第26話 一本の線(6)

 奥山が穴守藤吾に任意の事情聴取の約束を取り付け、田辺と警察署の駐車場へ向かう。

「運転はわたしがするから」

 田辺が先陣を切って黒いセダンの運転席に乗り込む。奥山は戸惑いながら助手席でシートベルトを着用すると、同時に田辺が泣き出し、車を急発進させた。警察の一日署長のような風貌の女刑事は、赤信号で車が止まっても、涙が止まらない。奥山は刑事にしては小柄な体を窓側に寄せて、恐る恐る尋ねる。

「何かあったんですか?」

「馬田さんに、わたしは要らない人材だって言われたのよ! ほっといて!」

 田辺の剣幕に慄きつつ、なんだかまた上司のせいで八つ当たりを食らっている気がする。

「僕的にほっとくのは構わないんですが、泣きながら運転されると怖いんですけど。万一にも事故らないでくださいね」

「奥山の、薄情者!」

 サイレンを鳴らしていないのに猛スピードで長瀞に向かった車は、一時間も経たずに現地に到着した。


 時間になり、穴守温泉のエントランスに向かうと、入れ替わるように知っている顔が二人、出て行くところだった。

「一ノ瀬さん。お疲れさまです。聴取はもう終わったんですか?」

「奥山。悪いが今は話してる暇がない。急いでてな。詳しいことは帰ってから話す」

 一ノ瀬が奥山の肩を叩き、走って車を取りに行く。玄関前には、一ノ瀬の部下が着物の女性を連れて待っていた。

「急ぎってまさか、緊急逮捕ですか?」

「任意同行です」

 奥山が女性の手に手錠が掛けられていないことを確認して頭を下げる。

「失礼しました。ご協力ありがとうございます」

 

 エントランスに入ると、紫色の法被を着た中年男性が無理やり作った営業スマイルを浮かべて出迎えた。たった今、娘が警察に連行されることになったのだ。上手く笑えなくても無理はない。二人が刑事を名乗ると、あからさまに顔をしかめてフロントの奥にある事務所に通す。すぐに追い返すつもりなのか、事務所の入り口付近で立ったまま話した。


「いい加減にしてくれませんか。困るんですよ。娘を突然連行されて、入れ替わり立ち代わり刑事に出入りされたら。こっちはまったく仕事にならない。営業妨害で訴えますよ?」

「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

 奥山が不服そうに謝るので、田辺が奥山の後ろから一歩出て宿を褒める。

菖蒲あやめのデザインが素敵なお宿ですね」

「あれは菖蒲あやめではありません。菖蒲しょうぶですよ。うちは菖蒲湯を売りにしてるんです」

「そ、そうだったんですね。大変失礼しました」

 田辺はまた涙を浮かべて、奥山の後ろに下がった。

「で、あなた方は一体何の用ですか」

 憤慨が腹の底で渦巻き、腐ったように言う。


「捜査の一環として、最奥の少女について調べています。知っていることを教えていただけませんか」

「最奥の少女? ああ、うちの宿に出るっていう幽霊でしょ? まったく馬鹿げた話ですよ。随分前にオカルト雑誌が記事にして、それ以来そういうのが好きな輩の間で語り継がれているっていうだけの話です」

「悲鳴とか苦しむ声とかが聞こえるっていうのは」

「さあ。私は一度も聞いたことがありませんが。警察の人がオカルト記者にでもなるつもりですか? こっちは忙しいんです。他に聞きたいことがないんだったらお引き取り願えますか」

「噂になっている部屋を見せてもらえませんか」

「お断りします」

「そうですか。分かりました。貴重なお時間をありがとうございました。それでは、私たちはこれで」

 奥山は軽く一礼し、踵を返した。田辺が深くお辞儀をして、奥山の後を追う。


「ちょっと、奥山君。聴取ってあれだけでいいの? 簡単に引き下がっちゃって」

「馬田さんの指示は、『最奥の少女について聞け』『張り込め』『動きがあったら追え』 この三つです。僕らはこれに従うことに専念しましょう。下手に動いて馬田さんの手を煩わせることだけは避けたいですから。それは田辺さんも同じでしょう?」


 そう言って駐車場脇に止めた車に戻ると、今度は奥山が運転席に乗り込み、事務所の窓が見える位置に車を回した。

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