師匠ならオレの隣で寝てるけど?

美波あおい

第1話 プロローグ

 転生してから十二年だよ。


 苦労した。前世みたいに楽勝じゃなかった。


 この世界でやっと成人になって、ようやく味わえためくるめく夜だった。


 やっぱり女っていいな~。


 どんなに嫌われていて、見下されていて、高慢で、


「わたしは許嫁がありながら……!」


 そう。たとえ婚約者がいようとね。


 うんうんと昨夜を思い返しつつ、オレはシーツに肌を覆われたリズ師匠を見つめた。


 華奢にも思えるその手が、オレの腕をきゅっと握る。


 窓から射しこんだ仄かな朝日は、彼女の髪を眩く輝かせていた。


「オレとはイヤでしたか?」


 問うと、ふるふるとリズ師匠は頭を振った。


「じゃ、オレが好き?」


 少し時間を置いて、大きくコクリ。


 いいよ、この感じ。久々。


 そのままオレはリズ師匠の頭を肩に載せ、回した腕で髪をそっと撫でた。


 薄い金色がさらりと指から滑り落ち、整った色白の顔に落ちていく。


 リズ師匠、確か十七歳だっけ。オレより五つ年上か。


 いまの自分の状態がそう映すのか、ちょっと大人っぽく見えるな。


 剣の腕もSクラスだけど、見た目の美しさもSクラス。誇りの高さも。


 それがいまやオレのもの。自由にできる。世界ってバラ色。


 眺めながら浸っていると、リズ師匠は頼るようにオレの肌に自分の身を寄せてきた。


 肌と肌が触れ合い、彼女の体温が伝わってくる。


 あー、こういうの好き。


 プライドの塊みたいなリズ師匠がコレだもんね。


 憂いげな表情もまたそそるってモンよ、サイコー。


 リズ師匠が家庭教師になってから、オレって我慢の一択だったからなぁ。


 さんざん見下しては罵ってくれたけど、鉄の女も色恋が絡むとどうしようもないね。オレは身も心もスッキリだけどさ。


「ねえ」


 オレは首から回した指で、リズ師匠の耳を軽くくすぐる。息遣いが僅かに荒くなった。


「師匠の許嫁ってダスダンさんでしょ? 前にウチに来てた」


「……そう。中央の役人で、とびきり優秀らしい」


「――の割にはリズ師匠、あんまりですよね?」


「……父を……、脅すようなところがあるのだ。わたしのことも、出世のための道具としか見ていない、ような気がしている」


「なのに嫁ぐんですか?」


「家のためだ。自分の感情で勝手は言えない」


「でもオレとこうしてるじゃないですか。それって自分の感情じゃないの?」


「……だって……」


「言いにくい? ってことは、リズ師匠、なんだかんだその許嫁さんを愛していて、オレのことは好きじゃないのかなーって」


「そんなこと……、ないよ……」


「じゃ、言葉にして。オレをどう思ってるのかさ」


「…………好き……」


「もっと」


「……あの……。キュリ、あ、愛してる」


「それだけ? もう一声欲しいかな~」


「……お前のためなら、なんでもする……」


 消えてしまいそうな声で、リズ師匠は呟く。


 うつむいているけど、耳が真っ赤。面白いので、もっとつついてみる。


「でも昨日までってさぁ、オレを毛嫌いしてましたよねえ? 傷付いたなあ」


「それは……っ!」


「いままでされたことを、ここでリズ師匠にもしちゃおうかな。冷たーい目で見下すの。毛虫見るみたいに。いっそ嫌ったり」


「……すまない……。その、わたし愚かだったから。気付かなかったんだ。……キュリがこんなにも可愛いと」


 リズ師匠の目に涙が溜まった。


「それで禊が済むとは思わないが、キュリの気が晴れるまでわたしを殴ってくれていい。でも、お願いだ。お願い……。嫌いにならないで」


 分かったならよろしい。


 心の中で勝利の高笑いして、オレは師匠に手を伸ばす。


「んっ……!」


 手は師匠の吐息で受け入れられ、這わせる指は肌を滑り下りていった。無抵抗なのに切なげなその表情。耐えるように押し殺した声。いいね、クセになる。


 オレはそのままくちびるを……。ガガガガ。


 と、これからってとこで、無機質で硬質な振動に邪魔される。


 目を上げると、あった。リズ師匠の頭のとこ。


 震えていたのはベッドボードに置いてあったボイスプレート。通称『板』。


 レア金属、アダマスに通信魔法を封じて、ギチギチの板状になるまで圧縮したプレート。金属の震えを魔力が伝え、声を別の場所に届けるらしい。


 これで魔力の届く限り、遠方でも通信が可能だ。


 人間は面白い魔力の応用を思いつく。感心だね。


 魔力を失ったこの体でも、その内に魔法が使えるようになるかも。


「誰からですか?」


 問うと、顔の前で板を見たリズ師匠の表情が曇る。


「ダスダン公だ」


「愛されてますねぇ」


「束縛が厳しいのだ。キュリとこうなったことはまだ知るまいが……。時間の問題だろう。わたしは嘘が苦手だから。隠し通す自信がないよ」


「ふーん」


 なら、いっか。オレは彼女の手からスッと板を抜いた。


 すかさず表面に指を滑らせ、ダスダンからの通信を引き受ける。


「ちょっ、キュリ! なにをっ……!」


 焦るリズ師匠。板を取り返そうと手を伸ばすけど、もう遅い。


 オレもあいつにはムカついてたんだよね。


「あ、キュリですけどー」


 オレは板を耳にして声を向けた。


『は? キュリ殿?』


 戸惑うダスダン公。


『おかしいですな。リズ殿の板にかけたつもりでしたが』


「あ、合ってるよ。ダスダンさん。これ師匠の板」


『どういうことです? リズ殿は?』


 聞かれて、オレは同じ枕を使う師匠を見ながらにっこり。


「師匠ならオレの隣で寝てるけど?」

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