発足、第一航空艦隊③

 場面は再び“翔鶴”の長官公室に戻る。

 

 部屋の扉の向こうから声が聞こえた。


「真藤中佐、参りました」

 

 やや高めのよく通りそうな声が響く。山本総長の声を思い出した。


「入り給え」

 

 山口が言うとドアが開けられた。

 黒の第一種軍装を着て小脇に軍帽を抱えた小男が入ってきた。

 

 体躯に似つかわしいような童顔と、民間娑婆の勤め人のような七三に整えられた頭髪が妙に印象的で、どこか可笑しみ味を感じさせる。

 山口の真藤に対する第一印象とはそのようなものだった。


「真藤中佐、第一航空艦隊作戦参謀を拝命しただいま着任いたしました!」

 

 真藤が直立不動で申告した。


「はるばるロンドンからご苦労である。まずは掛けてくれ。気楽にしろ」

 

 山口は応接セットのソファを薦めて、当番兵に珈琲を言いつける。

 珈琲が運ばれてくるまでの間、欧州での戦闘の話を聞いた。

 

 現在、日英両軍は共同でドイツ本土を中心に欧州大陸への爆撃を行っている。

 世界での本格的な都市爆撃の事例は昭和一二(一九三七)年、スペイン内戦に介入したドイツ空軍によるスペインの古都ゲルニカに対して行われたものがあるが、海を挟んでの継続的な都市爆撃はこれが初である。

 山口が事前に目を通した資料によれば真藤は四機の陸攻(陸上攻撃機)で梯団を組み、相互に支援をさせる方法を考案、実行し部隊の損害を低減させることに成功していた。


 山口は真藤が考案したという方法について質問した。

 質問には端的に回答する。

 が、どこか妙に遠慮したところのある口ぶりだった。

 

 こういう話し方をする人間を前に見たことがある、と山口は思った。

 軍令部で勤務していた頃、外部の専門家も交えた研究会で一緒になった男で、田沼飛行機の技術者だった奴だ。

 その内面の才気、あるいは狂気を心を開かない相手には決して見せたがらない人間。

 研究会で顔を合わせるたび、縄のれんで酒を酌み交わすたび、彼が饒舌になっていったのを山口は思い出した。

 

 珈琲が運ばれてきてからも話は続き、都市爆撃の実際、問題点とその改善方法などに話題は移っていった。

 やがて会話が途切れたところで山口が言った。


「真藤中佐、貴官を作戦参謀に任ずるにあたり確認しておきたいことがある」


「なんなりとお訊ねください」


「天津での戦闘のことだ」


「記録はお読みになったのでしょう?」


「戦闘の概略は把握している。しかし、貴官の査問の詳細までは閲覧できなかった」

 

 昭和一四(一九三九)年九月、真藤中佐は空母“飛龍”から発艦した一二機の九七式艦攻を率いて天津上空にいた。

 彼の部隊に与えられた任務は「邦人はじめ天津港からの外国人居留民の天津港からの退避を上空から掩護する」こと。

 国民党軍と共産党軍の市街戦が展開される中、天津港には国外退避をはかる外国人居留民が集結しており、港の周辺では居留民救出の任を帯びた外国軍が警戒にあたっていた。

 

 上空から日本の陸戦隊の部隊と共産党軍の一部が交戦しているのを視認した真藤は、麾下の一二機を以って共産党軍への空襲を行った。

 しかも単に空襲を行っただけではなく、真藤は自機を低空飛行させて中共軍部隊の指揮官を探し出した上で射殺している。

 

 この件で真藤は査問にかけられたが、陸戦隊の指揮官の証言などにより共産党軍の攻撃に対する自衛行動と判断され処分は下されなかった。

 ただし一歩間違えればソ連と全面戦争さえ引き起こしかねない行動であったため、海軍省内の一部で問題視され、真藤は欧州に飛ばされた。


「あれは自衛行為でした。問題はなかったと査問会でも結論づけられています」


「その点について疑問はない。しかし事態が拡大しソ連との戦争になる可能性を考えたかね?」


「お言葉ですが、それは一現場指揮官の判断の領分を越えます。小官は『避難民の退避を掩護せよ』という命令の範囲内で友軍を援護したに過ぎません。そこを問題になさるのでしたら、あらかじめどこまでやってよいのか基準を明確にせずに我々を派遣した政府、あるいは海軍上層部に責任があるかと」

 

 想定していた以上に直截的な言葉だったが、言っている内容自体には同意できた。政局と事態の急な展開で政府も混乱していたため、「どこまでやってよいか」という基準を明確にせずに部隊を派遣してしまった。

 結果的に現場に領分を越える判断をさせてしまった。

 

 山口が黙ったままでいると、真藤がさらに言葉をつないだ。


「……しかし領分を越えていることを承知であえて申し上げればあの時点でソ連、あるいは中共軍との全面戦争を招く可能性は小さいと判断いたしました」


「その根拠は?」


「理由は二つあります。第一に我が国と戦端を開くだけの利がソ連にも中共にもありません。ソ連が中共を援助しているのは、我が国と英国が後援する国府政権が中華全土を統一し、緩衝地帯を失うことを避けるためです。そのために我が国と戦争を引き起こすことは本末転倒です。また、中共にしたところで当分国府軍との内戦を戦わねばならない中で、あえて我が国と事を構える余裕があるとも思えません。第二に『共産党軍』と言っても実態は中共と反蔣軍閥の寄せ集めに過ぎず、必ずしも統制が取れているわけではないと聞きます。となるとあの時陸戦隊と戦っていた部隊も、中共軍全体の意思ではなく現場指揮官の暴走、あるいは偶発的な戦闘の可能性が高いと判断いたしました。ちなみに現場指揮官をあえて射殺した理由もそこにあります。現場指揮官の独断で始まった戦闘ならば彼を殺せばそこで戦闘は終わります。現に指揮官を失った中共軍はそれで潰走しました」

