ゼロ・ディメンショナル
勿里量子
遭遇
第1話 レクイエム
〝この世界、地球には、今からおよそ一万三千年前、絶滅したとされる人類の一つの種族が存在していた。〟
都会の夜は明るい。空は月明かりでもない限り、雲の姿さえ見ることもできない。ビルの谷間の底から見る空は、周りが明るすぎて、ただただ黒いだけの空である。
都会の闇はその実像とは真逆に、煌びやかで人を惑わす。でもこれは本当の闇とは言えない。本当の暗闇とは、一メートル先、三十センチ先、いや、目鼻の先さえも見ることができない。
突然の闇に行き先を阻まれ、踵を返すこともできず、自分の手足の動きが、脳の感覚で捉えることができない。
前へ進んでいるのか? 右を見ているのか? 左を向いているのか? 上も下も分からない。
方向感覚も平衡感覚も失い、臭いや音の存在さえ感じられない。
自分の意識以外は全て闇に飲み込まれた時が、本当の闇なのだ。
「何だ!? 地震か?」
交差点の横断歩道を渡る手前で、夜とはいえ多くの通行人たちが立ち止まる。
一人立ち止まり、また一人。
地響きのようなその異常に、身の危険を感じ、誰もが気づき足を止める。
その地響きは少しずつ近づき、ゴーっといううねりがビルの谷間に響き渡る。やがて赤信号の車線から四台のバイクが空吹かしをしながら、ゆっくりと交差点の中へ横暴に侵入し、それぞれが青信号の車線中央と交差点の中央へ進み、車の交差点への侵入を遮断した。
暫くして最初に侵入してきたバイクの車線から、爆音と共にバイクの集団が、交差点内へとゆっくり姿を現す。その数は百…二百! …三百台なのか!?
遮断された交差点は、そのけたたましい爆音と通り過ぎる何百台ものバイクで、通行を遮られた歩行者や交差点で強制的に停められた車の運転手は、圧倒的な暴力に、ただ茫然とその光景を見つめるだけであった。
どのバイクもマフラーの改造が施され、けたたましい音を発している。それぞれのバイクの音が共鳴し、更にそれが通りのビルに反響し、ビルの谷間から夜空に向けて巨大なスピーカーと化していた。その音はまるで怒号のように耳を劈いた。
物凄い数のバイクが、まるでパレードのようにゆっくりと片側二車線の道路を埋めながら、爆音となって通り過ぎて行く。
バイクに乗った若者たちは、揃って黒い特攻服のロングジャケットを着ていた。
背中に何やら漢字で書かれているようだが、爆音とその光景に目を奪われ、読むことができない。
また大きな黒い旭日旗を立てた者もいる。
集団の先頭のバイクの少年がリーダーなのだろうか?
交差点で立ち止まった通行人達は誰もが耳を塞ぎ、顔を顰めながらこの光景を眺めていた。
交通が遮断されてどれほどの時間が経ったのだろうか? 横断歩道の青信号が点滅を始めるが、いつもの音響の鳴動はバイクの騒音でかき消され、ただステージの照明が切り替わるように赤色へと変わった。バイクの騒音は時折、リズミカルのようにも感じたが、途切れることのない照明と化した信号機の色とバイクの集団は、徐々にその爆音と共に過ぎ去ってゆく。
最後に交差点を遮断していた最初に侵入したバイクの少年は、交差点の手前で侵入を止めていた車に向かって一礼をして、過ぎ去った集団の後を追った。
そしてパレードの過ぎ去った交差点は、何事もなかったように、都会の夜へて姿を戻した。
「おいおい、いまどき暴走族か?」「それにしても凄い数だったなぁ」
横断歩道の手前で立ち止まったサラリーマン風の年配の男が、ぼやくように、釘付けの目線のまま呟いた。
「最近、黒狼という凄く喧嘩の強い奴が、関東一円のいくつかのグループをまとめる総長になったとか? そう居酒屋で大学生が話しているのを聞いたことがあります」
