第二章 第二話:幼少期の同級生


映像が流れ始めた。


「ドリ子」はダイヤルを「幼少期」に合わせた状態で映像を流し始めた。

ということは私の目の前にいるこの男の子が幼少期の竹内卓也だろう。

彼の坊主頭好きはこの頃からのものらしい。

というのも私の前にいる男の子も坊主頭だ。


ここは……幼稚園だろうか? 


平屋建ての横長な建物に透明なガラス張りの何組も並んだスライドドア。

スライドドアの各所には園児が書いた絵などが張り付けられている。

グラウンドと言うより庭と表現されるような広さしかない建物の前面では、園児らしき子供たちが元気に走り回っていた。


幼少期の卓也はそんな子供たちとは遊ばず、一人で地面に絵を描いていた。

今の卓也を知る私からすれば、その光景には違和感がある。

彼は高校時代は社交性に富んでいて、友人と呼べる人もそれなりにいた。

現に私もそのうちの一人だ。


どうやら、そんな彼の様子を心配した保育士さんの一人が声を掛けに来たようだ。


「卓也くん、せっかくお外に来たんだから皆とあそぼ?」


卓也は保育士さんの声に見向きもせず、地面に絵を描いていた手を一度とめて


「ううん、いい……」


とだけ無表情で返事をすると、再び地面に向かって何かを描き始めた。


しかし意外だ。私の幼少期もこのような感じだったと思うが、あの社交性の塊な卓也の幼少期がこういう感じだとは。

だが、こんな事を知るために卓也の記憶を追体験している訳ではない。


私は目の前の映像を早送りする。


卓也の母親が登場したシーンで一度早送りを止める。

時刻は夕暮れ時で幼稚園のお迎えに来たのであろう卓也の母親が居る。


私は初めて見たが、すらっとした背丈の美人だ。

モデルをしていると言われても素直にうなづけるだろう。

服装はこの記憶の時期が夏なのか、白の半そでTシャツに青のジーンズ、足元はスニーカーというものだったが、美人が着ているとそれらがブランド物に見えるから不思議である。


卓也の母親は保育士さんと一言二言話した後、卓也を呼ぶ。


「たっちゃんー帰るわよー」


そう卓也に呼びかけると、それまで無表情だった卓也はその顔を満面の笑みに変えて母親の元へ駆けていった。


「ママー!」


そう言いながら卓也は母親の足元に抱き着いた。

……私は一体何を見せられているんだ。

早く問題のシーンへたどり着いて早々に仕事を終わらせよう。

やはり同級生の過去を見るのは精神的に厳しい。


私は再び映像を早送りする。


ところで、私の「ドリ子」には通常の早送り機能と、画面が真っ暗になった状態での大幅な早送り機能がある。

通常の早送り機能の際は、目の前の映像が目まぐるしく動き回るので適度にヘルメット内で私自身の目を閉じている必要がある。

そうしないと、目の前の映像に酔ってしまうからだ。


そして、記憶の中で自由自在に動き回る人物たちは、基本的には記憶者、今回だと卓也だが、記憶者を中心に再現される。

私が幼少の卓也と離れられる距離はだいたい10m程度が限度で、それ以上離れると自動的に卓也の10m以内にワープさせられる。


適当なタイミングで早送りを止める。


どうやら卓也は母親と連れ立って幼稚園の帰り道に買い物へ来たらしい。

しばらく私がそこに立ち尽くしていると、仲の良い親子といった感じで一つの買い物袋を二人で半分ずつ持ってスーパーから出てきた。

卓也はウキウキとした足取りで、母親はそれを微笑ましい顔で見ている。


「今日は~♪ぼくの大好きなハンバーグ~♪」


卓也は晩御飯のリクエストが通ったのか自作の歌を歌いながら上機嫌だ。

母親がそんな卓也に注意を促すかのように


「たっちゃん足元気をつけてね」


と言いながら、立ち尽くしている私の方へ向かってきた。

それから前を歩く二人の親子の後をついてきたが、問題のシーンは起こらなさそうだ。

しかし、問題のシーンは私がそんな事を思っていた矢先に現れた。


時刻は夕暮れ時から夜に向かっている逢魔が時(おうまがとき)といった頃合いだろう。住宅街の路地を歩く親子の向かい側からフードを深く被った何者かがポケットに両手を入れた状態で向かってくる。


