第19話 穴守温泉(1)
林を抜けた道の路肩に、予め呼んであったタクシーがハザードランプを出して止まっていた。自動で開いた後部座席に乗り込み、奥に詰めて
「運転手さん、長瀞駅までお願いします」
「え? ちょっと待ってください。温泉は?」
「何を寝ぼけたことを。その件に私は関係ない。今日は疲れたから早く帰りたいの」
「疲れてるから温泉へGOって話になったんじゃないですか」
「一人でGOしてあの子と乳繰り合ってくればいいじゃない」
「チチ!? 僕、そんなつもりないです! 大体なんで丸山さんと会うのが前提みたいな話になってるんですか!?」
生吹はハッと嗤い、
「人の話はちゃんと聞いておきなさいな、青年。彼女、『待ってます』って言ってたじゃないの」
「言ってましたけど、意味がよくわかりませんでした」
「彼女の『本日のアフター6』を私が代わりに説明しようか? まず『馬田さん』は上司とタクシーに乗る。『馬田さん』は邪魔な上司をどこかで降ろして温泉へ向かう。自分は事務所から直接温泉へ向かう。当然自分の方が先に温泉に到着する。だから『待ってます』なんだよ」
「そ、そういう意味だったんですか!?」
「よかったじゃないか、おめでとう」
「ど、どうしましょう生吹先生……」
「だから二人で乳」
「聞いた僕が馬鹿でした!」
ぷんすかと
「じゃあ、温泉を諦めたら? 行かなきゃいけない決まりはないもの」
「旅行に来て温泉の一つも入らずに帰るなんて、つまらないです」
「知るかっ 私を巻き込むな!」
「お客さあん、行き先決まりましたあ?」
運転手が首をひねって聞いてくる。
「ココの温泉!
「イーヤーだ、私を巻き込むなってば! 駅! 長瀞駅に行ってください!」
後部座席の間から身を乗り出す二人に運転手が適当に言った。
「決まらないならジャンケンで決めるとかどうですかあ?」
二人は後部座席に直ると、互いに拳を脇に溜め込み、顔を見合わせる。
「「――最初はグッ ジャンケンポン!」」
生吹はリアシートに沈んだ。
もろ手を挙げて喜ぶ馬田。
「へへ。僕、昔からジャンケンめっちゃ強いんですよ」
生吹は思い出して愕然とする。
「そうだった。この子は失業したその日に転職先が見つかるような強運の持ち主だった……。覚えていればジャンケン勝負なんて乗らなかったのに」
「それじゃあ車出します。ここから二、三十分くらいです」
宵に沈んだ細道で、タクシーの運転手がアクセルを踏みながら、ラジオの周波数をいじった。雑音がやがて低い女性アナウンサーの声を拾う。
『館に三田園さんの遺骨が届いたことで事件が発覚しました。届いた遺骨は長瀞遺跡の事務所から発送されており、警察は遺骨を発送した人物を重要参考人と考え特定を急いでいます。
続いて、蓮華荘殺人事件の続報です。先月二十八日、埼玉県蓮田市のアパート『蓮華荘』から
「今日の骨片のことは、まだニュースになってないんですね」
「当たり前だよ。今頃、三田園さんの遺骨の一部かどうか確認しているんじゃないかな」
「どうやって確認するんです?」
「あれは左手の三角骨だったから、右手のものと大きさや形状を比べたり、色調を比べたりする。顕微鏡に映し出して骨の組織の密度やパターンが他の骨と一致すれば、それも判定材料になるだろうね」
「へぇ」
「お客さん、事件の関係者の人?」
タクシー運転手が軽く首を後部座席に向ける。
「少し関わっただけです」
「どんな世の中になっちゃったんですかねえ。若者ばっかり首を切られるなんて。どんな人生を送ればそういう人間が出来上がるんだか、底知れぬ闇ですねえ。
長瀞遺跡だって、町起こしになるって町中大喜びだったのに、公開前に殺人事件なんて起きるもんだから、商売人はみんな意気消沈です」
「お気の毒です」
「お客さんがこれから行く温泉も、長瀞遺跡に一番近い温泉宿の老舗なんですけど、そこのご主人も遺跡公開に合わせて早々に投資していましたね。別館の建設を始めた矢先に死体が見つかっちゃって、建設中止に。結構な損失だったみたいです。事件が発覚した後のあの人は今にも人を殺しそうな目をしてましたからね」
聞きもしないのにぺらぺらと言い連ねる運転手に、生吹が適当に相槌を打つ。
「随分お詳しいんですね」
「うち個人タクシーなんですよ。だから町内会とか連合とかたまに呼ばれて、他に商売やってる人と顔を合わせることがあるんです」
「ああそれで」
「まあそういうことがあるんで、宿の中ではあんまり大きな声で例の長瀞遺跡の話をしない方がいいですよ。ご主人とか、他に商機を失ってピリピリしてる人の気に障ったりしたら、トラブルのもとになりかねませんから」
「そうですか、よく覚えておきます」
生返事をしながら生吹は、そんなことよりも。自分こそが若い男女の喧嘩の火種になりはしないかと憂鬱だった。
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