同僚と思われる隣の若い男がいかにも情報通のように自慢げな顔で年配の男に説明する。
「へえー、俺の若い頃にもこんなことがよくあったな。決まってバイク集団の後には、パトカーがサイレンを鳴らさずに、回転灯を回しながら、後を追っかけていたが…」
二人は横断歩道の信号機の鳴動に気づき、いつもの日常を渡り始めた。
暴走集団のパレードは、交差点ごとにその集団から四台のバイクが集団の進行の先回りをして、交差点を封鎖し、集団の足を止めることなく誘導していた。
交差点を封鎖した四台のバイクは、集団が通過した後、最後尾につき、それとは違うまた別の四台が、集団から先行して次の進路の交差点を封鎖する。そして集団を二、三十キロのゆっくりしたスピードで直進、左折、右折と誘導するのであった。
こうしてスクランブルジャックは、集団の進行方向へと繰り返されていく。
それは、それぞれが好き勝手に無法に走り回る暴走というより、まるで規律正しい軍隊の観閲式のように統制がとれ、優雅で美しくも見えた。
こうして縦横にビルの谷間を駆け回る暴走集団の先頭グループでは、リーダーと思われる先頭バイクの少年が、青色のLED発炎灯を左手に高く掲げて大きく振り回した。パレードの解散を指示する合図を送ったのだった。そして集団は幾つかのグループに分散し、進む交差点ごとに、それぞれ各グループが左右に散って行った。
先頭バイクに乗った少年のグループは、パレードの集団が全て解散する最後まで、統制を仕切りながらビルの谷間から都市郊外へと道を進めた。
郊外国道沿い ドライブイン昭和
暴走集団の先頭グループが暴走パレードの解散後に集まっていた。ここはグループのいつもの集合場所、溜まり場であった。
「黒狼! この後どうするよ!?」
副総長の館林は総長の黒狼に、力強い太い声で、がなるような声を出して次の行動を尋ねた。
郊外の国道とはいえ、都市部と地方都市を結ぶ産業道路では、深夜は乗用車よりトラックが増して、ほとんどその通行が止むことはなかった。なので国道沿いのドライブインの駐車場では、立っているだけでもかなりうるさく、普段に増して大きめの声を出さなければ、相手に届かなかった。
副総長の館林の身長は、二メートル近くあり、特攻服の外から見ても肩幅が広く、筋肉質でいかつく見えた。黒狼と比べるとまるで、大人と子供のような差があるように感じられた。
館林の顔つきは体育会系のイケメンといった感じではあったが、ノーヘルで髪は金色。左の頬には大きな傷があった。乗っているバイクは、いかにも
片や黒狼は、小柄で細身ではあるが、殺気のような異様な雰囲気を漂わせている。乗っているバイクは、黒いカワセキの『バイパーZXーテンR R』リッタークラスの大型車である。そのバイクにギリギリつま先が届く位の身長であったが、その体格と釣り合わない見た目のチグハグ感は、黒狼のどことなく殺気だったような異様な雰囲気に消されて、愛車バイパーの名に相応しい貫禄のようなものさえ感じられた。普通の暴走族と違うところは、黒いレーサータイプのバイクと黒のフルフェイス(ノーヘルは、集団暴走の時だけ)これが普段の黒狼のスタイルで、周囲と違う雰囲気を際立たせていた。
黒狼の特攻服のロングジャケットの背中には、帝都連合 匁呎州都(メフィスト)の文字が金色の糸で刺繍が施され、胸にはバイパーの絵柄が刺繍されていた。
文字や絵柄の刺繍の色は、総長は金の刺繍。副総長は銀色。総長補佐は紫色。連合の分隊総長は黄色。分隊副総長は青色。特攻・遊撃隊長クラスが赤色。役職のない者は、全て白色とその各役職で色分けされていた。
