ブッコローとガラスのポッド

ながはま

ブッコローとガラスのポッド

 横浜駅で大半の乗客は降りて空気が良くなる感じはするが、荷棚の上ではあまり関係ない。向かいの扉の脇には赤ん坊を背負って立つ母親がいて、背負われている子が首をめぐらし、こちらを見つめていた。今時荷棚に乗ったミミズクにここまで熱く注意を向ける乗客は他にはいない。

 その赤ん坊は小さな手を賢明にこちらへ伸ばしてくるので、ついついサービス気分で右の翼を広げて応えてしまう。おぶっている母親の方は子供の様子に気付いておらず、桜木町から関内にかけての街並みが流れ行くのをただ眺めているようだった。赤ん坊は精一杯目を見開いているようだけど、今日会ったコノハズクほど大きくはない。

 変な事引き受けたな、と思う。ココアさんは美鳥だったけど、あの話は自分の立ち位置だとちょっと微妙だ。とはいえ、間に入ったモフモフさんのことがあるから無碍に断ることもできない。付き合いは大事。それは鳥も人間も変わらない。話をするだけすれば義理は果たせるか。

 鉄橋を渡ると列車の速度が落ち始める。窓の向こうに見えるオフィスビルの並びが途切れ、マンションが混ざり始めたあたりで列車は関内駅に入って停まった。翼を広げ、扉が開き出入りする人の合間を縫って、素早く外へ飛び出す。目の前には改札へ続く階段があって、降りていく人たちの頭上を越えて一足先にIC専用改札のセンサに着地した。脚に嵌めたリング状のトリカで改札出口のフラッパーが開くが、鳥だから別に関係ない。そのまま飛んで駅の北口から外に出る。頭上を高架が塞いでいるので高度は上げない。

 高架に沿ってそのまままっすぐ。駐輪場を飛び抜けたら左に曲がる。赤信号で立ち止まっている人間たちを後目に広い道路を飛び越え、吊橋の塔のようなモニュメントに張り巡らされたワイヤを躱わして通過した。そのモニュメント――ウェルカム・ゲートの下を行き交う人々は頭上を飛び越えていった鳥がいることに誰も気づかない。

 陽は既に落ちているが、遠くの地平線を隠して横たわる黒い雲の上にはまだ茜色の残照が見えていた。しかしビルの谷間にある通りは暗がりに沈み、通りに面した店舗から漏れる光が舗道を明るく照らしている。

 目指すビルはすぐ目の前。2階と3階の間を赤いシェードがぐるりとスカートのように飾っている。ビル正面の街路樹が目の前に近づいた頃合いで大きく羽ばたき、角向かいに見える場外馬券場を見ないようにして、一気に高さを稼いで6階へ。いつものようにちゃんと開けられている窓から中に飛び込んだ。

「ブッコローさん、スタジオ入りました」

 若いアシスタントが声を上げる。

「おつかれ」Pが声をかけてきた。「機材チェックしてるから、位置ついて。音声と配信テストやるから」

 配信机に敷かれた滑り止めのコルクマットに着地してスタジオを見渡す。いつもの撮影スタッフと女性広報はいた。しかし、今日の相方が見当たらない。

「ザキさんは?」

「遅れるそうです」

 広報のワタナベが答えた。あ、そうなの、と首をかしげる。

「あれ、言うことそれだけなんですか?」

 おでこの広い卵型の顔に含み笑いを浮かべて、ワタナベが訊き返した。

「え、いや、ちょっと考え事してて。しょーがないね、ザキさん」

 そっけなく答える。実のところ、アフリカオオミミズクの美鳥、ココアさんの顔を思い浮かべていた。配信後、Pに話せばいいだろか。


 その工房は六郷土手の近く、一階が工場、二階から上が住居になっているような小さな町工場が寄り集まっている区画の片隅にあった。他の工場と同様、二階はアパートのようになっているようだが人の暮らしがある気配はない。雨戸が閉め切られ、工場だけが使われている感じだった。1階には三つの部屋があるようだが、そのうち二つは閉め切られたまま物置のようになっている。表道路から近い一つだけ引き戸が開けられていた。戸口の両脇には物干しを支えるような横木が取り付けられていて、その間にちょうどミミズクには掴みやすい太さの棒が渡されていた。