 

 そこで真藤は珈琲を一口飲みさらに続けた。口調は落ち着いているが、早口になりそうになるのを懸命に抑えているようにも見える。


「さらに言えばあの当時、小官が援護をためらっていたとすればどうなったでしょう。上空から視認した限りでは中共軍の方が明らかに優勢に見えました。陸戦隊の損害は大きなものになっていたでしょうし、勢いに乗じて中共軍が港になだれ込めば邦人に死者が出ていたかもしれません。そうなれば我が国の世論は激昂し、その方が戦争の危険を招いていたかもしれません」

 

 そこまで話すと真藤は残りの珈琲を一気に飲み干した。

「つまり小官はあの当時知り得た情報を元に、戦争に至る可能性がもっとも小さくなる方法を実行したのです」

 

 山口は一息ついた後に訊ねた。


「査問でも同じことを言ったのかね?」


「ええ、もちろん」

 

 山口は一瞬微笑とも苦笑ともつかない笑みを浮かべてから言った。


「なるほど、貴官がただ果断なだけの軍人ではないことがよく分かった。一航艦の作戦参謀として存分に腕をふるってくれ」


「少将殿、小官からも質問してもよろしいでしょうか?」


「ああ、構わんよ」


「参謀の経験もない、海大(海軍大学校。高級指揮官・参謀を育成するための海軍の教育研修機関。通常艦隊参謀クラスはここの卒業生から選ばれる)を出ているわけでもない小官を航空参謀というならまだわかりますが、海軍期待の新編艦隊の作戦参謀に据える理由はなんです?言いたかありませんが、この人事のおかげで小官は欧州に部下を置いたまま帰ってくる羽目になりました。小官としては戦争が終わってから部下とともに帰ってくるつもりだったんですがね」

 

 だんだん物言いが率直になってきた。

 内側にあるものを抑えきれなくなってきたか。

 山口は心の中で苦笑しつつ答えた。


「貴官、来週から日本と米国、それに南部連合で石油輸入に関する国際交渉がはじまるのを知っているかね?」

 

 真藤は特に意外な風でもなく「ええ」とだけ応えた。


「本来なら数年かけてじっくり鍛えたいところだが、その交渉の行方次第で一航艦は実戦をやらにゃならなくなるかもしれん……そうなると司令部の幕僚に実戦経験の豊富な人間、それだけでなく思いっ切りのいいやつが必要になる」


「それが小官というわけですか?」


「私はそう判断した」

 

 真藤は新しい玩具を与えられたような子どものように純真な笑み――いや、そう形容するにはあまりにも禍々しいなにかを一瞬浮かべてから言った。


「承知しました。欧州の空よりおもしろい仕事をさせてもらえるというのなら、喜んでやらせていただきます。非才非力の身ですが全力を尽くします」

 

 どこまでが本心なのか図りかねる口調で、そんなことを言う真藤を見ながら、山口は思った。


「ふむ、この小男が内面に抱えているものは、あるいは狂気なのかもしれんな――」


 


 二日後、第一航空艦隊が正式に発足した。

 

鈴木首相と米内海相、それに山本総長も列席した発足式の後、旗艦“翔鶴”の会議室に各戦隊司令と参謀たち艦隊幹部が一堂に会した。

 長机の中央に中将に昇進した山口が座り、入り口側に参謀たち奥側に戦隊司令たちが着席している。


 居並ぶ幹部たちを前に山口が言った。


「艦隊幹部が一堂に会する初めての機会である。貴官らの官姓名を教えてくれ。まずは戦隊司令の諸君から頼む」

 

 その声に応えて戦隊司令たちが次々に起立する。


「第一航空戦隊司令、五藤存知ごとうありとも少将」


「第二航空戦隊司令、原忠一はらちゅういち少将」


「第六航空艦隊司令、角田覚治かくたかくじ少将」


 ……戦隊司令たちが終わると次は参謀たちが名乗りを上げる。


「参謀長、草鹿龍之介少将」


「作戦参謀、真藤威利中佐」


「航空甲参謀、河野輝雄中佐」


「航空乙参謀、山崎雅春少佐」


……幹部たちの名乗りが終わると、山口が幹部たちを見回してから言った。


「諸君も承知のとおり現在我が国は欧州での戦争を遂行中であり、米国との関係も予断を許さない。そう遠くないうちに我が艦隊も実戦を経験をするかもしれん。幹部の諸君はそのつもりで職務に励んでほしい。早速明日より訓練を開始する。解散!」

 

 居並ぶ軍人たちが全員踵を打ち鳴らして礼をする。かくして第一航空艦隊は発足した。

 時に昭和一六年四月三日のことである。


 同月七日、神戸で日米南の三ヶ国による石油交渉が開始された。

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