第6話 黒竜の宝

 軽すぎる身体を背負って緩やかな丘を下る。

 しばらく進むと、トルジカの門が見えた。


 昨日訪れた時と違うのは、村中に篝火かがりびが上がっていたこと。

 夜通し火を焚いてバジリスクを警戒していたんだろう。脅威は去ったといち早く伝えてやりたい。


「ユニファ、トルジカの村が見えたぞ。もう少しだからな」

「トル、ジカ……」


 背負われた彼女は、もぞりと手を動かした。

 ポケットから取り出したのは、くしゃくしゃになったあの紙袋。

 力ない指でそれを開き、頭から被って美しい顔を隠す。

 本当に隠したいのは顔ではなく、折れた角なのかもしれない。


「……帰ろう。スークスが君を待ってる」


 ユニファが弱々しく頷くと、紙袋が掠れた。

 そのか細い音に、どうしようもなく胸が締め付けられる。


 明かりが点きっぱなしの村へ足を進めながら、俺は今朝の出来事を思い返した。




 * * *




(誰!?!?)


 隣で眠る美少女に驚いて、思わず大地を破壊する竜の咆哮を上げそうになるのを必死に抑え込んだ。トルジカ周辺を地図から抹消してしまうのはまずい。


 すると。

 横向きで眠る柔らかな頬が俺の肩にぺたっと吸い付き、腕にか細い手が絡まる。


 おいおいおい本当にやめてくれ、煩悩で極東を滅ぼした邪竜として名を刻みたくない! うぁ、何もかも小さくてやぁらかい……――もぉおおお゛!!


 情けないことに、理性が爆発しそうだ。


 これ以上は危ない。

 極東滅亡の危機を悟り、重い四肢を動かして恐る恐る起き上がる。ぐったりとした彼女は身動ぎ一つしなかった。


 改めてその姿をまじまじと眺める。変態的な意味じゃない。


 ふんだんな薄紫の三つ編み、白いケープ、ぶかぶかなレザーブーツ。

 どこかで見たことがあるような姿だが、その人を象徴する決定的な何かが足りない。


 顎に手を当てて考えていると、ケープのポケットからはみ出た紙が目についた。

 くしゃくしゃに丸められたそれをそっと摘まんでみる。

 どこにでもあるような茶色い紙は広げると意外に大きく、そして二つの穴が空いていた。


 ――紙袋目出し帽!


