ネコへ

瑠璃由羅

ネコへ

初めに、私はこれを私のために書いている。

人間は忘れる生き物である。

皮と肉と骨と、それらに包まれたそのさらに奥へ、刻み込むために。

願わくばこの悲しみが一生涯をかけて私を蝕むように。






 彼女が生まれたのは5月の11日。天気は覚えていない。窓の外で鳴いていた母猫が身ごもった六つ子の末っ子——同時出産に末っ子という言葉が適するのかどうかは定かではないが。当時5つだった私の片手に収まるほどに小さかった。びっくりした。命というのは、産み落とされた瞬間こんなにも小さく柔い形をしているのかと初めて知った。目も開かないままにうにうと声とも思えぬ声をあげていた。可愛いかはまだわからなかったが、生まれたからには守らなければと漠然と考えていたように思う。

 ただ、残念なことに私の家は裕福ではなかった。猫六匹、母猫合わせて七匹を養う余裕が無いのは言われなくとも理解していた。言い訳になるが、誰に対しての弁明でもないが、当時はまだペットの飼い方というものに世間が目を向けていなかった。よく言えば寛容、悪く言えば無秩序な飼育というものが往々にして存在し、その多くが無知によるものだった。両親もそれにもれなく当てはまるタイプで、猫の多胎出産というものを目の当たりにして初めて去勢手術を敢行した。私はこの出来事はあまりよく覚えていない。いつからか母猫の腹に手術痕があった。しかし母猫はお世辞にも人懐こい性格とは言えず、大声を上げながら騒がしく近寄る子供を疎んでいたと思う。彼女とのかかわり合いはほとんど記憶にない。幼かったというのも理由の一つであるように思う。話がそれたが、ともかく全員(全匹?)を買う余裕がなかった我々は近場で子猫の譲渡会を行った。会と言うほど大それたものでもなく、「猫を引き取っていただけませんか、可愛がってもらえませんか。」と声をかけて選んでもらう、それだけのことだった。最後に残った子を責任もって育てようと、そういう心づもりだった。そうして彼女、ネコは我が家の子となったのだった。

 正直に言おう、ネコはいわゆる可愛い猫ではなかった。割とドジで、人懐こいが調子乗りな性格で、目つきも悪い。網戸越しだと鳥に勇ましく威嚇するが、開けたとたんに家の奥へ戻るか大人しく口を噤む。冬に布団へ入れてくれとせがむが、掛け布団を持ち上げてもなかなか入らない挙句に別の人を選んだりする。妙に表情豊かで、無理に抱き上げても暴れはしないがじっとりとした顔で不服をアピールする。三白眼とでもいうのだろうか、逆三角形の瞳が表情豊かに煌めくのが大好きだった。

 とても優しく、賢い子だった。私が思春期を迎えたころ、家族仲にはゆっくりと亀裂が広がっていた。両親が喧嘩をしたら間をウロウロして、私たち子供が泣いたらぐりぐりと頭を押し付け、どうしてこんなにも優しいのか、無償の愛とはこれ以外の何物でもないのだろう。呼びかけた時には返事をするが、面倒な時には尻尾でしか応えてくれない。誉め言葉を投げると反応が良かった。猫という生き物の習性にもれず、日向ぼっこが大好きで、そんな時のネコはとてもいい匂いがした。冬は暖かい場所を、夏は涼しい場所を見つけるのが得意で、私たち愚かな人間は彼女の後を付きまとっては鬱陶がられていた。ストーブに近すぎてひげや尻尾が焦げた時は慌てたものだが、当の本人はケロッとしていて妙に心配したのを覚えている。

 お腹を惜しげもなく天にさらして寝転ぶことが多く、そのたびに私がキスの雨を降らせていた。一緒に遊んでいて、初めのうちは爪を出し入れが下手で随分と痛い思いをさせられたが、ふと気づいた時には肉球でしか触られないようになっていた。ネコに傷をつけられた記憶はほとんどない。たまにひっかかれた時に、嬉しくて眺めていたくらいだった。

 

