第28話 荒業(2)

 一ノ瀬は、穴守温泉を出る前に馬田に電話を掛けたが、連絡はつかなかった。一課に戻ってみても、やはり馬田の姿はなく、通りかかった同僚を捕まえて聞くと、黒岩しのぶの病院へ行くと言って、一時間ほど前に出て行ったという。


 もし今ここに馬田がいれば、穴守花咲の聴取に間接的に加わることもできたのだが。そう思うと、このタイミングでの彼の不在が悔やまれた。


 穴守温泉のラウンジで聴取を始めた際、穴守花咲は終始、父親の藤吾の視線を気にしていた。いくつかの質問には答えてもらったが、あまりにも話しにくそうにするので、警察署に場所を移すことにした。人に聞かれたくないという要望に答え得る部屋は、取調室しかなく、ここでもいいかと聞いて了承を得た。


 穴守花咲が、牡丹の花の舞う薄桃色の訪問着を整え、奥の席に座り、一ノ瀬がその向かいに座る。部下の女刑事は開け放たれたドアにパーテーションを設え、その端に椅子を置いて座った。


「穴守花咲さん、改めてここまでご足労いただき、ありがとうございます。こんな場所ですが、貴女を罪に問うための取り調べではありませんので、気を楽になさってください」

 穴守花咲は旅館の若女将の表情を保ったまま、控えめに首肯する。


「それでは、先程お話しいただいたことの確認からとなりますが、三田園真実さんとは、考古学者の古杉孝史さん主催のフィールドワークで知り合い、彼の方から一方的に好意を持たれていたということでしたね」

「ええ」

「三田園さんが大学で探偵サークルに所属していたことはご存じですか?」

「はい。彼から話は聞いていました。彼が考古学を学んでいるのも、古代のミステリーを解き明かすのが夢だからと言っていました」

「そうですか。それで、あなたも依頼をしたということを聞いていますが」

「彼が大学を案内してくれた日に、サークルにも立ち寄って、その時にサークル仲間の男の子たちに、私が三田園さんの彼女だと誤解をされそうになったので、依頼人だと言いました」

「その時に本当に依頼を?」

「依頼人を名乗った限りは、何か依頼をしないといけないでしょう?」

「何を依頼されたのですか?」

「人探しです」

「誰を探していたのですか?」

「私の姉です」

「お姉さん」

「はい。私が生まれる前に家を出た姉です。父には勘当したと聞かされていましたが、姉に会ってみたいと、小さい頃からずっと思っていましたから」

「そうですか」

「依頼料は三十万?」

「ええ」

「学生探偵なんて素人も同然でしょう。なぜそんな大金を?」

「人探しってお金がかかるものでしょう。それに、彼はとても優秀でした」

「優秀。どんなふうに?」

「初めて会った時、彼は私の名前を見ただけで、私に『あやめ』という姉がいると言い当てたんです」

「名前だけで? それは凄い推理力ですね。うちにも頭の切れるのがいますが、三田園さんといい勝負だったかもしれません。もし彼が生きていたのなら、是非警察に欲しい人材でした」

「そうですね。若さなんて関係なく彼のスキルは投資するに値するものだと思いました。それで、フィールドワークの最終日に正式な依頼をして、現金で依頼料を支払いました」

「なるほど。それで、お姉さんは見つかりましたか?」

「いいえ。六月半ばに電話がありましたが、それ以来音信不通になってしまって。大学にも顔を出していないようで、何かあったのかなあと案じておりましたが、まさか殺されているなんて、思いも寄りませんでした」

「そうでしょうね。驚かれたでしょう」

「ええ」

「三田園さんについては分かりました。次なんですけどね」

「まだ何か?」

「古杉先生のお話ですと、長瀞遺跡は貴女が最初に発見されたとか」

「発見というと語弊があります。穴守家は先祖代々墓守でして、いつ頃からかは分かりませんが、長い間、横穴墓を人目から遠ざけ、守ってきました」

「それを何故、公に晒すような決断をされたのですか?」

「別館の建設のためです。長瀞遺跡を売りに、別館を建設しようという計画を、父が提案しまして、それに協力した形になります」

「お父様の指示に従ったというようなことでしょうか?」

「まあ、そうなりますね。私は父の言うことには逆らえませんから」

「宿でも貴女は随分お父様の反応を気にされていたようでしたね。お父様はそんなに厳しい方なのですか?」

「いいえ。普段はとても温和です。お客様に対しても、もてなしの心を最大限に尽くす人ですよ。尊敬する父です」

「普段は、というとそうでない時もある、というようにも聞こえますが」


 穴守花咲はこの時初めて、言葉に迷った。


「父はとても温和ですよ。私、今そう言いませんでしたか?」


「そうですか。わかりました。そのお父様が経営されている穴守温泉ですが、あの旅館は、何度か別館の建設が計画されていますね。一度目は二十五年前。二度目はつい最近、三田園さんの遺骨が発見されたことで、中止になっています。これについてお父様は何と言っておられましたか」

「非常に悔しがっていました。建設会社と契約が成立してから、破棄することになったので、違約金が取られたと、大変立腹していましたね」

「貴女は建設中止についてどのように思われましたか?」

「私……ですか。私は……」

「貴女は別館の建設に反対だった?」

 穴守花咲は頷くとも言えぬ素振りを見せる。

「それをお父様に伝えたことは?」

 首を横に振る。

「そうですか。宿の経営拡大は、家業にとっては望ましいことだと思いますが、貴女にとっては違うのですね。それはなぜ?」

「言えません」

「そうですか。言いたくないことは言わなくて大丈夫ですよ。ただ、もし貴女が何か悩んでいて、警察が力になれることがあるのなら、話してみるというのも一つの手段かと思います。ここで話したことがお父様に伝わることは一切ありませんから」


 長い沈黙を経て、穴守花咲の言葉を待つが、動くのは時計の針だけだった。


「一つ、伺ってもいいでしょうか」


「はい……」


 一ノ瀬は、馬田に頼まれていた質問をするために、息を吸った。


「三田園さんの骨を事務所裏に移動させたのは、貴女ですか?」


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