それだけなら、人目を嫌う人物なのだろう。そう思うこともできた。

しかし何者かは、親子が近づいてくると右のポケットから手を出した。

その手には包丁が握られていた。


包丁に気が付いた卓也の母親は悲鳴をあげる。

卓也は母親が何故悲鳴をあげたのか理解できていなく、不思議そうな顔で自身の母親を見つめている。


……おそらくこのシーンだろう。

何度も見たい光景ではない。

私はヘルメット左側の一時停止ボタンを押す。


包丁を振りかざした何者かが、卓也の母親に飛びかかろうとしているシーンで映像は動きを止めた。


「見たくない……みたくない……」


私はヘルメットの中で目をつむり、左側の記憶切り取りボタンを押した。


―――― 切り取り ――――


そして、一時停止を解除して記憶の再生を始める。

目を閉じているので音声しか聞こえない。


「キャーーー!」


再生を始めてすぐに、女性の甲高い悲鳴が聞こえた。


「ママ!」


卓也も母親の異変に気付いたのか声をあげた。

卓也は母親を殺した犯人が男なのか女なのかわからない。

そう言っていたが、「ドリ子」は卓也の記憶からしっかりと当時を再現したらしい。ここまで聞いたことの無い、男のドスが効いた声が聞こえた。


「おらっ!死んじまえっ!このアマッ!」


「嫌っ!やめてっごふっ!ガハッ!たっちゃん逃げて!」


「ママなんなの、たっちゃんわかんない」


何者かは数度卓也の母親を手にした包丁で刺したのだろう。

しばらくすると、私の脇を駆け抜けていったらしく足音が遠ざかっていった。

卓也は一人、自身の母親に話しかけている。


「ママ……?ママ起きてよ、お外で寝たら風邪ひくよ……ママ?」


私は目を開ける恐怖に震えながら、ゆっくりとまぶたを開けた。


私が目を開けて最初に見たのは真っ赤な血の海だ。

血の海に沈む卓也の母親。

路地に散らばる買い物袋の中身、それすらも真っ赤に染まっていた。

その母親にすがりついて泣いている卓也。


……もう十分だろう。

私は未だに震えている左手に右手を添えてなんとかヘルメット左側の切り取り終了ボタンを押した。


―――― 切り取り終了 ――――



私はヘルメットを脱いで、体の各所の吸盤をはがすとトイレに駆け込んだ。そして、便器に向かってゲーゲーと吐く。しばらく吐き続けると大分落ち着いた。

それくらい今目にした光景はショッキングな映像だった。


今回は「ドリ子」から「夢球」を取り出すのは止めようか。

私はそうも考えたが、ベットで寝ている卓也を一度見てから決心を固めた。

あれだけ大好きな母親を理不尽に失ったのだ。

卓也にも知る権利はある。


「ドリ子」のハンドルを時計回しに回す。コロコロと転がってくるかのように球形の「夢球」が出てくる。

私はそれを自身の手に収めると、卓也が起きるのを待った。


卓也はそれからしばらくして目を覚ます。


「ん、寝てたか? あれ、ここは……?」


「卓也起きたか」


「あぁ、そういえばお前の店に来てたんだったな」


「卓也……これは『夢球』という。これを開ければお前が忘れていた……あーなんだ。うん、見れば、わかることもあるかもしれない」


私は卓也に何と言って「夢球」を渡せばいいのか言葉が出てこなかった。


卓也は私が「夢球」を手渡すとすぐに開封しようとしたが、私が一度止めた。


「ちょっと待て、バケツを用意する」


卓也は無言で何の用意だ、と頭の上にはてなマークをつけていた。

私はバケツを持ってきて卓也の前に置いて


「吐くときはそこのバケツに頼むぞ」


と言って卓也の「夢球」開封を待った。


「なんだよ、このバケツは……別に具合は悪くねーよ」


「まぁ、なんだ。店を汚して欲しくないんだよ」


「何言ってんのか意味わからん」


卓也は私を一度キッと睨みつけると自身の顔の前で「夢球」を開封した。

卓也は心ここにあらずといった面持ちとなり、しばらくするとその顔を真っ青に染めていった。


そして、「夢球」の再現効果が終わると、目の前のバケツに向かってゲーゲー吐き始める。

私は彼が吐き終えるまで顔を背けた。

吐くのが落ち着いたらしい彼に話しかける。


「んで、どうだった? 犯人の目星はついたかね刑事さん」


すると卓也はバケツから真っ青な顔を上げて


「あぁ……あいつは見覚えがある」


それだけ言うと、料金も支払わずに店を出て行こうとする。

店を出て行こうとする卓也に料金を踏み倒す気かと声をかけた。


「あっおいっ!料金もらってないぞ」


卓也は財布からお金を出す時間も惜しいのかこちらを振り返り、私に向かって財布を投げてきた。


「それで足りるだろ? ちょっと急ぐんだ」


そう言って私に背を向け店を出て行った。

私は投げつけられた卓也の財布の中身を確認する。


「多すぎでしょ……」


財布の中には沢山の諭吉さんがこちらを見ていた。

ざっと目視で数えても50万円はある。


「どうしたものかね……」


私の独り言が店内に寂しく響く。


しかし、この一件はまだ終わっていなかったのだ。

この話には後日に続きがある。

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