ブッコロー、活字嫌いなイケメン高校生に憑依する

水涸 木犀

1.ブッコロー、幽体離脱する

 ブッコローは、軽快な足取りで書店の陳列棚の間を歩いていた。

 今日は「有隣堂しか知らない世界」の映像収録がない。故にたまには自社の書店巡りでもしてみようと思い立ったのだ。

 やはり登録者数22万人のチャンネル登録者数は侮れない。ブッコローが書店に姿を現すと、

「あ、ブッコローだよね」

「ブッコローさん、お疲れ様です」

 といったお客さんの声が聞こえてくる。店によっては専用のグッズコーナーもできているくらいだから、当然と言えば当然か。――自分の認知度も上がったものだな――とブッコローは鼻高々な心持ちで書店の中を闊歩する。

 やや上向きで歩いていたからだろうか。あるいは足に対して身体の面積が大きいせいかもしれない。ブッコローは陳列棚の角に気づかなかった。思いっきり足を引っかけてしまう。平積みの本が崩れる音と共に、彼はその場に倒れ込んだ。

 ――あ、人間みたいに手が前に伸びない。受け身が取れない――

 ブッコローが危機を察知したのと、頭をしたたかに床に打ち付けるのはほぼ同時だった。次の瞬間、彼の視界は暗転した。


 ・・・


「……君、浅間君、起きてください」

 ブッコローがうっすらと目を開けると、紺色の洋服の袖が目に飛び込んできた。もう少し頭を上げたところ、よく日焼けした人間の細長い指が見える。おや?

 ――誰の視点だ、これ? いつもの手羽が見えない――

 そもそもミミズクの身体で、両腕を机の前で組むという器用な体制は取れない。ブッコローは現状を冷静に分析していた。今自分は夢の中かなにかにいて、人間の身体になっているのだ。しかも周囲の景色からして、ここは学校。小学校か中学校か高校なのかは定かではないが、とにかく教室の中で、自分は授業中に居眠りしていたらしい。卓上にいる年配の男の先生が、じっとこちらを見つめている。

浅間あさま君、起きましたか」

「あ、はい。すみません」

 口が勝手に言葉を紡ぎ出す。まるで今のやりとりが日常茶飯事であるかのように、慣れた回答だった。

「イケメンだからって、授業中の居眠りが許されるわけじゃないですからね。先生も面白い授業をするように頑張りますから、浅間君も眠らないように気をつけてくださいね」

 冗談めかした先生の言葉に、教室からはどっと笑いが起きる。ブッコローはもう一度すいません、と答えて軽く頭を下げた。クラスメイト達の目線は居眠りを非難する空気はあまりない。むしろ好意的な印象を受ける。

 ――この先生、なかなかユーモアのセンスがあって悪くないな。たぶんだいぶ年上だろうけど――

 ブッコローは上から目線な感想を考えつつ、今の会話の間に得た情報を整理する。


 自分の名前は浅間あさま……祐樹ゆうきだ。教科書をめくったらご丁寧に名前が書いてあった。そして同時に高校二年生であることが判明する。さらに先生の話とクラスメイトたちの雰囲気からして、浅間はイケメンらしい。そうなるとブッコロー的に気になるのは彼女の有無だ。自分がこれくらいの年頃だったときは、彼女がいた。イケメンすぎると逆に彼女ができないというのは経験則で知っているが、きっと彼はモテるのだろう。瞬時にそこまでの判断を下したが、授業中に何かアクションを起こすわけにはいかない。残りの授業時間は教科書を眺めながら適当に過ごした。


「浅間、また寝てたじゃん」

 授業が終わるや否や、男子が二人ほど浅間の机に近づいてくる。そのうちの一人……髪色を明るい茶色に染めている少年がにやつきながら声をかけてきた。

「眠かったんだよ……」

 相手の生徒の名前もわからず、浅間が居眠りしていた理由もわからないので無難な答えを返しておく。それでも会話は繋がったようで男子二人はげらげら笑いだす。

「どうせまた夜遅くまでゲームしてたんだろ」

 と髪の色が明るい少年が浅間を小突く。

「帰宅部の上に、家帰ったらずっとゲームしてるもんね。よく目が悪くならないよね」

「一応、気をつけてはいるから」

 黒ぶち眼鏡をかけた少年が嘆息するのに対し、またも歩調を合わせた答えを返す。

「これだからイケメンは。授業中に寝ても笑い話で済むし、一晩中ゲームしても目が悪くならないし。うらやましいわ」

 ――イケメンであることと視力には何の関係もないと思うけどな――

 ブッコローは内心で突っ込みを入れていたが、浅間という生徒が普段どんな受け答えをしているのかわからないので曖昧に微笑んでおく。


 しばらく男子三人で会話を続け、髪が明るいのが美術部の田宮たみや、眼鏡をかけているのが漫画研究会の福田ふくだという名前であることがわかった。彼らを含めた三人が「いつものメンバー」でよく喋っているようだ。授業の間のわずかな休憩時間でそれだけの情報を入手できれば十分である。その後はよくわからない授業を懐かしいなと思いながら受け――先ほどは居眠りしていたが、一応授業ノートはきちんと取っているようだったのでできるだけそれには倣う――何とか放課後の時間になった。授業が終わるなり、福田が近づいてくる。


「浅間君、放課後時間があったら、漫研寄っていかない? 今日人が少なそうだから、暇なんだよね」

「やめとけやめとけ。浅間が活字嫌いなのは、福田も知っているだろう?」

 通りすがりの田宮が福田の肩を叩く。たしなめられた福田は肩をすくめた。彼らにとっては慣れた会話といった風だったが、ブッコローには聞き捨てならないワードが出た。


 ――活字嫌い、だと?――


「いや、それは知ってるけどさ。でももしもってことがあるじゃん。浅間君ゲームは好きなんだから、ゲームの原作になった漫画とかあったら読むかなと思って。でもそうだよね。急に好きになるってこともあんまりないか」

「そうそう。無理させんなって。じゃあ俺は部活行くから」

 手を上げて去っていく田宮を見送ってから、福田も自分の通学鞄を背負う。

「まあ、浅間君ならいつでも歓迎だから。気が向いたらおいでよ」

「ああ。気が向いたらな」

 普段の会話がわからない時の必殺技、おうむ返し。よほど奇妙な受け答えをする人間でないかぎり、まず不審に思われることはない。案の定、福田はこちの返事に頷いて教室を出て行った。


 それにしても先ほどの田宮の言葉が気になる。活字嫌いとはどういうことなのか。教科書はきちんと読んでいるようだし、ノートもとっている。となると考えられるのは、小説や漫画を一切読まない類の人間だということだ。確かに読書をしない中高生が増えていて、書店員や出版社が頭を悩ませていることはブッコローもよく知っている。彼もその一人というわけか。


 しかし、老舗書店の動画チャンネルのMCとして、看過できる事態ではない。ブッコローの中に謎の使命感が湧きあがってきた。現状が夢なのか何なのかはわからないが、自分が活字嫌いの男子高校生に憑依したことには何か意味があるに違いない。これはきっと、彼を読書好きにするというミッションを達成せよという啓示なのだ。ブッコローは浅間のスマホを取り出し――ロック画面は手が無意識に動いて解除できた――、現在地を確認する。電車で数駅行ったところに有隣堂の書店があった。まずはそこに浅間を連れて行こう。活字嫌いの人間が読める本を探すのは、それからでいい。とにかく動かなくては。ブッコローは決意を新たにして、教室を出た。

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