 どう思います? と、その軒先の棒にとまってココアさんが訊く。どう、と訊かれてもなあというのが正直なところだった。

「いや、モノはいいと思いますよ」適当に答える。「綺麗だし、細工も凝ってるし、作るの大変だったろうなというのも想像できますし」

「そうですよね。リョウコが作るモノは良いのだけど、ただ、買い手を探すのが大変で」

「ネットに出したらいいんじゃないの?」

「それじゃダメなんですよ」ココアさんは言った。「こういうコーヒーメーカーみたいなものって一人で何個も買うものじゃないでしょ。ネットだと個人で欲しい人は見つかるけど、リピーターにはならないから。ネットならネットでやっぱりそこで売ってることを知ってもらわないとならなくて、それだとあんまり変わらないから」

「それで、うちのチャンネルで宣伝?」

「別にそちらのお店に仕入れをお願いするつもりとかは全然ないんです」ココアさんは目線をそらす。「こういうモノを作っている人がいることを伝えて欲しくて、それをブッコローさんにお願いできないかなと思って、その、モフモフさんを通してご連絡を」

 ちょっと迂闊に話に乗りすぎた。断るのは簡単だが、それだと間に入ったモフモフさんの顔を潰すことになってしまう。

「……あのチャンネルはわたしで廻してるようなものですけど企画立てるのは人間たちなんですよね。話はしてみますよ。こういう一品ものも過去に扱ったことあるし」首を大きくかしげる。「でも、見本市みたいなものとかあったら、そっちに参加してもいいんじゃないですか? うちのチャンネルよりもこういう品物に興味がある人は確実にいると思うんですけど」

 ココアさんは一度大きく両方の羽を広げて畳み、居住まいを正した。

「それが、リョウコはそもそもそういうのが苦手で。一応今日はそういうのに顔をだしているのですけど、普段はどうしてもモノ作りで一杯一杯で、なかなか時間も作れないみたいだから」

 一個一個が手作りのワンオフみたいだから、作るのに時間がかかって営業や宣伝まで手が回らない。ココアさんは手伝いしたいけど、営業かける先が解らないのではどうしようもないからミミズクネットワークを頼った、といったところか。

 なるほど。


「……なるほど」

 思わず口に出た言葉をワタナベが訊き返す。

「何がです?」

「いーえ。何でもないです。それよりザキさんどうしたの。間に合うんでしょうね」

「大丈夫だと思いますよ。オカザキさんのことですから」

「生配信じゃなくて、収録日だと勘違いしてたりしません?」

「いやあ、大丈夫だと思いますよ」

「ほんとですかあ?」

 手にした霧吹きで羽に軽く水をかけたメイク担当が素早く下がる。アシスタントの一人はLEDライトの角度を調整していて、Pがカメラ映像とテスト配信動画を比較確認していた。

 ワタナベが首に提げているスマホが鳴る。

「はいワタナベです。……お疲れ様です」携帯電話で話をしながらワタナベはちらちらとこちらを見る。「はいはい。もうすぐ配信時間になりますから、急いでくださいね。……はい……え? ……はい、それでは」