このロングジャケットは帝都連合全グループの集会やパレードなどでは全員が同じものを着用することに決められていた。それ以外での個人や分隊、小グループでの着用は禁止されていた。
帝都連合「
帝都連合のメンバーは全て男性であることやシンナーや飲酒運転、合法・違法を問わず、ドラッグ類の禁止が鉄則であった。因みに集団パレードでは、二ケツ(二人乗り)禁止である。
帝都連合総長とは、総勢三百名のトップであり、それらを取りまとめる統括グループ十八名のリーダーである。しかし「黒狼」は帝都連合内での呼び名を総長とは呼ばせていなかった。
副総長の館林は、統括グループの副リーダーである。館林も館林銀次郎(十七)の名前から帝都連合内では、銀と呼ばせていた。
統括グループには副総長の下に総長補佐が一名と五人の各分隊取締役がいた。その他のメンバーは各分隊取締役のサポートをした。
帝都連合には統括グループの他に第一から第五までの五つの分隊派閥があり、各派閥の人員は統括グループより多い。
第一から第五までの分隊総長は、帝都連合内の呼び名で、派閥内では総長と呼ばれていた。その下の分隊副総長は、副総長と呼ばれていた。
また各分隊には、特攻・遊撃隊長が各四人いる。この四人が各分隊ごと交互に入れ替わり、スクランブルジャックの特攻隊として交差点への車の侵入を遮断し、遊撃隊長が集団の最後の
連合の集団パレード中は、各派閥から選抜された四人の特攻隊員と同じように、その派閥グループも交差点ごとに前後入れ替わりを行なっていた。
各分隊総長は、青色LED発炎灯を持ち、連合総長の信号指示を後部に伝える役目を担っていた。
国道の騒音が途切れた束の間
「あのさぁ、銀…」
黒狼は、ドライブインの駐車場から国道を見つめながら、その小柄な体つきからは、想像できない色気のある大人っぽい声で、穏やかに館林に語りかけた。
「お前そのバイクそろそろ乗り換えたら?」
そうセルを回しながらポツリと言って、国道に物凄い勢いで飛び出して行った。
「おーい! 黒狼に続け!」
館林も慌ててセルを回し、黒狼の後を追った。他のメンバーも同様に慌てて、更にその後を追い国道へと飛び出した。
既に深夜とはいえ交通量の多い国道は、急に飛び出してきたバイクに急ブレーキを踏み込むトラックで、パニックとなり、たちまち渋滞してしまった。
館林の乗るバイクは、見た目や音は派手だが、レーサータイプの黒狼のバイクには到底追いつけるはずもなかった。それは後続の他のメンバーたちも同じであった。
(黒狼の奴、もう見えなくなっちまいやがったぜ! まぁ、いいさ。行き先は検討つくから)
館林を含めたメンバーは、暫くして国道から黒岩山の峠を抜ける県道に入る。
館林のグループが県道に入った頃、その後方から凄いスピードで追いかけてくる一台のバイクがいた。
そのバイクは急減速して、グループ後列の横に突如現れ、そのまま暫く並走した。グループの誰もがいつの間に横に並ばれたのかさえ気づかない程、一瞬の出来事であった。
それから謎のバイクはグループと並走しながら、後方からゆっくりと前に出て、先頭の館林の横に並んだ。グループのメンバーは、その時初めていつの間にか横を走っているバイクに気づいた。
館林は気配を感じ取り、横に並んだバイクに目線を向けた。
(誰?)
横に並んだバイカーは、真っ直ぐに前を見つめていた。全身はぴっちりとした黒いジャンプスーツに覆われ、体つきは、黒狼よりも少し小柄のようであった。バイクは黒いという印象しかなく、車種まではハッキリと分からない。しかし大きさは黒狼のバイクと同じぐらい大きかった。
(無音? 電動バイクか?)
館林がバイクの異様さに目を取られたとき謎のバイカーは、館林の方に顔を向けた。
(女?)