ネットで見知った情報だが、猫は人間の七倍の速さで年を取るらしい。ネコは私たちの七倍の速さで、力強く大人になり、否応無く老衰していった。彼女が15の頃、家庭の事情で家を変えた。新しい家は前のものよりずっと手狭で、自由がきかなくて、自然の中で生まれ育った彼女は初めて軟禁を味わった。慣れない環境で、初めの数か月は夜鳴きが酷かった。私たち人間はあらゆるものに余裕がなくて、ずっとイライラしていて、それでも精一杯の愛情を彼女へ向けた。彼女は変わらず私たちを愛してくれていた。彼女はずっと変わらない。ずっと優しいままだった。

外出が減り、ネコの衰えは目に見えるほどのスピードをもってして彼女を襲った。日に日に飛び越えられる高さが落ちて、遊ぶ時間が減って、寝ている時間がどんどん増えた。この頃からぼんやりとネコの死期を意識し始めていたように思う。「生きるものはいつか死ぬ」の「いつか」が確実に存在し、着実に迫っていることを肌で感じていた。本能のようなものだと思う。私は来る日も来る日もネコを撫で、褒め、その毛皮に顔をうずめ、うざがられたり押しのけられたり、その中で息をするよりも多く愛を言葉にした。私が大学生になり、社会人になるうちに、今や片手に収まる彼女の頭蓋が命を保つにはあまりにも小さく感じた。どうしてこんなに小さいんだ、片手に収まってしまうんだ、ここに彼女の生命維持の根幹が詰まっているのに、なんでこんなにも脆弱なんだと行き場のない憤りを抱いていたと思う。


社会人になり、通勤の時間を理由として一人暮らしを始めた。老齢のネコが心配で心配で仕方がなかったが、決断せざるを得なかった。初めての一人暮らしは周囲の助力もあり順調で、楽しかった。機会があるたびに実家へ顔を出しては、ネコを撫でくりまわした。ただ、一泊の内に寄ってきてくれる回数が1回、1回と減り、段々といつみても眠っているようになった。日が開くようになったからか、前よりもっと弱ったように見えた。もともと小柄だった体がもっと軽くなり、詰みあげた布団にも跳躍しないようになった。

 ある日、ご飯を食べなくなった彼女を心配して母親が病院へと連れて行った。歯が駄目になっていたようで、治療をしたらしい。そこで初めて、腎臓に随分とがたが来ていたことが判明したと。先生は随分と優しい言葉を掛けてくれたが、「何が起こっても不思議じゃない」という言葉で含まれた意図が全てわかった。

その日以来、ネコは食べる量ががくりと減った。もともとスリムな体は、段々と骨が浮いた。横になる時間が増え、たまに立ち上がるとよろめくようになった。病院食を食べさせるが、あまりにも量が足りない。声を掛けながら口へシリンジを差し込み、嚥下させる。弱弱しく抵抗する彼女を見ながら、正しい事なのか、苦しませているだけじゃないのか、自力でご飯すら食べられない子を無理にでも延命させるのはエゴではないのか、何度も考えた。溌剌とした彼女が記憶にも新しい分、涙が溢れては止まらなかった。今日かもしれない明日かもしれないと日々怯えては、自問自答がグルグルと頭の中を巡る。毛づくろいも出来なくなり、ネコの体からは妙に生臭く、そして甘ったるいにおいが立ち上るようになった。

 いよいよトイレへの移動も困難になり、ネコは終日トイレシートの上で横たわるようになった。ほとんど声も出さない。食事の介助に、排せつの確認、あの介護の日々は戦いですらあった。夜も満足に寝られない。眠ることが怖かった。目が覚めたらまず呼吸の確認。あの時期のネコはあまりにも静かで、身動き一つ取らないことなどざらであり、肺の上下するのを目視してやっと胸をなでおろした。尿臭くたって傍にいたかった。一晩中眺めていた。たまに抱き上げては、その軽さに涙が止まらなくなった。

 思えば最後の数か月はネコを見る度泣いていたように思う。どうしようもなかった。


 年越しのタイミングで実家を訪れた時、点滴も自分たちで行うようになっていた。コツを聞き実演も動画に収めたが、いざとなると緊張で手が震えた。その頃のネコはあまりにも細く、皮ばかりで、先生も皮下注射が難しいと述べていた。針先が上手く入らず、突き抜けてしまうのだ。何度も慎重に試みるが、うまく入らず、ふがいなさに涙がこみ上げる。痛いはずのネコは、声すら上げずじっとしている。ごめんね、ごめんねと繰り返しながらやっとの思いで成功させ、点滴が終わった後も微動だにしない彼女を撫でながら、ごめんね、ごめんねと繰り返した。