 スマホを放す。

「オカザキさん、今駅に着いたそうです。なんか、仕入れに手間取っていたとか」

「仕入れ?」

「そりゃ、バイヤーですから」

「でも、今日配信日だって知ってるわけでしょ……まあ、いいか。下まで来てるなら。なんなんですかね。なんか大女優ですよ」

 配信映像確認をしていたPがワタナベに声を掛ける。

「イクさん、ザキさんって……?」

「今、下まで来てるそうです」

「ギリギリじゃないですか。今日の企画、ザキさんちゃんと解ってますよね。生配信って」

 同じことを言う。

「それは……大丈夫だと思います」

 Pの顔が渋くなった。

「まあ、ブッコローがなんとかするから大丈夫か」

「おいおいおい。勘弁してよー」

 本気でうんざりしながら言ったとき、エレベーターのベルが鳴った。扉が開き、眼鏡をかけた丸顔の女性が出て来る。

「オカザキさん、スタジオ入りましたー」

 若いアシスタントの声。見ればわかるけどね、とぼやくPの声が聞こえた。

「ザキさん、位置ついてください」Pが呼びかける「一応マイク確認するんで」

 言いながらPはアシスタントに頷きかけた。

 ああ、すみません、とオカザキ。片掛けしていた大きなバックを肩から降ろしながら配信席に近づく。アシスタントが横から近づき、ピンマイクをオカザキの襟元に取り付けた。反対側からはメイク担当が近寄り、髪にかるく櫛をかける。

「また、大荷物ですね」

 声を掛けるとオカザキは満面の笑みを浮かべた。

「今日はちょっと買い込んでしまいました」

 配信席に座るオカザキの動きに合わせ、メイク担当は化粧パフでチークのあたりを軽く叩く。ありがと、とオカザキ。メイク担当は素早く離れていった。

「買い込んだのはいいですけどねー、今日紹介する文具、忘れてないでしょーね」

「それは大丈夫です」うふふ、と笑う。「でもね、今日見つけたのも負けず劣らず良いものなんですよ」

「……なんなんです?」

 好奇心に負けて訊いてしまう。

「今日、これも紹介して良いんですかね。良いならお見せしますよ」

 思わずPの方を見るが、彼はモニターを見つめている。

「んー、いいんじゃないかな」Pは上の空のように言った。「120FPS出てるね。……ブッコローなら問題なく上手くまとめるっしょ」

「ミミズクを何だと思ってるのさー」

 思わず言うが、オカザキは心底嬉しそうだった。

「ほんとですか? それじゃあ、最後にお見せしますね」

 はい、音声オッケーです、とP。

「予定通り配信はじめまーす。オープニングフィラー流す用意して……」

 嫌な予感しかなかった。


 生配信はおおよそ予定通りの尺におさまって進行した。収録版だとPが編集で間を切ってテンポよくまとめるが、生配信でそれはない。だから生配信でうまくまわるかどうかは一重にMCの腕ということで、実際うまくまわっていた。ここまでは順調。こんなミミズク他にいない。このままの流れでまとめに入っても視聴者から文句は言われないだろう。

 しかしPが小さなホワイトボードに「ザキさんの新ネタ」と書いて見せている。

 仕方ない、と内心ため息をつきつつ言葉を続けた。

「……そういえばザキさん、今日大荷物でしたよね。何かおもしろいもの見つけたんですか?」

 そうそう、そうなんですよ、とオカザキはうきうきした様子で席を立ち、後ろに置いてあるバックを開けて中から無地の段ボール箱を両手で取り出す。

「なんなんです? それ」

 うふふ、とオカザキ。

「何だと思います?」

「何って、ザキさんが仕入れて来るんだから本じゃないですよね? つまりなんかの文具」

「そう。うち的には文具扱いなんですけどぉ、文具といってもいろいろあるじゃないですか」

 オカザキは箱を机に置いて蓋を開ける。

「じゃーん」

 遠慮がちに。

「じゃーんとか言うなら、もっと声張ってくださいよ……ってあれ?」

 オカザキが箱から出したものはビニール袋に入れられて細部がはっきりしないが、どことなく見覚えがあった。

「なんです? それ」

 一応訊く。

「ドリップポッド……って言うのかな?」

「コーヒーの? コーヒーも売ってるんですか?」

「売ってますよ。ドリップバックどか、コーヒー豆を挽く、ミルとか、コーヒーフィルターもお店によっては置いてあります。コーヒー飲みながら読書とかしたい時ってあるじゃないですか」

 うふふふ、とオカザキは笑う。

「なんで、得意そうなんですか」

 まあまあ、と言いながらオカザキはビニール袋を外した。そこには昼間ココアさんに見せられたものがあった。ただ、スタンドやドリッパー、そして「ドリップポッド」がそれぞれバラバラになっている。