目元こそ、黒いマスクで隠されていたが、頬から顎にかけての輪郭や肌の色は白く綺麗だった。少女なのか? その体つきから、かなり幼いようにも思える。黒いマスクのようなヘルメットのような後頭部から後方に流れる背中あたりまであるだろう長い銀髪。その髪は無音のバイクとは裏腹に、風に靡いてキラキラと音を立てているように感じられた。
謎のバイカーは、館林にニッコリと好感の持てる笑顔を見せ、ゆっくりと正面を向き、無音のまま館林たちを追い越して行った。
あっという間に見えなくなってしまった。館林は過ぎ去って行く謎のバイカーの次第に消えて行くテールの灯に目線が釘付けだった。
呆気に取られたグループは、気が抜けたようにスローダウンして、やがて道幅が広く整備された県道の端に停車した。
アイドル音だけの沈黙が、暗い県道を包んだ。
「銀、俺らなんか凄いもの見たんじゃねぇ」
メンバーの一人が口を開き、やがてまた一人、また一人と口々に驚きの声を上げた。
「ありゃ、女だったよな!? 間違いない!」
「電動バイクの大型車って、初めて見たぜ!」
「電動バイクでも、ドライブ音とかするんじゃねぇのか?」
「無音だったよな!」
「あんなバイク見たことねぇけど、いけてるバイクだったな」
「チラッと横顔見えたけど、美人だったよな」
「まだ子供だっただろ! どう見ても足とどかねぇっぽかっただろに!」
「小学生かよ!?」
「かもしれん」
館林は無言のまま県道の先に消えたその先の闇を見つめていた。
その頃、先を行く黒狼のバイクは県道の峠道にさしかかっていた。
ゆっくりと後方から近づいてくる気配を感じ取ったその瞬間。館林たちをあっという間に追い越した謎のバイカーが、突如として黒狼の横に現れた。かなりのスピードと既に登りの峠道に入ったこともあり、横に並んだ謎のバイカーに目を向ける余裕はなかった。
ブラームス 交響曲第一番ハ短調 作品六十八第一楽章
峠道は徐々にピークを迎え、スピードはさらに加速して行く。
曲がりくねった峠道を猛スピードで並走して駆け抜ける。黒狼と謎のバイカー。
アウト側イン側でその都度多少の前後はするものの、正直、並走した状態での膝が地面スレスレになるハングオフは、かなり厳しい。
前方にのみ向けられた視界は、スピードと繰り返されるコーナーのラインどりに集中されていたが、やがて周囲の景色の視界が開け、時の流れがスローに感じられるほど、意識が研ぎ澄まされて行った。
…楽しい。
視界を覗いているのか?
意識の存在しか感じられない無意識な視界が、二台のバイクの全方向を見渡しているようだった。
鼓動を感じる。
脇に流れる汗を感じる。
黒狼は普段感じないことを感じていたが、それは決して不快とは感じられなかった。寧ろ気持ちのいい時間に感じられていた。
道路のラインや道路脇の景色がスローに感じ、その感覚は全方向の無意識な空間で、自分の意識以外にも自分の存在を体で感じ取ることが出来る。黒狼がこれまで体験したことのない感覚であった。
時折、視界に入る空の星灯や下界の街灯は、別世界へと旅をする者への餞別のようだった。
二台が峠の頂上付近に近づく頃、空は東から薄っすらと白みがかり始めていた。
峠の頂上には、下界の街灯りや都会では見られない空の星が見られる車が数台停められる程度の展望駐車場があった。
黒狼と謎のバイカーのバイクは、スピードダウンしてゆっくりと静かに展望駐車場へと入り停車した。
黒狼は、自分のバイクのアイドル音だけが響いていることに気づき、エンジンを止める。
「そのバイク、音しないんだ」
黒狼はゆっくりとヘルメットを脱ぎ終えると、謎のバイカーのバイクを見ながら尋ねた。
「そうだな…」
謎のバイカーは、峠からの夜空を見ながら答えた。
黒狼は、謎のバイカーのその様子を見て、同じように峠からの景色に目を向けた。その時、バイカーの足が地面に届かず、バイクに跨ったまま立ち止まっていることに気づいてはいたが、何故か何の違和感も覚えることはなかった。
二人は東の空に明かみが差し込み、空全体が暗闇から群青色へと色づき始めるまで、峠道での緊張と暗闇に安息の別れを奉げるように無言でその景色を楽しんだ。
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