3-8. 戦う理由
* クド *
目の前の男がエリカについて何か言っている。
不愉快だ。命の恩人を愚弄されていること以上に、何もできない己の非力が憎い。
知っていたはずだ。
この国にも、こういう人物が存在している。
レイアの話から想像できた。
ほんの数日前、冒険者に襲われたばかりだ。
私は心のどこかで期待していたのかもしれない。
この国は優しい場所で、あの冒険者達が数少ない例外だったのだと信じたかったのかもしれない。
(……結局、どこも同じか)
虐げる者と、虐げられる者。
きっと理由は様々なのだろう。
しかし共通点を見つけた。
虐げられる者は、常に弱い者だ。
憎い。
弱い自分を殺してしまいたい。
──そう思った瞬間だった。
全身が震えた。
命の危機が眼前に迫った時のように、身体中が「逃げろ」と警鐘を鳴らしている。
『──ァハ』
声が聞こえた。
私は震えの理由を理解した。
「あれは……」
黒いツギハギ。
影の存在が、我々から最も遠い位置にある壁から生み出された。
「逃げるぞお前らァ!?」
直前までエリカと戦っていた冒険者の声。
上層突破者達の動きは迅速で、私が声を認識した瞬間には逃亡を始めていた。
「ご主人さま!」
レイアが私の服を引っ張った。
切迫した表情。自分たちも逃げようと目で訴えている。
私はレイアと共に立ち上がる。
それからエリカに目を向けて……
「何をしている?」
彼女は、その場に立ちすくんでいた。
「引っ張ります!」
レイアは迅速に行動する。
一息でエリカの元まで移動して手を引いた。
鎧姿のエリカは、あっさりとレイアに引きずられた。
「行きましょう!」
私は頷いて、ルームからの脱出を試みる。
その間、黒いツギハギの方に目を向けた。
(……こちらを、見ているだけ?)
動きは無い。
無論、悪いことではない。
あれが動けば私達などひとたまりもない。
しかし不気味で仕方がない。
なぜ動かない。何か狙っているのか?
(構うな。考えるのは後だ)
私は思考を切り替え、レイアに指示を出す。
「帰還を最優先する! 戦闘は全て回避だ!」
「分かりました!」
結局、黒いツギハギは追ってこなかった。
帰還する途中、あの冒険者達と遭遇することも無かった。
悪寒が止まらない。
何か悪いことが起きているはずなのに、何も失っていない。
痛いくらいに警鐘が鳴りやまない。
まだ自分たちは危機の最中に居るのだと直感が叫んでいる。
しかし。
私達は何事も無く宿に辿り着いた。
* 宿 *
しばらく会話は起きなかった。
私は床に立ち、レイアとエリカは寝具に並んで座っている。
私を含め、皆俯いている。
頭に浮かぶ言葉は違うだろうが、きっと等しく楽しい内容ではない。
何から話したものか。
ひとまず無事を祝って場の雰囲気を変えるべきか。
私が思い悩む中、最初に口を開いたのはレイアだった。
「いつまで黙っているの?」
彼女はエリカに向かって言う。
「多少の面倒事なら聞いてあげるわよ」
意外な言葉だった。
レイアが心優しいことは知っているが、少し突き放したような言い方を想像していた。
エリカは静かに長い呼吸をした。
そして、観念した様子でぽつりと言う。
「……あの三人は、昔の仲間だ。いや、仲間と思っていたのは私だけだったがな」
彼女は兜を脱ぎ、そっと床に置いた。
それから目を開いて、私をじっと見る。
「やはり君は目を逸らさないのだな」
エリカは小さな声で言った。
言葉の意味が分からず眉を寄せると、彼女はゆっくりと話を始めた。
決して気分の良い内容ではなかった。
しかし私は、薄紫色の瞳が理由で苦労したということに、どこか親近感を覚えた。
「すまない、君達を巻き込むことになった」
話を終えた後、エリカは深く頭を下げた。
「何よ、巻き込むって」
レイアが言った。
エリカは自らの武器を持ち、膝の上に置いた。
「恐らく、奴らの狙いはこれだ」
曰く、それはカタナと呼ばれる武器らしい。
彼女を育てた師の形見であり、千の魔物を屠っても刃こぼれひとつしないそうだ。
「待ってくれ」
私は口を挟む。
「私は、彼らの仲間の最期に立ち会った」
あの冒険者は仲間の名前を口にした。
そして私達を探していたと言っていた。
「それは、恐らく建前だ」
しかしエリカは否定する。
「あいつは、他人のために動くような人間ではない」
グッと感情を押し殺したような言葉。
俯いた彼女を前に、私は何も言えなくなった。
「はい、そこまで」
レイアが手を叩いて言う。
「建設的な話をしましょう。今は過去より未来について考えるべきよ」
「……そうだな」
エリカは力なく頷いた。
レイアは彼女を気遣うようにして言葉を続ける。
「上層突破者だったかしら? とんでもない動きだったわね。あんなのが好き勝手に暴れるなら、新参者が迷宮に挑むことなんて不可能だと思うのだけど、今回は特別な例外ということなのかしら?」
「……時期が悪い」
エリカは説明した。
通常ならば、第一層で襲われることは無いらしい。多くの冒険者が活動しており、強力な
しかし、私が迷宮都市に到着する少し前から深層の攻略が始まったそうだ。簡単に言えば、まだ誰も知らない迷宮の奥地へ行くため、迷宮の治安維持を担っていた者達が揃って不在となっているらしい。
「ちょっとくらい残りなさいよ」
レイアが苛立った様子で言う。
「そんなの初耳よ。あの職員、どうして言わなかったのかしら」
「協会にも事情があるのだろう。迷宮都市の生活は魔石で成り立っているから、誰も迷宮へ行かなくなれば、みんなが困ってしまう」
「そんな事情、私達には関係無いわよ」
「レイア、落ち着いてくれ」
「でも」
「気持ちは分かる。だがその話を知っていたとしても、私は迷宮へ挑んだはずだ」
「……ご主人さまが、そういうのなら」
私はレイアの反応に軽く安堵して、エリカに問う。
「攻略は、どれくらい掛かる?」
「……少なくとも半年」
「ならば、それまでは迷宮を避けるべきか」
「いや、その必要は無い」
何か良案があるのだろうか?
私は期待の眼差しをエリカに向けた。
「これは私の問題だ。私が片付ける。君達には、迷惑をかけない」
「ふざけないで」
「ふざけてなどいない。だって君達には、戦う理由が無いじゃないか」
「あるわよ。たくさん」
レイアは言う。
「まずご主人さまを攻撃したこと。許せないわ。次に──」
レイアは私に関する理由をいくつも言った。
真っ直ぐな好意を感じて、決して不愉快ではないが、妙に背中が痒くなった。
「最後に。あなたは、ご主人さまの命を救ったのでしょう?」
私は思わず頬が緩むのを感じた。
どうやら、私が口を挟む必要は無さそうだ。
「……ありがとう」
長い間があって、エリカはぽつりと言った。
レイアの言う通りだ。
エリカは私達を遠ざけようとしていたが、それはできない。
彼女は命の恩人なのだ。
戦う理由は、それだけで十分過ぎるくらいだ。
勝算は無い。戦闘の経験が違い過ぎる。
しかし、恩人を見捨てる理由にはならない。
その後、エリカとは明日の約束をしてから別れた。
そして翌日、約束の時間。
──エリカは、約束の場所に現れなかった。
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