「これはですね、一点ものなんです。あ、正確に言うとですね、お見せしたい品物はドリッパーとドリップポッドだけですよ」

「……それはなんとなく解りますけど」とりあえず言う。「で、ザキさん、どこが気にいったんです? ガラス製だから?」

「それもあるんですけど、面白いんですよ、これは」

 そう言いながらオカザキはてきぱきと組み立て始める。コの字状になった木組みのスタンドを立て、その台座にブッコローの絵柄が描かれたマグカップを置く。マグカップの上にはU字の腕木が差し出されていて、オカザキはその腕木に透明なドリッパーを置いた。

「……今のところ普通のドリッパーですよねえ」

 口を挟みはしたものの、見どころが別にあることは知っている。

「まだ組み立て終わってないから、ちょっと黙っててください」

 あら。

 オカザキはドリッパーの上にドリップポッドを乗せる。ドリッパーの上側のサイズとぴったり合って、一体化したように見えた。平たい円筒形のドリップポッドの中には上下に銀色の小さく繊細そうな機械が組み込まれている。上の方にはサーキュレーターのような羽根車が水平に組み込まれていた。

「要するにこれは水タンクなんです。今は空っぽですけどね。中にヒーターがあって、ちょうど一杯分のお湯を沸かせるんです」

「沸かしたお湯が下に落ちて、コーヒーになるってのは解ります。解りますけど、普通のやかんでいいじゃないの? なんか、口の細いやつ使うんですよね」

「実際に見てもらうのが早いんですけど……お水もらえます? コップ一杯分だけでいいんですけど」

 アシスタントの一人がペットボトルの水を紙コップにあけてオカザキに差し出した。受け取ったオカザキは透明な筒の上蓋をあけ、水を注ぐ。円筒の中には細いパイプが通されているようで、注ぎ込まれた水は螺旋を描いて中のタンクに溜まって行く。その水の流れだけでもちょっと面白い。

「まあまあきれいですね」

「これだけじゃないんですよ」そう言ってオカザキは円筒の裏側に指を伸ばす。そこにタッチスイッチが組み込まれてるとココアさんは言っていた。

「すぐにお湯が沸くのでちょっと待っててください。ホント、すぐ沸きますから」

 沸けばどうなるのかはもちろん知っている。でも、配信中に言えるわけはなかった。それでは台無しになってしまう。

 円筒の中が湯気で白く曇りはじめる。その上に見えている羽根車がゆっくりとまわりはじめた。

「コーヒーメーカーで難しいのは、お湯の注ぎ方なんですって。ブッコローさん知ってましたか?」

「……あー、なんか聞いたことありますよ。なんか、ぐるっとまわすように注ぐとか」

「だ、そうですね。手で注ぐハンドドリップだとそういうのは簡単にできるんですが、こういう機械だとただ上からお湯をかけるだけになってしまうじゃないですか。それをですね、このドリップポッドは工夫しているんですよ」

 湯気で白く曇った部分の下側でも薄い円盤が回り始める。上の方の羽根車はさきほどに比べると目に見えて早く回転していた。銀色のパーツが撮影の照明を受けてきらきら光る。

「なんか、あちこち動きますね」

「そうでしょう?」オカザキは得意気だった。「見ててワクワクしませんか」

「うーん、ワクワクはしないかなあ。大人だし。でも、ちょっと期待はしてしまうかなあ」

「大丈夫です。期待は裏切られませんよ」

「ほんとう? ザキさんの言うことだからなァ」

 そんなことを言い合ってると、小さく蒸気が吹き出るような音がして円筒の中に張られた管をお湯が上り下りする。下側で回転している円盤にお湯が落ちると、ドリッパーの中に螺旋を描くように無数の湯滴がばらまかれた。

 その様子に思わず見入ってしまう。円筒の中で回るきらきら光る小さな機械、細い管の中を流れていくお湯には小さな泡が混ざり、ドリッパーの中へ幾何学的な軌跡を描いて散布される。ドリップポッドもドリッパーもガラス製で、フィルターとドリップポッドの間に隙間が広く確保されていて、お湯が落ちる様子がよく解った。

