第8話 逆恨みと悪意
こうして、プランテッド領が降って湧いたようなトラブルに襲われた冬を越え、多数の人材をさらに囲い込むことに成功して、向かえた春。
予期せぬ事態がプランテッド家を襲った。
「くっ、なんたる不覚っ」
王都に出張していたルーカスがもたらした情報を受けて儀典局へと駆け込んで来たジョウゼフは各種資料を確認し、険しい顔のまま拳を握りしめた。
目の前にある資料が示すのは、隣国であるファニトライブ王国王子を歓迎する夜会に年頃の令嬢全員を招待する通達が三ヶ月前にあったこと、その通達をプランテッド家が受け取ったと処理されていること。
だがジョウゼフは受け取ってなどいない。
つまりこれらは、ねつ造されたものなのだ。
こんな大それたことが出来る人間は限られている。
そして、ジョウゼフの心当たりは、一人しかいなかった。
「思ったよりも嗅ぎつけるのが早かったな、そこは流石と言っておこう」
王都のタウンハウスに滞在中だったパシフィカ侯爵自身は、押しかけて来たジョウゼフ相手にあっさりと口を割った。
むしろ、聞かせて勝ち誇ろうというのだろう表情が、どうにもジョウゼフには理解しがたく。僅かばかり眉間に皺が寄ったのは、責められないところだろう。
「思ったよりも、ですか。ということは、私が事態を把握するのは晩餐会直前にするつもりだった、と」
「全く、賢しい口を利くものだ。だがまあ、この儂を出し抜いたのだ、それくらいは出来てもらわんとな」
確認するようなジョウゼフの問いかけに、まるで動じた様子も無く侯爵は答える。
いや、もしかしたら色々と振り切ってしまった結果、なのかも知れない。
ジョウゼフへと向ける視線は落ち着いているように見えたが、よく見ればその目は充血しており、若干だが見開かれているような有様。
極度の、我を忘れそうな程の興奮と緊張に苛まされている者の顔。
つまり侯爵は、色々な意味でギリギリのところに来てしまったのだろう。
理解したジョウゼフは、小さく吐息を零した。
「出し抜いたつもりなど、全くないのですがね。私はただ、陛下から賜った仕事を果たしたのみです」
「はっ、ほざきよるわ。それで儂からありとあらゆるものを奪い去ったというに!」
凝視するかのように見開かれ、それでいてジョウゼフすら見ていない侯爵の視線。
話にならない。なるはずがない。
諦めにも似た推論を……恐らくほぼ正解であろうそれを胸中で零しながら。
「奪うも何も、そもそもあなたの得ていた財産だとかが奪ったものでしょうに」
「奪ってなどいない、あれは正当な行いだ、権利だ! 我がパシフィカ侯爵家が持つ、権利なのだ! だったのだ!」
目を見開きながらのそれに、ジョウゼフは否定も肯定も返さない。
それが、最早何にもならないことに、気付いてしまったから。
「その権利を危うくしたのは、失わせたのは、それこそあなたの行い故でしょう。
そもそも、事が明るみに出れば今度こそ致命の醜聞。それがわからぬあなたとも思えませんが……」
そこまで口にしたジョウゼフは、ある可能性に気付いて言葉を切る。
まさか。
普通ならばあり得ない仮定を、視線を向けた先にあるパシフィカ侯爵の表情が肯定していた。
「ああ、そうだとも。陛下直々に、王子殿下がお帰りになった後に降爵だと言われたとも。
やり直せだなどと言われたが、どうやり直せというのだ。儂の代で返り咲くなど出来るわけもなかろうに!」
吐き捨てるように。敬意の欠片も無く声を上げた侯爵は、その顔を憤怒に染める。
「さすれば儂は、家門を傾けた愚か者として末代まで語られるだろう。貴様と、陛下が結託したことによって!」
ジョウゼフからすればとんだ言いがかりだが、状況的にはそう邪推出来なくもない。
そう理解出来てしまったから押し黙るジョウゼフへと……憤怒から一転、侯爵は歪んだ笑みを見せた。
「ならば、儂が末代となればいい。家が絶えてしまえば、語り継がれることもなかろう?」
「何を……そんな、己の体面のためだけに全てを無に帰すおつもりか!?」
「おうともよ、面目こそが貴族の柱、誇りだからな。それが失われるとあれば、いや、奪われるとあれば自ら捨ててこそだろう」
理解出来ない、とジョウゼフは首を横に振る。
あれだけ現世的な利益を追求して、現実の法律の隙間を縫って渡り歩いていた男の言葉とも思えない。
全てにおいて投げやりな、それでいて悍ましいほどに執拗な。
だとすれば、彼のこの行いは。
「だからこんな、遠からず明るみに出るような工作を仕掛けたというのですか!」
「死なば諸共、というだろう? だが、この短い期間では貴様を道連れにまでは出来なんだ。流石とは言わせてもらおう。
であれば、狙いやすいところ……そして何よりも、今回の元凶たる貴様の愛娘くらいは引きずり込ませてもらわねばな」
「どこまでも身勝手な……そもそもの大元は、あなたの弁えぬ行いだろうに!」
当然と言えば当然の糾弾に、パシフィカ侯爵はくわっと目を見開いた。
「何が弁えぬだ! 儂は侯爵、由緒ある尊き血筋! であれば、儂が望んで得られぬものなどそうはない!
こんな、こんな端金を手にするなど、権利とも言えぬ当然のこと!
それを奪ったのが誰か、如何に力を削がれたとは言えど、調べるは容易いわ!」
「どこまで度しがたいのだ、あなたという人は!」
恥じること無く横領を口にする、何なら誇っていそうな口調に、ジョウゼフも耐えかねて声を荒げてしまう。
こんな身勝手な男のために多くの者が水害に怯える羽目になり、彼の愛娘は窮地に立たされたというのか。
怒りに身を震わせるジョウゼフを見て、パシフィカ侯爵はどこかここでない所を見ながら、愉悦に唇を、目を歪める。
「知ったことか。全ては終わったこと、最早どうにもならぬのだ。であれば派手に散らすまでのことよ。
せいぜい足掻くが良い、足掻けるものならばな!」
「その執念を、真っ当な方向に向けていれば、こんなことにはなっていないというのにっ!」
当たり前の言葉は、だからこそ侯爵の心には響かず……空しく宙へと消えた。
そして、パシフィカ侯爵への談判が無駄に終わった翌日。
彼の怨念が、こんなものではなかったことがわかってしまった。
「晩餐会への招待状が、何故か今になって私共のところに!」
エイミーの兄が慌てて持ってきた書状を見て、ジョウゼフは絶句してしまう。
パシフィカ侯爵は、ニコールが元凶だと調べ上げた。
であれば、その過程でエイミーの過去や功績にも当たったことだろう。
そう。つまり、パシフィカ侯爵の歪んだ八つ当たりの先は、ニコール一人ではなかったのだ。
常軌を逸したその執念……もはや怨念と言っていいだろうそれに、ジョウゼフは言葉を完全に失った。
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