった。
「黒岩菖蒲さんに間違いないでしょうか」
馬田譲の問いかけに、顔を覆ったまま二つ頷く。
「こちらは、あなたに差し上げます」
聞き間違いかと確かめるように、しのぶは両手から顔を上げ、馬田を見た。差し出された絵を、両手でそっと受け取る。
「証拠に使う復顔は、警察が持っているのでお気になさらず。そちらは非公式のものなんです。復顔された顔を元に、もう一枚、描いてもらいました」
警察が証拠として保管する一枚は、生吹によって復顔された正規のものだった。解剖学的な所見に基づき描画された似顔絵は、証明写真のように表情が乏しく、白黒で、死を想起させる。娘を失った母親に見せるなら、せめて、微笑みを浮かべた顔がいい。そういうことはできないかと、昨日、生吹に相談したところ、蒼ならできるだろうと引き受けてくれた。
「ありがとう、刑事さん。大切にするわ」
「黒岩菖蒲さんの遺骨は、鑑定が終わり次第、お返しします」
「あなたには世話になりっぱなしね。今日はなにか聞きたいことはないの?」
この時を惜しむようにゆっくりと聞く。
馬田は聞くべきことを探したが、今聞かなければならないことは、これと言ってなかった。
「今日はこれで失礼します」
「そう。なんだか、あなたに会えるのは、これが最後のような気がするわね」
「そんなことは、ないと思いますけど」
「こんな素敵な絵をありがとう。それから、娘の遺骨を見つけてくださって、本当にありがとうございました」
黒岩しのぶは、世話になった刑事に深々と頭を下げ、馬田は目礼して踵を返す。病院の殺風景な廊下を歩きながら、病室から漏れてくる悲しい母の咽び泣きを聴いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます