第3話 共有(1)
馬田が塩野の写真を一枚撮り、生吹が名前と連絡先を書いた紙を受け取り、ようやく二人は記者の役を降りた。その足でフロントに鍵を返しに行く。
生吹が昨日のフロント係に礼を言うと、彼は柔らかな口調で昨夜の事件のことを詫び、大幅に値引きした伝票を差し出した。驚いて顔を上げた時、法被の名札に穴守のふた文字が目に入り、もしやと思い尋ねれば、彼は自分が宿の主人であるという。意外だった。タクシー運転手や塩野の話から、もっと厳しくて恐い人物を想像していた。
同じ時、馬田も表情を変えた。フロントのもう一人、助手のように立ち回っていた小柄な女性に見覚えがあったからだ。昨日はつなぎ姿だったが、今日は上品な着物姿。長瀞遺跡の重機操縦士で、この宿の娘でもある
「今日は若女将なんですね。着物似合ってます」
馬田の言葉に顔を赤らめ、
「お恥ずかしい。本業の合間に、こうして宿を手伝っているんですよ」
と、若女将らしい口調で言い、華やかな笑顔を見せた。
主人が二人の靴を下駄箱から出してエントランスに並べた時、生吹は彼の首の後ろに二つ、白い星のような火傷の跡を見た。あれはどのようにして残った傷か、峠を下るタクシーの中で考えを巡らせる。
過去に何か事件にでも巻き込まれたのか。煙草でも押し当てられたのか。そうでもなければ首の後ろにあんな跡は残らない。些細なことだが、気になることがあると突き詰めたくなる。これは学者の性というものか。
思考の渦を下っていく傍らで、馬田の携帯が鳴った。カーゴパンツのポケットに手を突っ込み電話に応じる。晴れ晴れとした声が、生吹を思考の渦から引き上げる。
「あ、兄ちゃん? どうしたの?」
馬田は兄にいくつか返事をしながら、これから長瀞を出る、夕飯はちゃんと作る、今日来るお客さんによろしくと伝え、最後に、
「そうだ、昨日のことなんだけど、いいかな?」と聞く。
「――分かった。そのへんはちゃんとするよ」
通話を切り、カーゴパンツのポケットにを戻して、馬田が生吹に向かって言った。
「生吹先生、よかったですね。兄は別に構わないそうです」
「何が?」
「生吹先生、今日からウチに泊まってください」
「はああああ!?」
生吹の大声が車内にこだました。
「ちょっ、生吹先生、声大きい」
「当たり前じゃない! どっからそんな話が出た!? 聞いてない!! 私は全然よくないし、お兄さんが構わなくても私が構う!」
「そんなあ。それじゃダメなんですよ。本人の了承を得ていないと、拉致監禁になるから、ちゃんと同意をもらうようにって兄に言われたんです」
「同意なんてするか、バカタレ! 君はお兄さんと二人暮らしじゃないか!」
「でも、生吹先生、また襲われたらどうするんですか? まだ犯人捕まってないんですよ? 何が目的かもわからないのに、一人じゃ危ないじゃないですか」
「馬田君、男の君にはわからないかもしれないが、私は自分の部屋で犯人に狙われるのと、君んちのマンションで男二人に囲まれるのとでは、同等の恐怖を感じる……!」
生吹の真剣な眼差しを受け流し、馬田はあっけらかんと答える。
「全然大丈夫ですよ。昨日、僕と一緒だったけど一応何もなかったでしょ? それに、僕の兄は刑事なんです。変な真似はしませんよ。それに兄は、僕と違って顔もいいし、女性に困ってないです。だから安心してください」
なんだかそこまで言われると、自分に女の価値がないと言われているようで悲しい。
「……わかった。行くだけ行ってみよう。泊るかどうかはその後で決めていいかな」
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