第6話 長瀞到着

 すっかり紅葉した山並みを背に、こじんまりとした木造駅舎が佇む。都会の喧騒から離れた長閑のどかな風景を割って入るように、一本の列車が滑り込んだ。白地に赤、青、緑のラベルを巻いた車体は、西武4000系快速急行長瀞行き。


 平日のこの時間帯、終着駅の長瀞に止まる電車は、上下線ともに一時間に一本。終着駅にも関わらず、この電車からホームに降り立ったのは、生吹希と馬田蒼の二人だけだった。


 十一月三日木曜日。馬田は、この日に休暇を申請していたが、古杉から長瀞視察に誘われた日が丁度重なった。生吹が「視察は私一人で行く」と言うと、「じゃあ僕は休暇で行きます」と馬田が言い、結局二人揃って長瀞に足を運ぶことになったのだった。


 生吹はグレーのパンツスーツにベージュのコートを羽織り、ヒールを鳴らして小型のスーツケースを転がす。一方、馬田は長袖シャツにダウンベスト、下はカーゴパンツで、登山の予定はないのに登山用リュックを背負い、トレッキングシューズを履いている。両手に一眼レフカメラを構え、ここそこの景色を写真に収めている間に、馬田は生吹に置いて行かれた。


「生吹先生ー、ちょっと待ってくださいよー」


 出口の改札は反対側のホームにあり、生吹がきびきびと歩いて踏切を渡っていると、後ろから馬田が駆けてきて追いつく。


 生吹希、三十二歳。馬田蒼、二十六歳。実年齢にして六歳差。精神年齢も遥かに生吹の方が上だが、身長だけは馬田の方が若干高い。生吹が馬田の横顔を見やると、すっきりとした顎が僅かに上を向く。


「随分楽しそうね」


 生吹が恨めしそうに言い、馬田は照れくさそうに笑った。


「へへ、わかっちゃいます? だって僕、久しぶりの休暇ですもん」


 馬田の語尾に音符がつき、生吹は嘆息した。久しぶりの休暇で羽を伸ばすのはいいが、仕事をしている傍で浮かれられると若干うっとうしい。

「なにも休暇の日に限って、上司の出張について来ることないのに」

 言われて馬田は弁明する。

「僕も見たいですから、長瀞遺跡。一般公開はずっと先でしょ? 僕は研究者じゃないから、生吹先生と一緒じゃないと発掘現場に入れないんですよ。生吹先生こそ、ワクワクしないんですか? 新遺跡」

「十分楽しみにしてるよ。ただ、最近ちょっと仕事詰めだから、休暇の君が少し羨ましい」

「生吹先生も取ればいいのに、休暇」

「君が私の代わりを務められるようになったら取るよ」

「ああ、それは無理ですね。ごめんなさい」

 馬田は簡単に断り、何か思い立ったように口を開く。

「僕、先に改札出てもいいですか? 駅舎の写真撮ってきます」

「はいはい、いってらっしゃい」

 パッと目を輝かせて走り出した馬田と、背中のリュックが上下にうきうき弾むのを見て、生吹はまるで遠足だなと思い、ため息が漏れた。


 一足先に改札を出た馬田は、観光名所として知られる赤いトタン屋根の駅舎や、傍らの錆びついたエメラルドグリーンのコインロッカーを写真に収める。振り返ると、松の木の間に緑がかった岩の記念碑が打ち立てられていて、そこに刻まれた渋沢栄一の言葉が、馬田の観光気分を盛り上げる。


 長瀞は天下の勝地――


「来たぞ、長瀞!」


 撮った写真を早速確認して顔を綻ばせる。そんな馬田の後ろを、生吹が颯爽と通り過ぎ、馬田はまた置いて行かれそうになった。


「ちょっ、生吹先生! さっきから僕を置いてかないでくださいよー」


 方や仕事、方や観光。この歴然としたテンションの差。仕事に休暇の人間を連れてくるものじゃないなと、生吹は今さら後悔した。

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