 それから一週間と数日後。仕事中に、母親から知らせが入った。

 職場だったからだろうか。思ったよりも冷静で、涙も出ず、淡々と仕事を終わらせ、そのまま実家へと向かった。

 綺麗な姿だった。

 一足先に到着した姉が花束を添えてくれていたようで、可愛い彼女によく似あっていた。

 手足をちょこんと折りたたまれて、目も閉じたまま。小さな段ボール箱にひっそりとおさまっている姿を見て、気が付いたらまともに呼吸が出来ないほどに嗚咽していた。

 あまりにも冷たく固い体に顔を摺り寄せ、なんどもキスをした。今にも起きてきそうなほど安らかな寝顔だった。何かの間違いだったと、妙に間抜けな顔をしながら首をもたげてくれればいいのに。でも命の温もりはもうここにはないと痛いほどにわかった。

 週半ばだったので、その日のうちに葬儀の手配をして、とりあえず翌日は職場へと向かった。びっくりするほど平然を装えたが、雑談が何も頭に入ってこなかった。その日のことはあまり記憶にない。ただただ早く終われと思った。


 週末、葬儀場へと向かった。一人暮らしの家を出る時「今からあの子を焼くのだ、焼くために今、身支度を整えているのだ」と皮肉めいた考えが渦巻いた。葬儀などは残された者たちがけじめをつけるための儀式に過ぎない。彼女の命だとか、魂だとか、そういうものはもうこの肉体にはいないのだ。相も変わらず段ボール箱にちょこんと収まるネコを撫でながら、ぼんやりとそう思った。あんなにふわふわとしていた毛並みは、いまやぺったりと骨皮に張り付き、先日よりも濃く甘いにおいが立ち上る。これが俗に死臭と言われるものなのだろうか。冬でよかったかもなあ。やけに他人ごとじみたことばかり考えていた。

 葬儀場につき、待合室を抜け、火葬場へ案内される。周りにカラフルな花を散らされた彼女を見て、唐突に実感が湧いた。耳を、眉間を、目元を、ひげを、顎を、手を、肉球を、あばらを通って、背中と、腹と、そしてしっぽを。どこに触れても思い出に溢れ、また思い出の中のそれとは似ても似つかない感触だった。別れがたい。どうしてこんなにも辛くて、苦しくて、別れがたい。もう光を写さない澄んだ緑色の瞳が、悲しくて悲しくてやりきれない。

 火葬炉に入ってから小一時間後、彼女はきれいな白骨で再び目の前に現れた。掌の骨が生前を想わせて、可愛くて可愛くて仕方がない。分骨をすませ、自宅へ戻り、夕食を済ませ、そして夜が明け朝が来る。


 私たちの悲しみなど、素知らぬ風に日は登る。何食わぬ顔でまた一日が始まり、社会は何の不都合も無く回る。彼女が死んでしまったら後追いするとまで真剣に考えていたのに、私自身刷り込まれた習慣に従い職場へと足を運ぶ。仕事をする。食事をする。会話する。運動する。

「ネコがいない非日常」が、私の日常を徐々に侵食する。最愛の猫が死んだのだから、天は割れ、地は裂け、私は悲しみに明け暮れ、どうにかなってしまえばよかったのに。ネコがこの世のサイクルの楔であったかのように、私の世界が瓦解してしまえばよかったのに。

 彼女がいなくても笑えてしまうし、食事ものどを通る。それでも時たま衣服についた見覚えのある猫毛を見つけたり、毛布にしみついた懐かしいにおいが鼻腔をくすぐると、堰を切ったように視界が歪む。そしてネコを惜しみ、悼み、悲しむ自分に安堵しながら眠りにつく。

 そうだ、エゴでしかないのだ。愛などエゴでしかないのだ。あなたが私の悲しみの琴線である限り、私は嬉しいのだ。そうしてあなたには私のことなど気にも留めずに、美しい野原で駆け巡っていてほしいのだ。

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