第23話 穴守温泉(5)


『お客様!』

『生吹先生! 生吹先生!』


 生吹は、ぼんやりとした意識の中で馬田の声を聞いた。体がふわりと浮く。


「生吹先生、ちょっと嫌だと思いますけど、あとで殴らないでくださいね」


 フロント係が馬田まだを奥の部屋へと案内する。馬田が生吹いぶきを抱きかかえてスリッパを脱いだ時には、二十畳の和室に、既に敷布団とシーツが敷かれ、枕が用意されていた。そこへ生吹を寝かせる。


「すみません、ありがとうございます」

「とんでもございません」


 フロント係は手を止めずに応答し、押し入れの中からもう一枚のシーツと掛け布団を用意した。


「生吹先生、大丈夫ですか?」


 声を掛けながら生吹に視線を移すと、細い腰に巻かれた帯に目が行った。かなりきつく締めているようだ。これじゃ気分が悪くなるのも当然だ。


「生吹先生、帯、きつすぎだと思います。少し緩めた方がいいですよ」と言っても、生吹は返事をする余裕はない。


 青い顔、額に薄っすら汗が浮かんで、気の毒になる。


「生吹先生、すみません。帯、ゆるめますよ。じゃないとたぶん、具合良くならないんで」


 馬田は生吹のきつすぎる帯の結び目をするりと解き、帯の重なり合った部分に両手の指を差し込む。帯を左右に引き、器用に帯を緩める。人形職人の修行の一環で着付けを学んだ。帯を緩めるのは造作もない。これでよしと思うところまで緩め、再び結ぶ。


「必要な措置です。あとでセクハラで訴えないでくださいね。訴えられたら僕、敗訴します」


 生吹の顔色の変化を見ていたが、あまり変わる様子がない。馬田は、生吹を抱きかかえた時、まだ体が湯上りみたいに温かかったのを思い出した。まさか、ずっと湯につかっていたのだろうか。


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