晴「児童文学とは何で、児童文学会とは何かというかなり難しい問題」

 児童文学とは何でしょうか。この問いは非常に難しいものだと思います。そこには様々な解釈がありますが、その多くに共通するものは「子どもが読む文学である」ということだと思います。児童文学の主体たる子どもはあくまで受容者であり、文学そのものを供給するのは大人です。川端有子は


『児童文学が書いて出版されるまで関わる人のほとんどは「おとな」であり、関わ    った「おとな」のほとんどにとって児童文学は「消費物」』


であると述べています。ここからは、ふたつの立場の解釈が現れます。

 ひとつは児童文学を通じて子どものためになる教訓を学ばせようとする立場であり、ふたつめは子どもが楽しむことのできる物語を供給しようとする立場です。吉田孝夫は、児童文学は子どもたちに生きる力を与える文学であるとした上で、


『人生というのはそれほどつまらないものではないと子どもたちに伝え、食べ物で力がついたように現実の時間に戻す』


のだと述べます。また、佐藤さとるは


『児童「にも」理解、鑑賞ができる表現を用いた文学作品』


が児童文学であるとして、子どもと大人は直列の関係にあると言います。

 ではこうした児童文学の解釈の違いを踏まえた上で、私たち児童文学会とは何なのでしょうか。

 私たち児童文学会にできることは、様々な作品を読み、友人と議論を交わし、自分で実際に作品を作ってみて、時には私たちよりも「大人」であり児童文学に関わっている人々から話を聞くことによって、解釈や定義の分かれる児童文学とは何かということをまず知っていくことではないでしょうか。

 このサークルでの読書会・創作・講演会といった活動を通じて、児童文学とは何かということを徐々に明らかにし、ひいては現代を生きる子どもたちにとって何か良いものを残せたのなら、私たちにとってこれに勝る喜びはないのではないかと思います。

 最後に、宮沢賢治『注文の多い料理店』から序文を引用してこの文章を終わりたいと思います。


『わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。(中略)

ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。

けれども、わたくしは、これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。』


 児童文学と、児童文学会という私たちのサークルの今後一層の発展を祈って。



【参考文献】


・佐藤さとる『ファンタジーの世界』 1987年8月1日 講談社

・吉田孝夫『語りべのドイツ文学』 2013年1月21日 かもがわ出版

・遠隔研修「児童文学基礎講座:児童文学とは何かというとても難しい問題」

https://youtu.be/ht0MQbyDxY4(アクセス日:2023年2月21日)

・宮沢賢治全集8 2021年4月20日 筑摩書房

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