2-9. レイアの変化
スッキリとした朝だった。
不思議な程に身体が軽い。思考も鮮明だ。
私は真っ先に昨夜のことを思い出した。
背中の感触が消えない限りは眠れるわけが無いと思っていたが、結果はここ数年で一番の快眠だった。
あの熱と重みは、今は無い。
それは思いのほか寂しいものだった。
最初は戸惑いばかりだったが、いつの間にか心地良さが勝っていたのかもしれない。
(レイアはどこだ?)
彼女の姿を探すため、首を回す。
居た。真横。頬杖を付き、私を見ていた。
「相変わらず、綺麗な瞳だ」
「……んぇっ?」
レイアが目を丸くした。
私は咄嗟に唇を嚙むことで口を結ぶ。
うっかり思ったことが声に出た。
思考は鮮明だと思っていたが、どうやら寝ぼけているのかもしれない。
「すまない。今起きた」
「……え、えぇ。おはよう」
ぎこちない挨拶。
私は彼女とは反対方向に顔を向けて言う。
「何をしていた?」
「……べつに、何も」
「私を見ていた。話があるのではないか?」
「奴隷がご主人さまの目覚めを待つのは当たり前でしょう」
「そうか。何も無いなら、それでいい」
「ええ、そうよ。何も無いわよ」
相変わらずレイアの口調には棘がある。
しかし以前よりは雰囲気が柔らかいように感じるのは、私の思い違いだろうか。
「ただ」
と、レイアは言う。
「これから私の全てを捧げるご主人さまの顔を目に焼き付けたり、また抱き締めて欲しいなと思ったり、安心したような寝息が愛おしいと思ったりしていただけよ……あっ」
レイアはハッとしたような声を出した。
私は顔が熱くなるのを感じて、少しの間は息を吸うこともできなかった。
「朝食にしようか」
私は背を向けたまま言う。
「何か希望はあるか?」
先程の発言は、聞かなかったことにする。
その意思が伝わったのか、彼女は普段通りのツンとした態度で返事をした。
「何でもいいわよ」
「……そうか」
まともな味がある料理。
それが先日、彼女から聞いた希望だ。
「ただ」
と、再びレイアは言う。
「ご主人さま、太い女は嫌いかしら。私、食べると直ぐに肉が付く体質なのよ」
それは奇妙な質問だった。
彼女は痩せている。背中に乗られた時にも軽いと感じた。多少の食事で丸々とした体型になるとは思えないが……。
「ねぇ、どうなの?」
真剣な様子。
ならば私も真面目に答えよう。
「気にすることはない」
「ご主人さまは、どちらが好きなの?」
「……なぜ、そのようなことを聞く」
「そんなの、ご主人さまに好かれたいからに決まっているじゃない……あっ」
どうした。
どうしたのだレイア。
確かに昨夜は距離が近かった。
しかし、たった一晩でこれほど変わるものだろうか。
だが、悪いことではない。
彼女なりに歩み寄ってくれたと考えるならば、私はそれに応えるまでだ。
「レイアは、もう少し食べた方が良い」
「太い方が好きなの?」
「……そうだ」
「だらしなく乳房に脂肪をため、触れると弾力のある身体の方が好きということ?」
「……限度は、ある」
「限度? それは、どれくらい?」
「……分からぬが、今よりは、太い方が良い」
「ふーん、そうなのね」
なんだこの時間は。
私は何を問われているのだ。
「ご主人さまは、本当に変わってるのね」
しかし、まあ、良い。
レイアの声から微かに喜びの色を感じた。私が恥ずかしい思いをするだけでこれが得られるのなら、安いものだ。
「ご主人さま、髪は長い方が好き?」
まだ続くのか。
「……考えたことが無い」
「なら、とりあえず伸ばすわね。嫌だったら言ってちょうだい」
その後もレイアの質問は続いた。昨日のような不機嫌よりは遥かに良いが、気持ちとしては今日の方が落ち着かなかった。
そういえば昨日までは「あんた」と呼ばれていたはずだ。
呼び方を変えたのは、やはり心境の変化によるものだろうか?
落ち着かない。
ただ、悪いものではない。
──私、生まれて初めて、誰かを好きになれそうよ。
昨夜、最後に聞いた言葉を思い出す。
いや、思い出すまでもなく、最初から分かっていた。
私は、これまで母以外から好意を向けられたことが無い。
エドワード兄さまは私に良くしてくれたが、今思えば好かれているという感覚は無かった。彼はただ優しい人だったのだ。その点、レイアからは確かな好意を感じる。
なんともまあ、こそばゆい。
私は、その心地よい感覚のせいで気が付かなかった。
この朝、身体が軽く、思考が鮮明だった原因は、久々の快眠ではなかったのだ。
──迷宮。
三度目のルームA1。
今日を生きる金を稼ぐための戦い。
レイアは昨日と同様に小石を投げた。
しかし、その結果は同じにはならなかった。
風が吹いた。
続けて大きな音がした。
「……え?」
ぽつりと漏れたのはレイアの声。
私は唖然として、口を開けていた。
彼女が投げた小石は、ツギハギを灰と魔石に変えたのだった。
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