「……今のちょっと面白いですね」

「だから言ったでしょう?」

 オカザキは相変わらず得意気だった。

「ドリップポッドはガラス製で、最初は冷えてるから、そのままだとお湯が落ちるまでの間で冷めちゃうわけですけど、そこはちゃんと考えられてて最初に全体を温めてからお湯を沸かすようになってるんです」

「へえ、よくできてますねえ」

「良くできてるんですよお」

「もう一回。もう一回、見せてもらっていいですか?」

「いいですよ」

 オカザキは嬉しそうにマグカップに溜まったお湯をドリップポッドに戻して空にしてからドリッパーの下に置く。

「今度はお湯からはじめますから、さっきより早いですよ」

 すでにお湯になっているから、ドリップポッドの中にあるタンクは注いだそばから薄っすら曇る。タンクの上にある羽根車もゆっくり回り始めていて、周囲の照明から浴びせられる光をきらきらと反射し始めていた。

「単純に見てて飽きないかな」

「インテリアとしてもいいですよね」

 そう言ってオカザキは裏のスイッチに触れる。すぐに小さく沸騰する音が聞こえてきて中の曇りが濃くなる。羽根車の回転も早くなった。中に張り巡らされたガラス管の中をお湯が移動していく様が解る。ドリップポッドの下にあるディスペンサーも安定して回転していた。

「中で回っているやつ、モーターで回してるんじゃないんだ」

「え? ああ、そういえばそうですね。そこは、あんまり気にしなかった」

 は?

