其のニ
日々野島。灯華皇国の領有する穂先群島にある有人島の一つである。
人口はおよそ八〇〇〇人。農業と貯水池を利用した鯉の養殖が主な産業で、住人のおよそ九割がそれらに関わっていた。
穂先群島最大の有人島である渡国島との連絡船は朝夕の二便のみ。灯華皇国の地方にあるごくありふれた田舎の島であった。
明成二十七年九月十五日。日々野島の住人たちはいつも通りのーヴァスコニアとの戦時下ではあるが、平穏な暮らしを送っていた。
それが破られたのは午後二時十七分。役場の放送塔のスピーカーからけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。
空襲だ、空襲だ。町のあちこちで声が上がる。ヴァスコニアとの戦争が始まって以来、毎月一日に訓練として鳴っていた空襲警報のサイレンが鳴っている。住民達はその意味を理解していた。しかし、誰もが訓練以外で聴くことになろうとは思ってもみなかった。
日々野島にサイレンが鳴り響く三〇分前の午後一時四十九分。穂先群島・月島にある月島駐屯地の指令所に巡視船『つばき』から一報が入った。
“泡島より八〇キロ、イ―〇一にて艦影を発見”
所長である高砂少佐は『つばき』に再度確認するよう指示を出した。
その日、イ―〇一空域の航行を申請している民間船はない。本来なら一隻の船もいないはずなのだ。
そうなると考えられるのは、ならず者の空賊船か禁制品の密輸船か。漂流船の可能性も無くはないが、救難信号を出していないことから考慮する必要はないだろう。高砂少佐はそう考えた。
万が一に備えて、近隣の空域を航行している巡視船に応援に向かわせようとした直後、『つばき』から通信が入った。大気中のウラノシア粒子によってノイズが入ったその通信を聴いた指令所の面々は我が耳を疑った。
“こちら『つばき』、攻撃を受けている。応援を求む。敵影多数。繰り返すー”
これが『つばき』からの最後の通信であった。
月島駐屯地は蜂の巣を突いたかのような混乱に見舞われた。港に停泊していた艦艇のプロペラが回転を始め、次々と出港していく。
霧雨型駆逐艦『キー〇七八 』を旗艦とし、駆逐艦二隻、砲艦八隻からなる艦隊はイ―〇一空域へと飛び立った。
指令所の面々は次の仕事に取りかかる。武装船の領域侵犯を渡国基地へ報告し、泡島に近い有人島の村や町の役場に警報を送信するのだ。
渡国基地への通信は互いに軍用の高性能な通信機を使用する為、難なく交信をすることができた。しかし、役場にある旧式の民生品にはなかなか継らない。駐屯地の通信士は何度も通信機の電キーを打ち、警報を送信し続けた。
全ての町村から、警報を受信したことを伝える通信が返ってきたのは午後二時十分のみことであった。自分達か今できることは全部やり終えた。通信士達が安堵した時であった。
“こ―ら、『キ―ナ―チ』、…被害じ―敵は、賊にあら―ぐん”
焼けた石に水を散らした時のような音を最後に通信は途絶えた。
一体何が起こっているのか。指令所は再び混迷に見舞われた。
そこに、通信が入る。イ―〇一に向かわせていた巡視船『ぼたん』からであった。
“イ―〇一に艦影多数。我が方の駆逐艦及び砲艦は全て撃沈されたもよう。戦艦と思われる艦影も観測されます。”
その知らせに指令所は凍りついた。戦艦規模の艦船を所有している空賊などありえない。一隻の建造・維持費だけで莫大な費用が掛かる。
つまり、イ―〇一に現れた不審船団はそれが可能な組織が背後にいるということになる。最早、列強と称される国の軍隊であるとしか考えられないのだ。
まさか、ヴァスコニア軍の別働隊か。
そんな考えが高砂少佐をはじめとした指令所の面々の脳裏に浮かび上がる。しかし、『ぼたん』からもたらされた新たな報告を耳にして、指令所に衝撃が走った。
“艦影の特徴及び識別マークより、不審戦団はラドロア共和国軍と推察されます”
ラドロア共和国。
灯華皇国の存在する『第二軌道』のはるか下、『第三軌道』に存在する列強の一つであり、当時の灯華皇国との間に不可侵条約を締結していた国家であった。
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