「ユニファ……?」


 まさかの正体に言葉を失う。

 美少女薬師って、自称じゃなかったのか。

 でも、どうしてここに……。


 愕然としていると、近くで見張りをしていた顔馴染みの顔だけがコロコロと転がって来た。


「「イズモ様、御生還まことにおめでとうございます!」」

「お前ら、身体はどうした」

「イズモ様がぶちまけたバジリスクの毒液を浴びて溶けました!」

「それはもう、ぐちょぐちょのどろどろに!」

「すまん……」


 そこは素直に謝る。

 石の門番ガーゴイルにとって致命傷にならなかったのは幸いだ。モリオンへ帰還したら真っ先に工房へ連れて行かなければ。


 そして俺は、キンギンから事の経緯を説明された。



「ユニファが、一角獣ユニコーン……!?」



 予想外の連続に、軽く眩暈めまいがした。


 百年戦争の最中さなかに角の解毒作用に目を付けた魔族に乱獲され、一角獣ユニコーンは絶滅したと記録されている。

 理不尽な搾取に遭った彼女が密かにテンガン領へ逃げ果せたのだとしたら、素性を隠したい気持ちはよくわかる。

 昨日の厳しい言葉だって、地獄を見て来たユニファにとっては当然の防衛本能だったんだろう。

 それなのに、俺は……。


「ふぬぅ……?」


 起き抜けの声にギクリと身体が強張った。

 ユニファかと思ったら、むくりと起き上がったのは白いモフモフ。

 眩しすぎる宝石頭を天へ向け、大きな欠伸を溢す。


「ふぁ~~~~~……おぉ? 目覚めたか、お若い黒竜。美女二匹の極上掛け布団の寝心地はどうじゃった?」


 尊大にも思える態度で、くりりとした宝石眼に見上げられる。

 というか、美女って。どうやらこのモフモフはメスらしい。


「余は赤い物をこよなく愛するカーバンクル。ユニファからはオキサキと呼ばれておる」

「お、オキサキ……」


 ピッタリな名前だと思う。ユニファには命名士の素質があるな。

 気位の高い妖精に「この礼はモリオンに伝わるレッドオニキスでよいぞ♡」と、ウィンク付きで国宝を要求された。強欲な四番目の姉が大人しく手放すだろうか……。


 オキサキは足元から身体を小刻みに揺らして毛の流れを整えると、ユニファの青白い頬を小さな前足で撫でる。


「ふむぅ……まずいのぅ、体力が戻っておらん。早くトルジカの魔女に診てもらわぬと……」


 その言葉通り。

 血の気を失った彼女は、周囲がこれだけ騒がしいのにぴくりとも反応しない。

 このまま見過ごすなんて、できるわけがなかった。


 俺はユニファを抱き起し、彼女の負担にならないように背中に抱える。


「イズモ様、今は鎧も兜もありません」

「村人に竜角を見られてしまってもよろしいのですか?」


 キンとギンが心配そうに俺を見上げる。


 全身鎧を着ていたのは、素性を知られたくなかったから。

 何せ実家から逃げるように出てきたお忍びの旅だ。この黒髪や角が嫌でも表す黒竜家の血筋はなるべく伏せておきたい。

 ……他にも個人的な感傷があるのだけれど、今はそれどころじゃない。



「ユニファが紙袋を脱いで助けてくれたのに、俺が怖気づいていいわけないだろ」



 こうして、俺たちはトルジカへ向かったのだった。




 * * *




 力なく背負われたユニファを見た住民たちが、波のように押し寄せる。

 ゴブリンや手足が欠損したオーク、それにコボルト、あとはニンゲン。彼女を心配する声は種族を問わない。


 だが、俺の姿を見た全員がぴたりと足を止める。


「あの黒髪、それに竜角……」

「こ、黒竜家だ……!」


 そんな囁き声がそこら中から上がり、困惑のさざ波が広がっていく。


 すると野次馬をかき分け、杖をついたスークスがやってきた。

 彼女は俺に担がれたユニファを見て状況を察したのだろう。


「バジリスクは」

「もう討伐した。でもユニファが……」

「ああ……。おいそこのあんた、ユニファをうちの薬屋に運んでおくれ」


 スークスは近くにいた犬頭のコボルトを手招く。

 屈強で上背のある彼は、俺よりも頭が高くならないように腰を深く曲げた奇妙な格好でユニファを受け取った。


 とりあえず、これで一安心か。


 ……と思いきや。

 昨日の子ブリンを抱きかかえた夫妻が慌ただしく現れ、地面に頭を擦り付けた。


「黒竜家の御方とは存じ上げず、息子たちがとんでもない無礼を……!」

「貴方様に傷を負わせた罪は、どうか父親である私の首で免じていただきたい! 妻と息子たちには、何とぞ寛大な御慈悲を、どうか……!」


 痩せこけたゴブリン夫妻が、涙ながらに弁明する。

 母親の腕の中に閉じ込められた子どもたちは、訳も分からず震えていた。



 だから兜を脱ぎたくなかったんだ。

 無用な恐怖心を与えてしまうから。



 戦争から逃げた弱者ばかりが寄せ集まった国における唯一絶対の強者、それが黒竜家だ。

 テンガン領の領民にとって、竜は神に等しい。


 もちろん暴力で統治しているわけではないが、傍若無人な者たちに長らく虐げられてきた彼らにとって、力は何よりも恐ろしいもの。植え付けられた恐怖心は、そう簡単に拭い去ることはできない。


 渦中のゴブリン一家だけでなく、俺たちを遠巻きに眺める村人たちまで顔を青くしていた。中には父親の首が飛ぶのを想像して顔を覆っている者まで。


 物々しい雰囲気の中、俺はその場に膝をついて子ブリンたちを覗き込む。


「君たちがユニファに頼んでくれたんだってな。俺を助けてくれって」

「う、ぁ……」

「自分たちだけさっさと逃げることもできたのに、君たちはそれをよしとしなかった。それでこそ懇篤こんあつで勇敢なテンガンの民だ。黒竜の血を継ぐ者として、心から誇らしく思う。本当にありがとう」


 心優しく勇ましい。

 弱者のレッテルを貼られた彼らに根付いた自己認識とは真逆の表現だろう。

 でも、これは世辞でも詭弁でもない。


 彼らは弱いからこそ、多くの痛みを知っている。

 痛みは心を委縮させるだけじゃない。痛みを知れば、他人に優しくなれる。優しさを分け合えるのは、心が豊かな証拠。それは何にも代えがたい強さに成り得る。


 ユニファが言うように、戦後の過渡期には自分のことしか考えられない悲惨な状況がたしかに続いたのだろう。

 それでも子は生まれ、育ち、新しい時代が芽吹こうとしている。


 もう『弱者の掃き溜め』などとは呼ばせない。他国にも、領民たちにも。


 そんな願いが届いたのか、ゴブリン夫妻は恐る恐る顔を上げた。


「こ、黒竜様……」

「竜とは宝の番人。黒竜家の真の宝は、間違いなくあなたたちだ」

「あぁ……!」


 父親が感涙を溢す夫人の肩を抱き寄せる。

 様子を見守っていた周囲の村人たちの緊張が解けていくのがわかった。


「未通の乙女も真っ青な純真さだねぇ。魔女の耳が痒くなりそうだよ、まったく。……どうりでユニファが角まで差し出すわけだ」


 そう声をかけてきたのはスークスだ。最後の方は村人の安堵の歓声に掻き消されて、うまく聞き取れなかったが。


 それにしても未通だの、未経験だの。俺の周りには下世話な奴らばかりだ。せめて貞淑と言ってほしい。


 彼女は大きな木の杖をくいっと動かして俺を招く素振りをすると、そのままユニファが運ばれた薬屋の方へ歩き出した。


 ついて来い、ってことか。

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