 小さく破裂するような音をたててドリッパーの中にお湯が撒かれる。

「もう一度やります?」

 オカザキが訊いた。

「いやいやいや。もういいです。尺もないんで。それで、ちなみにお値段は?」

「税込みで4万1800円」

「たっか」

 思わず口に出ていた。


 アシスタントたちは機材の片付けを始めていた。Pとワタナベが並んでノートPCを覗き込んでいる。

「今日の配信、何人だったの」

 配信席からモニタ席へ飛び移る。

「アベレージで16万弱、ピークは18万3千でしたね」と、ワタナベ。「うち、登録ユーザーが83パーセント、御新規は100にちょっと足りない程度」

「相変わらずユーリンチーは暇だよね」

 ひどい、とワタナベが吹きだした。

「登録全体比だとだいたい3割で、そのあたりはいつも通り」

「それで、切り出せるところあったの?」

「そのあたりはぼちぼちと。サムネはコーヒーメーカーかな。あれ、見栄えするよね。高いけど」

 Pが答えたところにオカザキが後ろから近寄る。持ってきた大きなバックを片掛けしていて、帰り支度は終わっているようだった。

「お疲れ様でした。今日はもう大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。お疲れ様でした」

「オカザキさん」ワタナベが後ろを振り返って言う。「今日のコーヒーのやつってどの店で扱ってるんですか?」

「まだ売ってないですよ」と、オカザキ。「でも、桜木町ならいいかも、とか思ってますけど。あそこはいろんなコーヒー豆とか粉とか置いてありますし」

 なるほどな、とは思うものの気になることはあった。ココアさんに見せられた時から引っ掛かっている。

「でもあれ高くないですか?」

「そうですか?」事も無げに言う。「それだけの価値はあると思いますよ。それに20万越えの万年筆だって売れましたし」

 それを聞いて皆首を傾げる。

「そうなのかもしれませんねえ」自信無さげにワタナベが言った。「……それはそれとして、どこで見つけてきたんです? メーカー品じゃないですよね」

「個人作家の一品ものです。今日はガラス器の見本市に行って、そこで見つけたんですよ」

「ガラス器、なんですかねえ」

「作家さんもそれは言ってました。でも、コーヒー用品だと個人向けの見本市がなかなかないとかで」

 そんな話をココアさんもしていたことを思い出す。

「それで、今日の配信ネタになりそうなので買われたんですか?」

 Pが訊くと、とんでもない、とオカザキ。

「そんな失礼なことしませんよ。純粋に、良いものだなあと思ったからです。ブッコローさんも面白いって言いましたし。作家さんもマジメな人だったんですよ」

「でも、高いでしょ」

 それが紹介するのに気が進まなかった理由だった。一人用のコーヒーを淹れるだけの道具であの値段、とは思う。

「でも、それがですね」ワタナベが口を開いた。「コメント見てると、どこで買えるのか質問が書き込まれてるんですよ。それでさっきオカザキに訊いたんです」

「値段言う前じゃないの?」

「値段言った後でも、なんですよ」

「ほらね」オカザキは勝ち誇ったように笑みを浮かべる。「見る人が見れば解るんですよ。ブッコローさんも見習うとイイですよ」

「うるさいなー、もう。はいはい、お疲れ様」

 はいお疲れ様と言い残し、オカザキは上機嫌で微笑みながら離れていった。

「……まあ、バイヤーとしての眼は確かみたいですからねえ」

 Pが呟くように言う。

「そうなのかなあ」

 そう応えると、ワタナベが小さく笑う。

「なんとなく白洲正子サンみたいですよね」

 どのあたりがです? とPが訝し気に訊き返した。

「とにかく良いものをたくさん見てるとそういう眼になる、みたいなところが」ワタナベはスタジオを出ていくオカザキを見送りながら答える。「それであのコーヒーメーカーが引っ掛かったということなんじゃないですか」

「それはそうなんでしょうけど」そう答えはするものの首を傾げざるを得ない。「良いもの、っていうか、面白いものを見る眼じゃないんですか? あの人の場合」

 ワタナベは小さく噴き出す。

「なんにしても、何かしら良い仕事をしていれば、孤独ではない、っていうことなんでしょうね。オカザキさんみたいな人が必ず見てる」

「何きれいにまとめようとしてんの」

「別にまとめようとなんてしてませんよ。思ったまま言っただけで」

「それはそれとしてさ、ブッコロー」Pが言った。「あのコーヒードリッパーの時、なんかちょっとヘンじゃなかった?」

「ザキさんはいつもヘンでしょ」

「じゃなくて、あんたが」Pは怪訝そうに見ていた。「なんか、リアクションのキレが悪かったというか、いちいち考えている感じがしたというか」

「なんだよ、それじゃいつもは考えてないみたいじゃない」

「いや、もうちょっとテンポいいだろ、ってこと」

 指摘されたことに心当たりはある。そもそもあれについては一度見ていて、説明も受けていた。だから自然なリアクションが難しい。ただ、そのことを言うと却って面倒くさい話になりそうだった。

「これでもチャンネルのこと考えてるからね。初見みたいなリアクションを常に心掛けてるから」

 ふうん、とP。

「……今、『初見みたいな』って言った?」

「いや言ってないよ」しまった。「ザキさんも帰ったし、じゃあ、自分もこのあたりでオツカレさん」

「え、ああ、お疲れ様でした」

 ワタナベの挨拶を聞きながら軽く羽ばたき、開いたままの窓に向かう。

「明日の収録早いから、遅れないでねー」

 Pの言葉を背中で聞ききながら外に出た。陽はとうに落ちて空気は冷たい。最後の最後で囀ってしまったが、まあ、Pはすぐに忘れるだろう。

 眼下にモールの舗道を見ながら駅へ向かう。行き交う人の姿は勤め人から夜遊びする人たちに入れ替わっているような感じだ。先に帰っているオカザキの姿は暗がりで見つけられないが、すでに駅に入っているかもしれない。

 それにしても、今日は面倒な頼まれごとをされたと思ったが結果オーライだった。

 ココアさんの姿を思い浮かべる。今日の配信は観ていただろう。これでモフモフさんの顔もたったはずだ。

 オカザキがコーヒーポッドを持ち込んできたのはさすがに驚いたが、お陰で手間がはぶけた。

 これも日頃の行いが良いからだな。

 普段から良いことをしていれば、自ずと助けは現れるものだ。

 ――それは少し違うんじゃ。

 ワタナベならそう突っ込むだろうが、別に気にすることはない。今の気分でこのまま行ければ、明日の収録も楽勝だろう。

 だからいいのだ。

 街の明かりを浴びながら、あまり羽ばたきもせず、ゆっくり、ゆっくりと関内駅へ向かって飛んだ。

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ブッコローとガラスのポッド ながはま @nagahama

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